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霊的なる道への一歩:四つの階梯と修行者の旅

2024-01-22 18:17:05 | タブレットPC
 
1. 四つの階梯:
- 1つ目: srota äpanna-(須陀きよめられた聖者)
- 2つ目: sakrd-agamin-(阿那)
- 3つ目: anāgamin-(阿羅漢)
- 4つ目: arhat-(斯陀含)
2. 修行者の進化:
- 高められた聖者
- 飛躍した聖者(次元を超える)
- 完成した聖者(仏陀)
3. 大脳辺縁系・新皮質脳の修行:
- 大脳辺縁系・新皮質脳を一時的に閉ざし、間脳を開発することで問脳を開発。
- 問脳開発後、新皮質脳が新たに活性化し、超人的なインスピレーションと創造力を得る。
4. 成仏法:
- 七つのシステムと三十七のカリキュラムから成る方法と体系。
- グル(聖師)の存在が不可欠であり、霊性開顕の仏道修行において大きな役割を果たす。
5. グルへの畏敬と憧憬:
- グルは仏陀そのものであり、無限の昔から輪廻の旅を続ける弟子にとって尊い存在。
- グルに心から尊敬し、指導に従うことが霊的成長への鍵。
6. 受け入れの秘儀:
- 凝視の方法とアージュニャー・チャクラへのメッセージ伝達による入門得度。
- グルが弟子の霊的障害や指導方法を凝視し、それに基づいて指導を行う。
7. 霊感伝授受け入れの秘儀:
- 最高の霊法をもとに、脳の深部の霊性の場に強力な霊力を送り込む高度な秘儀。
- 熱心に修行した成仏法を受け入れられる弟子にのみ開示される。
1. Four stairs:
- 1st: srota äpanna- (purified saint of Suda)
- Second: sakrd-agamin- (Ana)
- Third: anāgamin- (Arhat)
- Fourth: arhat- (including 斯陀)
2. Evolution of the practitioner:
- Exalted Saint
- The Saint Who Leaped (Beyond Dimensions)
- Perfected Sage (Buddha)
3. Limbic system/neocortical brain training:
- Developing the interbrain by temporarily closing the limbic system and neocortical brain and developing the diencephalon.
- After brain development, the neocortical brain becomes newly activated and gains superhuman inspiration and creativity.
4. Buddhahood Dharma:
- A method and system consisting of seven systems and thirty-seven curricula.
- The existence of a guru is essential and plays a major role in Buddhist training for spiritual enlightenment.
5. Reverence and admiration for Guru:
- The Guru is the Buddha himself, and has been a precious existence for the disciples who have continued their journey of reincarnation since time immemorial.
- Truly respecting your guru and following his guidance is the key to spiritual growth.
6. The Mystery of Acceptance:
- An introduction to the method of gazing and conveying messages to the ajna chakra.
- The guru closely monitors the disciple's spiritual obstacles and teaching methods, and provides guidance based on that.
7. The Mystery of Receiving Inspiration:
- An advanced mystery that sends powerful spiritual power to the deep spiritual field of the brain, based on the highest spiritual methods.
- It is only disclosed to disciples who have practiced diligently and are able to accept the Buddhahood Dharma.
 
四つの階梯とは、
そこで、この四つの階梯について、のべてみよう。
1 srota äpanna-
二、 sakrd-agamin-
三、 anāgamin-
四arhat-
である。
説明すると
須陀きよめられた聖者
 
阿那含
阿羅漢
斯陀含
高められた聖者
阿那
飛躍した聖者 (次元を)
阿羅漢
次元を超越し、完成した聖者、「仏陀」ともいう。
インスピレーション
では、この四つの階梯を、修行者はどのようにして歩んでいくのだろうか。
大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行
それはひと口にいって、大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行である。
大脳辺縁系と新皮質脳を殺さなければ、 間脳は作動せず、第三の目は開かな いのである。
ただし、誤解してはいけない。 大脳辺縁系・新皮質脳を殺すということは、 究極において、大脳辺縁系、 ことに新皮質脳を生かすということなのである。新 皮質脳は「創造の座」であるといわれる。しかし、ほんとうの創造の座は間脳に あるのである。 間脳はこれまでくり返し説いてきたように、霊性の場であり、
感のなのである。ここが開発されることにより、ほんとうのインスピ レーションが発生するのである。
ただし、問脳を開発するためには、しばらくの間、大脳辺縁系と新皮質脳を 閉ざさなければならないのである。 間脳が開発されたとき、新皮質脳は新しく よみがえる。新しくよみがえった新皮質脳こそ、霊性を基盤とした超人的なイ ンスピレーションと創造力を持つ頭脳となるのである
 
