中途挫折の因縁は必ずしも薄志弱行型の性格を持っているわけではなく、逆に逆恩の因縁では一心に恩義にむくいようとする心が努力しながら結果的には仇に返すことがある。
- 恩のある人に対して無意識に損害を与えることは自分で自分の手足をもぎ切ることであり、注意が必要。
- 夫の運気を害する因縁は女性が持つことが多く、その影響で夫が病弱になったり仕事がうまくいかなくなることがある。
- 夫婦縁障害の因縁ではお互いの性格が合わず不満が絶えず、愛情の有無にかかわらず夫婦仲がうまくいかない。
- 夫婦縁破れる因縁を持つ人は生別か死別をまぬがれない。結婚生活に障害があり、生命力の強弱で生別か死別が決まる。
- 獄の因縁を持つ人は凶運の時に刑事事件を起こし、刑務所につながれることがあり、他の悪い因縁とからみ合って凶悪犯になることが一般的。
- **癌の因縁**
- 胃ガン、子宮ガンなど、特定の因縁を持つ人は癌になる可能性がある。
- 胃ガン、子宮ガンなど、特定の因縁を持つ人は癌になる可能性がある。
- **循環器系統障害の因縁**
- 心臓、腎臓、肝臓などの循環器系統に故障を起こす因縁であり、大人のトラブルも含まれる。
- 心臓、腎臓、肝臓などの循環器系統に故障を起こす因縁であり、大人のトラブルも含まれる。
- **色情の因縁**
- 異性や同性によって苦しんだり傷ついたりする因縁で、家運衰退の要因となる。
- 異性や同性によって苦しんだり傷ついたりする因縁で、家運衰退の要因となる。
- **ぺんぎょう**
- 異性関係や家庭のトラブルに関連する。
- 異性関係や家庭のトラブルに関連する。
- **業の因縁**
- 職業に関する因縁で、宗教家、芸術家、裁判官などが適する。
- 職業に関する因縁で、宗教家、芸術家、裁判官などが適する。
- **財運・水の因縁**
- お金が流れ出てしまい、無理に溜めようとすると病気や不幸が生じる。
- お金が流れ出てしまい、無理に溜めようとすると病気や不幸が生じる。
- **領の因縁**
- 人の上に立つ因縁で、頭領運があり成功するが、孤独運と家庭的な不幸が伴う可能性がある。
- 人の上に立つ因縁で、頭領運があり成功するが、孤独運と家庭的な不幸が伴う可能性がある。
- **子縁うすい因縁**
- 子供との縁が薄く、子供が生まれないか早くに死んでしまう可能性がある。
- 子供との縁が薄く、子供が生まれないか早くに死んでしまう可能性がある。
- **産厄の因縁**
- 出産時の難産や苦しむ因縁で、生命力が弱る時期に注意が必要。
- 出産時の難産や苦しむ因縁で、生命力が弱る時期に注意が必要。
癌の因縁
胃ガン、子宮ガンなど、この因縁を持つ人は必ず癌になる。
- 循環器系統障害の因縁
色情の因縁
ぺんぎょう
心臓、腎臓、肝臓等の循環器系に故障を起こす因縁である。
男女が、異性(同性の場合もある) によって苦しんだり傷ついたりする因縁である。これ は、家運衰退の因縁のもととなる因縁である。
大人のトラブルでられるがある ということになる。
- 業の因縁
職業の上にあらわれる因縁である。
この因縁を持つ人は、宗教家、芸術家、芸能人、裁判官、水商売などが適する。 そのどれ がよいかは、別の因縁とも照らしあわせてみる必要があるが、とにかくこの因縁のある人は、
これらの職業以外につくと絶対に芽が出ない。つまり、適性ということに関係してくるわけ だが、そういうことをふくんだ上で、運命的にその職業以外では伸びない、ということである。 職業の適性ということは非常に重大なことで、それゆえに、いろいろな適性検査などが考
案されているわけだが、適業、適性、というものは、因縁的に決定されているのである。
人の職業は、大づかみにいって、技術系(生産事業、技術者)、営業系(販売事業、営業、商人)、 組織系(官公吏、政治家)の三種に分けられるが、人はみな、それぞれの系列に向く因縁と
向か因縁を持っており、向かぬ職業に就いた場合、絶対に芽が出ぬものであるから、注意 して選択しないと生涯の不幸となる。
- 財運・水の因縁
財運があって、お金は人より何倍も多く入ってくるが、木のように流れ出してしまって、 身につかない。
無理に溜めようとすると、自分が病気になったり、家族が病気になったりする。これは、 木の財運で、水というものは、流動しているかぎり腐敗せず、きれいである。溜まり水は必 ず濁り、腐敗する。それと同じで、この因縁を持つ人は、常にお金が流れ動いて身につかぬ のである。無理にお金を溜めると、腐敗現象が起きて、家族に病人やケガ人が出たり、人に だまされたりして、全部、お金が出て行ってしまう。
- 領の因縁
人の上に立つ因縁である。この因縁をもつ人は、必ず、大なり小なり人の上に立って、人 の頭領となる。但し、この頭領運に二種類あって、純然たる頭領運と、組織内の頭領運とに 分けられる。純然たる頭領運は、だいたい創業者として成功する。 組織内の頭領運は、専務、 一部長という一分野の首長で終わる。
頭領運はよい因縁の部類に入るが、反面、孤独運を持ち、晩年は家庭的に不幸になりやすい。 頭領運のない人は、自ら頭領になると必ず失敗する。よき頭領運の人をえらんで、次位に 甘んじ、よく補佐をすることに専念するがよい。 それが、自分の才能、手腕を十二分に発揮 し得る最良の道である。野心を持って自分がその位置に就くと、物事渋滞して苦労ばかり多 必ず失敗するのである。
子縁うすい因縁
さんやく
子供との縁がうすい因縁である。
ここの因縁があると、子供が生まれないか、生まれても、五、六歳になるまでに死んでしまう。 また、自分の実子と縁がうすいだけではなく、養子をもらっても、この因縁ある限りうまく いかない。その養子の運気 (生命力が強ければ衝突して出て行ってしまうし、生命力が弱 ければ死んでしまうのである。
産厄の因縁
出産に際して、難産で苦しむ因縁である。衰運の時期で生命力が弱っている時にあたると、
死ぬ恐れがある。 水子の霊障や、難産で死んだ縁者の霊障のあることが多い。
五タテの因縁とヨコの因縁
以上、人間の持つ
あなたも、これらの因縁の中のいくつかを 体を述べてきた。
必ず持っているはずである。
では、これらの因縁は、いったい、どこから生じたのであろうか?
仏陀は、経典の中で、
「種の差別は業に由る」
とおっしゃっておられる。
ているのである。
つまり、「業」によって、人それぞれちがう因縁を持って生まれるのである、とおっしゃっ
では、業は、因縁に対してどのようにはたらくのか?
阿含宗では、基本的には「タテの因縁」と「ヨコの因縁」となってあらわれると説く。
タテの因縁とはなにか?
祖先から受けついである。
人間の条件
「因」
この人間の持つ「運命的条件」は、二つのものから成り立つ。
「内的条件」と「外的条件」である。
人の運命、人生というものは、その人の内的条件と外的条件の総合結果である。
つまり、内的条件とはその人自身の持つ条件で、健康、才能、性格、運気、などをいう。 外的条件は、その人をとりまく環境、人間関係、 運期等である。だから、人の運命、人生 というものは、その人の内的条件と外的条件の総合結果なのである。
この内的条件を、
とよぶ。
「縁」
外的条件を
という。
内的条件と外的条件は表裏一体であるから、これを初めて、「線」とひと口にいうので ある。
よく、因縁というと、
「因縁なんて迷信だ。因縁などというものはない」
などという人がいるが、これは、無知な人のいうことといってよい。 因縁ということばの 本来の意味をまったく知らずに、ただ、迷信呼ばわりをしているのである。 因縁の総合結 果が「果」である。因縁といい、因果という、古めかしいものを感じさせるが、内的条件、 外的条件、総合結果、などというより、はるかにピッタリした表現である。ゆえに、われわ れは、「因縁」という表現を用いるのである。
主体的価値+(その人の内的条件+外的条件=客体的価値、
前章の「価値の原則」にこれをあてはめると、こういう公式が出来る。
(因)
(果)
すなわち、(因)(縁)(果)
ということになる。