賢明な読者はすでにお気づきであったろう。これが、チベット密教のいう 「思念による王者の相承」であることを。 思念による王者の相承とは、じつ に、霊的バイブレーションによる伝達だったのである。
 
わたくしは、これによって、解説に至る四つの階梯のうちの、第三の境地に 達したことを自覚したのであるが、これは、 間脳開発の練行tapasを成就してい なかったら、絶対に得られなかったものである。 内なる受容の態勢がととのっ て初めて、外よりの王者の相承が発せられるのである。
解脱に至る四つの階梯
バイブレーション
いま、わたくしは、「解説に至る四つの階梯」といった。
 
だれでも、解脱に至るためには、この四つの段階を経なければならない。そ
してこの四つの階梯を、すぐれた聖師にしたがって歩んでいくならば、だれでも 解説に到達できるのである。もちろん、あなたにしてもそのとおりだ。
四つの階梯とは、
そこで、この四つの階梯について、のべてみよう。
1 srota äpanna-
二、 sakrd-agamin-
三、 anāgamin-
四arhat-
である。
説明すると
須陀きよめられた聖者
 
阿那含
阿羅漢
斯陀含
高められた聖者
阿那
飛躍した聖者 (次元を)
阿羅漢
次元を超越し、完成した聖者、「仏陀」ともいう。
インスピレーション
では、この四つの階梯を、修行者はどのようにして歩んでいくのだろうか。
大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行
それはひと口にいって、大脳辺縁系・新皮質脳を殺す修行である。
大脳辺縁系と新皮質脳を殺さなければ、 間脳は作動せず、第三の目は開かな いのである。
ただし、誤解してはいけない。 大脳辺縁系・新皮質脳を殺すということは、 究極において、大脳辺縁系、 ことに新皮質脳を生かすということなのである。新 皮質脳は「創造の座」であるといわれる。しかし、ほんとうの創造の座は間脳に あるのである。 間脳はこれまでくり返し説いてきたように、霊性の場であり、
感のなのである。ここが開発されることにより、ほんとうのインスピ レーションが発生するのである。
ただし、問脳を開発するためには、しばらくの間、大脳辺縁系と新皮質脳を 閉ざさなければならないのである。 間脳が開発されたとき、新皮質脳は新しく よみがえる。新しくよみがえった新皮質脳こそ、霊性を基盤とした超人的なイ ンスピレーションと創造力を持つ頭脳となるのである。
ではそれはどんな修行か?
霊性完成の方法と体系
釈尊が残した霊性完成の修行法がそれである。 これを、わたくしは、 「成仏 「法」とよんでいる。成仏とは霊性を完成したことをいい、それを成就した人を
「仏陀」とよぶ。だからわたくしはその方法を、「成仏法」とよぶのである。 くわしくは、「輪廻転生瞑想法II」 でのべたとおりであるが、それは七つのシ ステムと三十七種のカリキュラムから成る成仏のための方法と体系である。これ
阿含経では「七科三十七道品」あるいは「三十七菩提分法」 とよぶのであ る。この二つの名称は、わたくしが勝手につけたのではない。古来からの仏教用 語である。
わたくしが、阿含経以外のお経法華経、阿弥陀経をはじめすべてのお経 いささか激しい表現で批判するのは、阿含経以外のお経には、どの経典に も、この成仏法がないからである。釈尊がじっさい説かれたのは阿含経だけで あるという歴史的な事実のほかに、阿含経以外には、この「成仏法」がないか わたくしはそういうのである。 「成仏法」のない経典など、わたくしは真実 仏教経典と認めることはできないのである。もちろん、それなりの存在意義 なり存在価値はあろうが、本流ではない。傍流というべきである。このことに 関しては、わたくしの他の著書を読んでいただきたい。
七科三十七道品とはつぎのようなものである。
 
四法
身念住法 受念法
心念住法。
法念住法
以上である。
四正断法 断断法修断法 随護断法 律儀断法
四神足法 神足法 勤神足法 心神足法 観神足法
五根法 信根法 精進根法 念根法定根法 慧根法
五力法 ―信力法 精進力法 念力法定力法 慧力法
七党支法 一択法覚支法 精進覚支法 喜覚支法 軽安覚支法 捨覚支法 定覚支法念覚支法
八正道法正見法 正思惟法 正語法 正業法 正命法 正精進法 法定法
この七科目、三十七種のカリキュラムは、
う。
 
に分類できる。
四念法・五根法は、瞑想である。
霊性の洗礼
四正断法・五力法・七覚支法・八正道法は、実践と瞑想である。
四神足法は、特殊な練行tapas である。
神足とは、神通力(超能力)のことで、この四神足法は、 超自然の神通力を得 るための四種の修行法である。 前にのべたわたくしの練行tapas はこれに属する
この七つの科目のうち、 練行tapasを中心に、瞑想と実践の科目をとり入れて 修行するのである。どの科目をどうとり入れて、どのように訓練するかは、 聖師が決定する。修行者それぞれ、みな素質と因縁がちがうので、それを見 て、グルが決めるのである。
この修行において、グルの果たす役目は大きい。グルについて、少しのべよ
まず、間違いなく霊性を開顕したグルを見つけて、そのグルに受け入れても らうことである。それができたら、この修行は八分どおり成功したといっていい くらいである。それくらい重要なことであり、かつ、むずかしいということで ある。
グルなくして、正しい霊性開顕の仏道修行は不可能である。ふつうの仏教信 心とはちがうのである。 信心のしかたや、信仰のしかた、経典の講義や解釈を教 わるという程度のものならばとにかく、霊性開顕の仏道修行は、強力な霊的能力 を持つグルの助けなくしては、絶対といっていいほど、できないのである。
たとえば、インド近代の聖者ラーマナ・マハリシが、入門者に対して、「凝視 の方法」で受け入れの儀式をおこなったとき、彼の両眼の輝きと力が相手の心 をつらぬいて、その雑念の流れを断ち切ってしまったといわれる。ときとして は、まるで電流が身の内に流れ込んだように相手は感じたともいわれる。
こういう霊的体験によって、弟子はまず心をきよめられ、霊的なものに対す あこがれ、霊的向上心をいだくようになるのである。霊性の洗礼である。その 人の素質にもよるけれども、一度、霊的な洗礼を受けた者は、霊的感覚がひら かれ、霊的世界への憧憬が芽ばえる。いままでとちがう高い次元の存在が、感覚 されるのである。霊性開顕への第一歩で、これが非常に大切なのである。わた くしなども、弟子に対し、 わたくし独自の受け入れの方法をおこなうが、ただ問 題は、ほんとうに霊性開顕したグルは非常に稀だということである。 にせもの グルや、未熟なグルにかかわり合うと、とり返しのつかぬことになる。まず、 間違いなく霊性を開顕したグルを見つけること、つぎにそのグルに受け入れても らうことだ。グルはなかなか弟子を受け入れないものである。
さいわいに、受け入れてもらった弟子の心がまえについて、のべておこう。 グルに受け入れてもらったら、弟子は、そのグルに心からしたがうことであ る。心から尊び敬わなければならない。
グルは弟子にとって仏陀そのものなのである。グルは弟子にとって、過去に
へんげしん
出現した仏陀たちの変化身であり、未来の仏陀たちが生まれ出る母であり、い まここに仏陀を体現している尊い存在なのである。
グルは、弟子にとって、この世の中のいかなるものよりも尊い、かけがえの ない存在であるといわねばならない。なぜならば、弟子は無限の昔から輪廻の旅 をつづけて、いまここに至っている。 これからも苦しい輪廻の旅を無限につづけ ていかなければならない。過去、いままでの生)にどれだけ多くの仏陀たちが 輪廻の鎖を断ち切ってニルヴァーナに至るようよびかけたことであろうか。し かし、煩悩と悪行に心曇らせていたために、弟子は、それらの仏陀たちの招き にこたえることができなかった。それがいま、ここに、無量の慈悲心をもって ニルヴァーナに導いてくれる師があらわれ、その方と縁が結ばれた。グルこそ 仏陀そのものなのである。その深い畏敬と憧憬の心をもってグルにしたがった とき、グルは全身全霊の力をもって、弟子を導いてくれるであろう。グルは、 弟子と仏陀とを結ぶかけがえのない水路であり、この水路を通じて仏陀の霊性 霊的パワーが弟子の心に流れ込んでくるのである。最終的な霊性の開顕は、