いんねん
さて、そこで、われわれは、自分の持つ条件がどんなものであるか、ということを究明し
なければならなくなってくる。
四人はどんな因縁を持つか
これから、人の持つ因縁について解説するが、それでは、そういう因縁というものが、ど うして人間にあるのか、ここでは、あるからある、というよりほかない。強いて聞かれるな らば、それならあなたはどうしてそういう顔をしているのであるかと聞かれた場合、あなた は何と答えるか? こういう顔をして生まれてきたのだから、こういう顔をしているのであ とでも答えるほかないではないか。 原因はともあれ、人間は、それぞれ様々な因縁を持っ 生まれて来、様々な因縁を持って生きているのである。その因縁という現象を分析、解説 してみよう。理屈は抜きにして、一読するならば、必ず、思いあたることがあろう。卵が先 に生じたのか、鶏が先に生じたのか、それを知らなくても、卵を食べ、鶏肉を賞味するには こと欠かぬのである。 詳しくはあとの方で説明する。 ここでは、まず、人間が誰でも持って いる「因縁」の種類についてのべよう。
家運衰退の因縁
この因縁は、家運、つまり家の運気が次第におとろえてきている家系に生まれている人が 持つ因縁である。
こういう人は、父、あるいは祖父の代までは、かなりの生活をした家に生まれている人が 多い。 祖父か父の代あたりから、次第に家運が傾いてきている。そうして、自分の代になっ てからは、なお一層はっきりと運が悪くなっている。相当の力量、才能、手腕があるのだが、 それを発揮する場を持つことが出来ない。そういうチャンスを持つことが出来ない。そうして、 自分よりも劣った者が追い越してゆくのを、みすみす歯ぎしりしながら見送ることになる。 たまにチャンスがめぐって来そうになると、人の妨害、邪魔に遭ったり、或いは自分の思
わぬミスや病気などで、せっかくのチャンスを失ってしまう。 要するに、一言でいうと運が 悪いのである。実力がありながら、妙にめぐり合わせが悪く、ウダツがあがらない。 年をと
るほど運気がおとろえ、生活が悪くなっていく。
この因縁から出てくるのが、次に掲げる、
中途挫折の因縁
という因縁である。
この因縁を持つ人は、何をやっても、一応、七、八分通りまでは順調に進むが、あともう 一、二分というところで必ずダメになる。 決して実らないのである。この因縁を、一名、「虚」 花の」というのは、「七重八重、花は咲けども山吹の、実のひとつだになぞ悲しき」と いう古歌の山吹の花と同様、花咲けども実らず、すべてムダ花であるというところからきて いるのである。よそ目には華やかに見えて、内実は空しいのである。苦労したあげく、さい ごの収穫はごっそりと人に持ってゆかれてしまう。
この因縁を持つ人は、わりあい運気 (生命力の強い人が多く、中途で挫折しては、また 立ち上がって仕事をし、また七、八分通りで挫折して、そのままになるかと思うとまた立ち 上がって、また挫折する、というように、七転八起の起伏のはげしい人生を送る人が多い。 そうして、結局は、挫折したままで終わるのである。
大体、因縁のあらわれ方には二通りあるのであって、その因縁が、そのままその人の性格
にあらわれている場合と、性格にはあらわれない場合とがある。
この中挫折の因縁の場合も、この因縁がそのまま性格にあらわれて、非常に気の弱い意 志薄弱の型と逆に、非常に気のつよい意志強の型がある。
意志薄弱のタイプは、何をやってもすぐにあきてしまって、 ながつづきしない。気うつり がはげしい。学業、職業、すべてがそうで、転々とする。 文字通りの中途挫折 志弱行の 型である。
もう一つのほうは、これと全く反対で、性格もつよく、意志も強固で、努力家でもある。 然るに、かえってその強さが人と相容れず、上の者と衝突したり、同僚と円満に協調出来な かったりして、失敗し、挫折する。あるいは、ここ一番という大事なところで、きまってつ まらぬミスをしたり、人の誤解をうけたり、妨害をうけたりする。また、病気や怪我などで 手違いが生ずる、というように、必ずなにかしら障害が発生して、チャンスをつぶすのである。 先日、わたくしを訪ねて来た人に、そういう人があった。