グルからの霊的パワーの感応なのである。 感応道交といい、画龍点睛という言葉があるが、すべての技法の最後の仕上げは、グルからの霊的感応なのであ る。そしてそれは、師と弟子と、純一無雑に心が融け合わねばなしえないもの なのである。
受け入れの秘儀
ここで、わたくしがおこなってきた独自の「受け入れの秘儀」についてお話 ししておこう。
わたくしのおこなう、「受け入れの秘儀」とは、凝視のしかたと、 それから、 わたくしの指導によるアージュニャー・チャクラへのメッセージ伝達から成っ ている。
この凝視のしかたをおこなう聖者は、ほんのわずかであるが、わたくし以外 にもおられる。しかし、これは、クンダリニー・ヨーガを完成した聖者でなけれ ばできない。
このことは、前出の『密教・超能力の秘密」に書いているが、このころ、わ たくしは「受け入れの秘儀」に凝視のしかたで臨むということを、 すでに決め ていた。しかし、残念ながら、当時、わたくしの弟子として受け入れることので きる人は、まったくといっていいほどいなかった。 最近になってようやく、熱心 に修行している弟子の中から出てきて、実現できたのである。
「受け入れの秘儀」は、いわば仏教の入門得度にあたる。だから、弟子のことを いつも心にかけ、その一人一人に応じたしかたで指導していく。凝視したとき に、 「今後、どのように指導していったらよいか。 どういう霊障を持っているの か」がすべてわかってしまうので、それに応じて指導していくのである。
そして、アージュニャー・チャクラへのタッチも、おこなう。 弟子へのメッ セージを伝えるのである。それには三種類あるが、いずれも、潜在意識に直に 伝える。これは、前述の「思念による王者の相承」の一部にもなっているので ある。
さらに高度な「霊感伝授受け入れの秘儀」へ
既刊「輪廻転生瞑想法I」でのべたとおり、阿含宗は、すでに南伝、北伝、 東伝の三つの仏教体系を統合した世界で唯一の完全仏教教団であったが、先 年、ブータン仏教から強力な霊力を持つ、世界最高の霊法を伝えられたことに より、霊力の面でも完璧となり、名実ともに世界的な完全仏教となった。
わたくしは、この世界最高の霊法をもって、前述の「受け入れの秘儀」を発 させた、さらに高度な秘儀、「霊感伝授受け入れの秘儀」をはじめることにし た。
なぜ霊感伝授”なのか?
さきほどわたくしは、
インスピレーション
間脳はこれまでくり返し説いてきたように、霊性の場であり、霊感の座 なのである」
とのべた。
霊感伝授〟としたのは、この秘儀が、霊感の座である間脳にアプローチする 秘儀だからである。
「受け入れの秘儀」は、凝視のしかたとアージュニャー・チャクラへのタッチ であったが、この「霊感伝授受け入れの秘儀」は、さらに脳の深部の霊性の場 二、強力な霊力を送り込む。
高度の秘儀であるので、そうとうに熱心に修行して、ある程度霊性を開顕し 弟子しか受けることができない。 しかし、弟子たちは、この「霊感伝授受け 入れの秘儀」を受けることで、成仏法を完全に受け入れることができる、ひと つの思念の力を受けとるのである。
 
Astute readers may have already noticed this. This is what Tibetan Esoteric Buddhism calls ``succession of the king through thought.'' The succession of kings through thought was actually communication through spiritual vibrations.
 
Through this, I realized that I had reached the third state of the four steps leading to explanation, but this is because I had achieved tapas, an exercise in the development of the diencephalon. It was something I could never have gotten. It is only when the inner state of acceptance is established that the mutual acceptance of the king from the outside can be expressed.
Four steps leading to liberation
vibration
Now, I call it ``four steps leading to explanation.''
 
Anyone must pass through these four stages in order to attain liberation. So
Anyone can reach the explanation by walking through these four steps according to the guidance of an excellent sage. Of course, the same is true for you.
What are the four stairs?
So, let's talk about these four steps.
1 srota äpanna-
2. sakrd-agamin-
3. anāgamin-
Four arhat-
It is.
To explain
Suda Purified Saint
 
Anagome
Arhat
Includes Sida
exalted saint
Ana
The Saint Who Leaped (Dimension)
Arhat
A saint who has transcended dimensions and achieved perfection, also known as the ``Buddha''.
Inspiration
So, how does a practitioner walk through these four stages?
Training to kill the limbic system and neocortical brain
Simply put, it is a training that kills the limbic system and neocortical brain.
Unless the limbic system and neocortical brain are killed, the diencephalon will not function and the third eye will not open.
However, don't get me wrong. Killing the limbic system and the neocortical brain ultimately means keeping the limbic system, especially the neocortical brain, alive. The neocortical brain is said to be the ``seat of creativity.'' However, the true seat of creation is in the diencephalon. As I have repeatedly explained, the diencephalon is a place of spirituality,
It's a feeling. It is through this development that true inspiration occurs.
However, in order to develop the brain, the limbic system and neocortical brain must be shut down for a while. When the diencephalon is developed, the neocortical brain is reborn. The newly revived neocortical brain becomes a brain with superhuman inspiration and creativity based on spirituality.
So what kind of training is that?
Method and system of spiritual perfection
This is the training method for spiritual perfection left behind by Shakyamuni Buddha. I call this the ``dharma'' of attaining Buddhahood. Buddhahood refers to the completion of spirituality, and refers to the person who has achieved this.
It is called "Buddha". That is why I call this method ``the method of attaining Buddhahood.'' In detail, as mentioned in ``Reincarnation Meditation Method II,'' it is a method and system for attaining Buddhahood that consists of seven systems and a curriculum of 37 types. this
In the Agon Sutra, it is called ``Seven Sciences, Thirty-Seven Ways,'' or ``Thirty-seven Bodhisattvas.'' I did not choose these two names arbitrarily. It is an ancient Buddhist term.
The reason why I criticize all the sutras other than the Agon Sutra, including the Lotus Sutra and the Amida Sutra, in rather harsh terms is because none of the sutras other than the Agon Sutra do not have this method of attaining Buddhahood. In addition to the historical fact that Shakyamuni Buddha actually preached only the Agon Sutra, there is no other ``Dharma for attaining Buddhahood'' other than the Agon Sutra. I cannot accept any sutra without the ``Dharma of Buddhahood'' as a true Buddhist sutra. Of course, it has some significance and value, but it is not mainstream. It should be called a side stream. Please read my other books on this subject.
The thirty-seven disciplines of the seven disciplines are as follows.
 
four laws
Mind-judgment method Acceptance method
Mind meditation method.
Hoenjuho
That's all.
Shisei Danho, Danshaho, Modification Law, Zuigodanho, Ritsugidanho
Four God Foot Laws, God Foot Law, Shinshin Foot Law, Shinshin Foot Law, Kanshin Foot Law
Five-radical method, Shin-kon method, Shojin-kon method, Nekkon-ho root method, Kei-gen method
Five power methods - Faith method, Devoted power method, Psychokinesis law, Eiryoku method
Seven-Party Branch Method One-Choice Method Gaku-Chi Method Shojin Gaku-Chi Method Ki-Kaku-Chi Method Light An-Kaku-Chi Method Saku-Gaku-Chi Method Jo-Gaku-Chi Method Nen Gaku-Chi Method
The Eightfold Path, the Law of Right View, the Law of Right Thought, the Law of True Words, the Law of Right Work, the Law of True Life, the Law of True Shojin Law, the Law of Statutory Law
These seven subjects and 37 types of curriculum are:
cormorant.
 