四十七、八歳の会社員で、立派な人物であったが、この人に、この因縁があったのである。
聞いてみると、今までに八回も勤め先を変えているという。意志強固の努力家型だが、と思っ て聞いてみると、この人は、一流の財閥会社に勤めているのだが、系列の子会社に出向させ
られると、その会社は、きまって、他に合併したり、業績不振で閉鎖させられてしまうので ある。本社にもどると、同期の社員で本社に居たままの者はかなり上の方に進んでおり、処 週に困るので、また傍系の会社に出向重役として出される。するとまた、その会社がおかし くなる、というわけで、今までがその繰り返しだったというのだ。
念のためにいうが、それは、この人の経営の腕が悪いために、この人が行った会社がみん なダメになるというのではないのである(手腕という点からいえば、むしろ人並み以上の手 腕を持っているのである)。この人が行っても行かなくても、その会社はダメになるのである。 そういう会社に、この人は行かねばならぬような廻り合わせになってしまうのだ。 今度の会 社もおかしくなってきているので、相談に来たのです、というのだが、典型的な中途挫折の 因縁のあらわれかたであった。
薄弱行タイプの場合は、すぐにあきたり、気移りしたりして自分から会社を転々とする が、意志強固タイプの場合は、自分では一心に努力をして会社を変わるつもりはさらさらな いのだが、他動的に転々と変わらざるを得ないようになってしまうのである。その人の意志、 思考 心構えなどに関係なく、結果は結局おなじことになってしまう。 それが、因縁という ものの、こわいところである。精神一到何事か成さざらんや、と気張ってみたところで、こ
待っていては、ダメなのだ。外がないのである。つねに転々とし 挫折する。
昔からよく、「人間には誰でも一生に三度はチャンスがある」といわれているが、運の ない者でも三度はチャンスがあるかわり、運のある者でも、三度以上そう何回もあるもので はない。人生ここ一番というチャンスを二、三度この因縁でつぶされてしまったら、もうそ の人間は一生芽が出ないものと思わねばなるまい。そうして、この因縁のこわいところは、 この因縁は必ずその子に遺伝し、 その場合、きまって親よりその子のほうが一段と因縁の度 を深めて悪くなってゆくことにあるのだ。
この中途挫折の因縁が、そのようにして一段と強くなった場合、
運気不定・浮沈の因縁
という因縁になる。
これは、運気に根が生じないので、 そのため、浮沈変転してとどまらないのである。
いわば、根無し草の人生である。 居住、職業が定まらず、転々とする。 一時的に幸運を得
ることがあっても、永続しない。 一生、ホームレスか、それに近い境界となる。
女性の場合、ちゃんとした結婚生活をつづけることが出来ない。再婚、三婚し、しかしい くら結婚を繰り返しても、決して安定した夫婦生活を持つことは出来ない。
「色情の因縁」のある場合は、不倫の関係に陥ったり、あるいは売春をする悲惨な因縁である。
そうこく
肉親血縁相剋の因縁
こんばん
これも、根本は、家運衰退の因縁から出てきているものである。
この因縁は、肉親の者同士、血縁者同士が、たがいに運気生命力を損ねあい、傷つけあっ 分散してゆくのである。
毛利元就の「三本の矢」の教訓を逆にいって、おたがいに助けあい、協力しあってゆくべ 肉親血縁者が、離散し、孤立して、次第に没落してゆく。
まさに、家運衰退のあらわれである。
に進展してゆく。