It can be classified into
.
The Four Thought Laws and the Five Root Laws are meditations.
baptism of spirituality
The Fourfold Dharma, the Five Powers, the Seven Awakenings and the Eightfold Path are practices and meditations.
Shigami Ashiho is a special practice of tapas.
Kamiashi refers to divine power (superpower), and these four divine foot methods are four types of training methods to obtain supernatural power. My practice tapas that I mentioned earlier belongs to this category.
Among these seven subjects, training focuses on tapas, meditation, and practice. The priest decides which subjects to incorporate and how to train them. Each practitioner has different qualities and connections, so the guru decides based on this.
The guru plays an important role in this training. Tell me a little about Guru.
First of all, find a guru who has definitely revealed spirituality, and even if you are accepted by that guru, he will not accept you. If he can do that, he can say that this training has been 80% successful. He says it's that important and difficult.
Without a guru, proper Buddhist training for spiritual enlightenment is impossible. This is different from ordinary Buddhist devotion. Even if it is just a matter of being taught how to have faith, how to have faith, and how to lecture and interpret scriptures, Buddhist training for spiritual enlightenment is absolutely impossible without the help of a guru with powerful spiritual abilities. Suffice to say, it can't be done.
For example, when Ramana Maharishi, a modern Indian sage, used the ``method of gaze'' to perform an acceptance ritual for initiates, the brilliance and power of his eyes penetrated the hearts of the initiates, clearing them of their thoughts. It is said that the flow has been cut off. It is said that at times he felt as if an electric current had flowed into them.
Through this kind of spiritual experience, the disciple's heart is first purified, and he develops a longing for spiritual things and a desire for spiritual improvement. It is a baptism of spirituality. Although it depends on the person's caliber, once a person has undergone spiritual baptism, their spiritual senses are enlightened and their yearning for the spiritual world begins to bloom. The existence of a higher dimension than before can be sensed. This is the first step towards spiritual enlightenment and is extremely important. I, his comb, etc., use my own method of acceptance for my disciples, but the problem is that there are very few gurus who have truly achieved spiritual enlightenment. If you get involved with a fake guru or an immature guru, you will be irreversible. First, find a guru who has definitely revealed spirituality, and secondly, if you are accepted by that guru, he will not accept you. Gurus do not easily accept disciples.
I would like to say this about the heart of the disciple who was fortunate enough to be accepted. Once a disciple is accepted by a guru, he becomes a disciple by following the guru wholeheartedly. It must be respected and respected from the heart.
The guru is the Buddha for his disciples. The guru is the past for the disciple.
Hengeshin
She is the incarnation of the Buddhas who have appeared, the mother from whom future Buddhas will be born, and she is a precious being who truly embodies the Buddhas.
It must be said that for the disciple, the guru is an irreplaceable person, more precious than anything else in this world. This is because the disciple has been on a journey of reincarnation since time immemorial and has now reached this point. From now on, he must continue his painful journey of reincarnation. How many Buddhas have called upon us in our past lives to break the chains of reincarnation and reach Nirvana? However, because his mind was clouded by his worries, desires, and evil deeds, the disciple was unable to respond to the invitations of these Buddhas. Now, here, a teacher appeared who guided him to Nirvana with infinite compassion, and he formed a bond with that person. The Guru is the Buddha himself. When he follows his guru with deep reverence and admiration, the guru will guide him with all his strength. The guru is an irreplaceable waterway that connects the disciple and the Buddha, and it is through this waterway that the Buddha's spiritual power flows into the heart of the disciple. The final manifestation of spirituality is
It is a response of spiritual power from the Guru. There is a term called sensō doko (sensation path training), and the final touch of all techniques is spiritual sensitivity from the guru. And this is something that can only happen if the hearts of master and disciple are united in a simple and pure way.
the secret of acceptance
Here, I would like to talk about the unique ``Mystery of Acceptance'' that I have been practicing.
The ``Mystery of Reception'' that I perform consists of a method of gazing and then, under my guidance, transmitting a message to the ajna chakra.
There are only a few saints other than myself who use this method of gazing. However, this can only be done by a saint who has perfected Kundalini Yoga.
I wrote about this in the aforementioned ``Secrets of Esoteric Buddhism and Psychic Powers,'' but around this time he had already decided that he would approach the ``Mystery of Acceptance'' with a fixed gaze. Ta. Unfortunately, at that time, there were very few people who were willing to accept me as my disciple. It was only recently that he came out among the disciples who were diligently practicing and was able to realize it.
The ``Mystery of Acceptance'' is, so to speak, an introduction to Buddhism. Therefore, he always cares about his disciples and instructs them in a way that suits each one of them. When he stares at him, he knows everything about how to guide him in the future.
Also, touch the ajna chakra. He conveys his message to his disciples. There are three types of it, all of which convey information directly to the subconscious mind. This is because it is part of the aforementioned ``succession of the king through thought''.
Towards a more advanced “Mystery of receiving inspirational transmissions”
As mentioned in the previously published book ``Reincarnation Meditation Method I'', the Agon sect was already the only complete Buddhist sect in the world that integrated the three Buddhist systems of Southern Buddhism, Northern Buddhism, and Eastern Buddhism. By transmitting the world's best spiritual law with powerful spiritual power, Buddhism became perfect in terms of spiritual power and became a world-famous complete Buddhism in both name and reality.
Using the world's highest spiritual law, I decided to begin an even more advanced mystery, the ``Mystery of Inspirational Initiation Acceptance,'' which had given rise to the aforementioned ``Mystery of Acceptance.''
Why “inspirational transmission”?
A while ago, I
Inspiration
As I have repeatedly explained, the diencephalon is a place of spirituality and a seat of inspiration.
He said.
The reason why it was called "Inspirational Initiation" is because this mystery approaches the diencephalon, which is the seat of inspiration.
The ``Mystery of Acceptance'' involved gazing and touching the ajna chakra, but this ``Mystery of Inspirational Initiation Acceptance'' further explores the deep spiritual places in the brain and the powerful spiritual power. Send it in.
Since it is a highly esoteric ritual, only disciples who have practiced it diligently and have revealed their spirituality to a certain extent can receive it. However, by receiving this ``Mystery of Inspirational Transmission and Reception,'' disciples receive the power of a single thought that enables them to fully accept the Buddhahood Dharma.
 