この因縁があると、同居している親子、兄弟など、血縁者が、年中和でが絶えない。 これは、血縁者同士でお互いの運気 生命力を損ねあい、傷つけあっているので、無意 識のうちに反発しあって争うのである。この場合、運気を傷つけあうといっても、必ずしも 表面立って争いをするとは限らない。ただ同じ屋根の下に住んでいるというだけで、相手の 運気(生命力)を損ねるのである。それはちょうど、何か目に見えない光線のようなものを 放射しあって、相手の生命力を傷つけるように思われる。 人間の生命というものは、自分を 守るという自衛本能を持っているから、その本能がはたらいて、無意識のうちに生命力を結 集して相手に反発する。 その結果として、相手の何でもないような動作や一言一句が非常に 気にさわる (神経が立っているので)。そこで諍が始まるのである。肉親同士で異常に仲が 悪いのはこのためである。それに加えて財産などの利害関係がからむと、非常に深刻な争い
この因縁のある家庭で、もし、同居の肉親同士が不和でなければ、家族の中に誰か一人、 年中病気で苦しむ者か、極端に不運で運の開かぬ不遇の者が必ず出る。
相当の才能、手腕がありながら、常にチャンスを逸したり、チャンスに恵まれない不遇の人、 あるいは長年病弱の人は、前記の「中途挫折の因縁」か、または、この「肉親血縁相剋の因縁」
によって運気(生命力)を害されているのではないかを疑ってみるべきである。どちらか
の因縁があったら、それを断ち切らぬ限り、いくら努力しても一生空転するばかりなのだ。 この因縁を持つ人、(あるいはこの因縁のある家系)には、必ずといっていいほど、霊 的な障害がある。つまり、三代か四代前に、その家(または人)を強く恨んで亡くなった怨 念のホトケがいるのである。
また、横変死した人の霊障を受けている場合がほとんどである。
前に述べた「家運衰退の因縁」、「中途挫折の因縁」、「運気不定・浮沈の因縁」は、いずれ も霊障のホトケより生じていることが多い。
この霊障を解かぬかぎり、この因縁は、何代でもつづく。
成仏法によって、霊障のホトケを解脱成仏させる以外に方法がないのである。
我が子の運気剋する因縁
これは、肉親血縁相剋の因縁の変形で、親がわが子の生命力を害するのである。そのため、
子供は年中となる。あるいは不具者として生まれたり、不具者となったりする。たいて いは十歳くらいまでに死亡する。
もし、その子が非常に生命力が強ければ、素行が乱れるようになって、幼少にして、家を 飛び出す。これは親のそばにいると生命力を削られて、危険なので親のもとを飛び出すよう になるのである(もちろん、本人はそのことを知らないが)。
最近、 少年少女の非行問題についていろいろと対策が練られようとしているが、世の親は、 こういう因縁のあることに気がついて欲しい。
因縁なんて迷信じゃないかなどとバカげたことをいっていないで、自分自身にそういうも のがないかどうか、よくよく考えてもらいたい。
父親にしても母親にしても、この因縁があると、子供が必ず異常に反抗する。もちろん、
子供の成長期間中に反抗期という一時期があることは事実だが、この因縁による反抗は異常 なのである。これは、前記の肉親血縁相剋の因縁の場合と同じように、自分の生命力を侵害 してくるものに対して自衛本能がはたらき、 我が生命力を結集して反撃しようとするゆえに 一言一句、ことごとく反抗反発するのだ。 わが身を守るかわいそうな姿なのである。 私は、いつも、この因縁をもつ親と子を見ると、毛をさか立てキバをむき出して、敵に噛
みつこうと必死になっている仔犬の姿を思い出す。
成功者の家庭に素行不良の子がわりに多いのは、他に原因はあるけれども、運気のつよい 親はえてしてその運気のつよさが同時に子をする因縁をも伴ないやすいため、そういう結 果を生じやすいのである。
素行不良の子を持つ親、異常に親の言うことをきかぬ子を持つ親は、根本的な対策の一つ としてこの因縁の有無をまず調べてみよ。この因縁がなければ比較的容易に直るが、この因 縁あるかぎり、絶対に直らぬのである。
この因縁は水子の霊障から生じていることが多い。
逆恩の因縁
これは恩を仇で返す因縁である。
これも家運衰退の因縁に根ざすものである。
要するに、恩を受けた人 (主人、師、 上長、 取引先、先輩など) をだましたり、傷つけた
とにかく相手に何かしら損害をあたえる。だしいのは もしその者の 持っていたなら殺して金品を奪ったりする。そこまでいかなくとも必ず思のある人 裏切りそなく
因縁というものは、必ずしも性格的なものとは限っておらぬので、「恩を仇で返す因縁」 を持った者が必ずしも恩を仇で返すような性格を持っているとは限らない。中途挫折の因縁 を持っている者が必ずしも薄志弱行型の性格を持っているとは限らぬ、と先に書いた通りで ある(もちろん、持っている因縁がそのままその人の性格になっている人もかず多いが)。 この逆恩の因縁の場合も、性格としては、恩を仇で返すというようなものと反対に、一心 に恩義にむくいようとする心がけを持っていて、そのように努力をしながら、かえって結果 的には、その恩義を仇にして返すようなことになってしまうことがよくある。例えば、主人(会 忠実で一心に尽くすのだが、それがかえって主人(会社)のためにならぬような結果 を生む努力してお得意や取引先をつくると、その取引先が何千万、何億円という不渡り手 形を出したり、倒産してしまったりして、主人(会社)に大きな迷惑をかけてしまう、とい うようなことになる。
大体、自分にとって恩のある人というのは、自分に好意を持ち、あるいは信用して、自
分を引き立て、力になってくれる人である。こういう相手に、無意識とはいえそういう損害
をあたえたり、そむいたりするということは、自分で自分の手足をもぐことである。 自分の 有力な味方を失うことになる。そこで孤立無援となり、人生の失敗者となってゆく。 人を使う人、使われる人も、ともにこの因縁には注意が必要である。
こくがい
夫の運気を害する因縁
女性が持つ因縁である。
夫の運気(生命力)を目に見えぬ力で損ね、削る。 といっても、必ずしも、日常生活にお いて夫を尻の下に敷いたり、夫を虐待するというのではない。もちろん、そういう場合もな いことはないが、前にも書いたように、因縁というものは性格にあらわれる場合と性格にまっ たくあらわれぬ場合とがある。この因縁の場合もその通りで、むしろこの因縁を持つ女性は マメマメしく夫につかえる良妻賢母型に多いので始末に困る。 江戸川柳に、
「次の間で毒が薬を煎じてる」
めなのである。
という旬があるが、これは、まさにこのパリにしているもの 心させられる。
この旬の意味は、王が年中病弱で寝ている、その家をたずねてみると、王の寝ている 次の部屋で、若い美しい細君が、甲斐々々しく薬を煎じている。 しかし実際は、この美しい 細君が病身の亭主にとっては毒なのだ、というところから、細君が薬を煎じているのを、 毒 が薬を、と皮肉っているわけである。
この因縁を持つ女性を妻に持つと、その夫は年中病弱となるか、または仕事がうまくいかず、年中失敗したり、渋滞しがちとなる。 生命力を削られるところから、運が非常に悪くな
るのである。いかに才能、手腕があろうとも、必ず何か一つの不運につきまとわれる。 細君 が一心につかえればつかえるほど、夫の運気が悪くなるのであるから厄介である。
やっかい
世間によくあることだが、立派な細君を持った夫が、 他に女性を作り、その女性よりも 細君のほうがはるかに容色も頭もすぐれているので人が不思議がる例がある。これは、細
君のほうに、この、夫の運気を翹害する因縁があるために、夫が、生命力自衛の本能から、 無意識に細君に反発して、そういう因縁のない運気のおだやかな女性を求め、逃避するたになる。
中年になってそういうことがよく起こるのは、もちろん、中年代で経済的に余裕が出来た り、細君の容色が衰えてきたということも理由の一つにはなるが、根本的には、若いうちは、 夫のほうも生命力がつよいので妻の運気害にも平気で耐えられているから、それほど感じ ないが、年をとるにつれて生命力が弱り、憩いの場が欲しくなってくるのである。
この因縁の強いものをもつ女性が、いわゆる「後家運」と呼ばれるもので、色情の因縁の ある夫は、前記したように他の女性に逃避し、色情の因縁のない夫は、趣味に逃避したり、 仕事に没頭したりして、冷たい家庭となる。
もし、生命力の弱い夫であったら、死んでしまう。 すなわち、 後家運と呼ばれる所以であ 女性としてしあわせな家庭を持とうと思ったら、まず切らねばならぬ因縁である。
夫婦縁障害の因縁
夫婦縁、結婚生活に障害が起きる因縁である。
なんとなくお互いに性格が合わず、年中不満を持ちあってゴタゴタが絶えず、冷たい家庭
または、お互いに愛情はあるのだが、どちらかが気になって居 仕事の関係で別れ別れに住むことになる。シュウトなどの関係で夫婦仲がうまくいかね、 など、とにかく、愛情の有無にかかわらず、結果的に夫婦仲がうまくいかない。離婚してし まうというところまではいかぬが、とにかく、年中その一歩手前までいってゴタゴタしてい るのである。
夫婦縁破れる因縁
この因縁を持っている人は、男女とも、必ず生別か死別をまぬがれない。生別となるか死 別となるかは、相手方の生命力の強弱による。
刑獄の因縁
凶運の時に、必ず刑事事件を起こして、刑務所につながれることになる因縁である。 たいてい他の悪い因縁をあわせ持っていて、それらの悪い因縁とからみ合って起きるのが ふつうである。
ごく悪い因縁が他にあると、殺人強盗の凶悪犯となり、軽い場合には業務上の過失、 選挙 違反などで刑罰にふれる。
この因縁があると、心がけの良い悪いにかかわらず、必ず罪にふれることになる。 先日相 談に来た人で、こんな例があった。立派な人格者で、某大学の助教授であるが、ほんの僅か
交際の酒を呑んで帰りの車を運転し、暗がりで人をひいて重傷を負わせてしまった。飲酒運 転の罪に問われ、裁判中である。
これも、霊障によって起きることが多い。
目を失い、手足を断つ肉体障害の因縁
目がつぶれて失明したり、手足を断つ、というように、肉体に傷害を受ける因縁である。 つまり怪我の因縁で、自動車、汽車、電車等の事故に遭うのはみなこの因縁を持っている人 である。人から傷害を受けるのもこの因縁である。べつに、病気の因縁を持っている人は、 その因縁と結びついて、手術、という形になってあらわれる場合も少なくない。
事故で手足を失う、ということに出る場合のほか、神経痛、リウマチ等で手足が痛んだり、 足腰が立たなくなったりする。
脳障害の因縁をあわせ持つ人は、脳溢血、または脳軟化症などから中気になって、長年寝
この因縁が内臓にあらわれた場合、肺結核、気管支炎、喘息などの呼吸器疾患を病む。
幼児でこの因縁を持った子が、 年中この因縁に体を責められるため、発育不良になったり、 病質になったり、強度の神経質、夜泣きなどをするようなことがある(幼児、少年の神経 〈カン症は、脳障害の因縁からくる場合と、この肉体障害の因縁に責められてなる場合
二通りあるのである)。
横変死の因縁
肉体障害の因縁が更に強くなり、悪化したもので、必ず、横死、変死をする。 自殺、他殺、 事故死のいずれかをまぬがれることができない。多く、三代以内の血縁中に、同じ因縁で亡 くなった縁者を持っているのが特徴である。このホトケをさがし出して解脱成仏させなけれ ば、必ずこの因縁の結果通りとなる。 縁者でなく、他人のホトケであることも少なからずある。
脳障害の因縁
この因縁は、精神病の場合と、精神病でない頭部の障害の二種に分けられる。
すなわち、精神病 (ノイローゼ 脳梅毒など)と、頭部の怪我、または脳溢血、脳軟化症の軽いの人は
肩こり、
まされる。
手がきかな
肉体障害のをあわせ持つ人は、脳から気になったり、 くなったりする。 脳性マヒなどもこの因縁のあらわれである。
二重人格の因縁
前記の脳障害の因縁の系列に入る因縁に、この二重人格の因縁がある。
酒を呑むと、ガラリと人が変わってしまって、全く別人のようになってしまう。
酒乱はこの因縁である。表面意識がアルコールで麻痺すると、遺伝している潜在意識や深
層意識が浮かび出て、別の性格が入れかわって出て来るのである。 異常性格・同性愛なども この因縁である。
この因縁は、家運衰退の因縁にも深い関連があり、二、三代前の縁者で、非常に不幸な、
うるみ いだ
恵まれない死に方をした人か、あるいは、他人で、その家に非常な怨念を抱いて死んだ者の
いることが特徴である。
癌の因縁
胃ガン、子宮ガンなど、この因縁を持つ人は必ず癌になる。
循環器系統障害の因縁
色情の因縁
心臓、腎臓、肝臓等の循環器系に故障を起こす因縁である。
男女が、異性(同性の場合もある) によって苦しんだり傷ついたりする因縁である。これ は、家運衰退の因縁のもととなる因縁である。
大人のトラブルでられるがある ということになる。
編業の因縁
職業の上にあらわれる因縁である。
この因縁を持つ人は、宗教家、芸術家、芸能人、裁判官、水商売などが適する。 そのどれ がよいかは、別の因縁とも照らしあわせてみる必要があるが、とにかくこの因縁のある人は、
これらの職業以外につくと絶対に芽が出ない。つまり、適性ということに関係してくるわけ だが、そういうことをふくんだ上で、運命的にその職業以外では伸びない、ということである。 職業の適性ということは非常に重大なことで、それゆえに、いろいろな適性検査などが考
案されているわけだが、適業、適性、というものは、因縁的に決定されているのである。
人の職業は、大づかみにいって、技術系(生産事業、技術者)、営業系(販売事業、営業、商人)、 組織系(官公吏、政治家)の三種に分けられるが、人はみな、それぞれの系列に向く因縁と
向か因縁を持っており、向かぬ職業に就いた場合、絶対に芽が出ぬものであるから、注意 して選択しないと生涯の不幸となる。
財運・水の因縁
財運があって、お金は人より何倍も多く入ってくるが、木のように流れ出してしまって、 身につかない。
無理に溜めようとすると、自分が病気になったり、家族が病気になったりする。これは、 木の財運で、水というものは、流動しているかぎり腐敗せず、きれいである。溜まり水は必 ず濁り、腐敗する。それと同じで、この因縁を持つ人は、常にお金が流れ動いて身につかぬ のである。無理にお金を溜めると、腐敗現象が起きて、家族に病人やケガ人が出たり、人に だまされたりして、全部、お金が出て行ってしまう。
頭領運の因縁
人の上に立つ因縁である。この因縁をもつ人は、必ず、大なり小なり人の上に立って、人 の頭領となる。但し、この頭領運に二種類あって、純然たる頭領運と、組織内の頭領運とに 分けられる。純然たる頭領運は、だいたい創業者として成功する。 組織内の頭領運は、専務、 一部長という一分野の首長で終わる。
頭領運はよい因縁の部類に入るが、反面、孤独運を持ち、晩年は家庭的に不幸になりやすい。 頭領運のない人は、自ら頭領になると必ず失敗する。よき頭領運の人をえらんで、次位に 甘んじ、よく補佐をすることに専念するがよい。 それが、自分の才能、手腕を十二分に発揮 し得る最良の道である。野心を持って自分がその位置に就くと、物事渋滞して苦労ばかり多 必ず失敗するのである。
子縁うすい因縁
子供との縁がうすい因縁である。
ここの因縁があると、子供が生まれないか、生まれても、五、六歳になるまでに死んでしまう。 また、自分の実子と縁がうすいだけではなく、養子をもらっても、この因縁ある限りうまく いかない。その養子の運気 (生命力が強ければ衝突して出て行ってしまうし、生命力が弱 ければ死んでしまうのである。
産厄の因縁
出産に際して、難産で苦しむ因縁である。衰運の時期で生命力が弱っている時にあたると、
死ぬ恐れがある。 水子の霊障や、難産で死んだ縁者の霊障のあることが多い。
五タテの因縁とヨコの因縁
以上、人間の持つ
あなたも、これらの因縁の中のいくつかを 体を述べてきた。
必ず持っているはずである。
では、これらの因縁は、いったい、どこから生じたのであろうか?
仏陀は、経典の中で、
「種の差別は業に由る」
とおっしゃっておられる。
ているのである。
つまり、「業」によって、人それぞれちがう因縁を持って生まれるのである、とおっしゃっ
では、業は、因縁に対してどのようにはたらくのか?
阿含宗では、基本的には「タテの因縁」と「ヨコの因縁」となってあらわれると説く。
タテの因縁とはなにか?
祖先から受けついである。