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Buddha  Japan Journal
Buddha Japan journal
日本の仏教を発信しますSend Japanese Buddhis
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仏舎利と密教の奇蹟   仏舎利と守護仏法の不思議な世界   

2024-01-22 17:42:45 | タブレットPC
 
 
 
- 仏教の仏舎利は、釈迦仏の遺骨や遺物を指し、信者にとって非常に重要な存在です。
- 仏舎利は、釈迦仏の遺骨を細かく砕いて作られ、異なる地域の寺院に分布されました。
- 信者は寺院や舎利堂で仏舎利を参拝し、供養を行います。
- 仏舎利は信仰の対象としてだけでなく、仏教の歴史や伝統の一部としても重要視されます。
- 仏舎利は美術的価値もあり、一部は美術品として評価されています。
- 阿含宗では、釈迦仏の聖霊が宿る「真正仏舎利尊」が本尊として崇拝されています。
- 密教では、「変化法身の釈迦」が生身のシャカの本体とされ、三重の釈迦が存在すると説かれています。
- 密教において、「駄都法」と「如意宝珠法」は最奥の秘法とされ、修法において重要な位置を占めています。
- 修法の中で、「如意宝珠立」は本尊を如意宝珠の三昧に引入れて修する法を指します。
- 信者が真正仏舎利を持ち、修法し祈ることで奇蹟的な霊験が生じるとされています。
- 信者は真正仏舎利をいただき、それを本尊にして祈りを捧げることで奇蹟が起きるとされています。
- In Buddhism, sariras refer to the remains and relics of Shakyamuni Buddha, and are of great importance to believers.
- Buddha's ashes were made by crushing the remains of Buddha Shakyamuni into small pieces and distributed to temples in different regions.
- Believers visit the Buddha's ashes and make offerings at temples and reliquaries.
- Buddha's ashes are valued not only as objects of worship but also as part of Buddhist history and tradition.
- Buddha's ashes also have artistic value, and some are valued as works of art.
- In the Agon sect, the ``Genuine Buddha Sharison'', in which the holy spirit of Shakyamuni Buddha dwells, is worshiped as the principal image.
- In esoteric Buddhism, the ``Shakyamuni of the changing Dharmakaya'' is considered to be the real body of Shaka, and it is said that there are three Buddhas.
- In esoteric Buddhism, ``Datoho'' and ``Nyoi Hojuho'' are considered to be the deepest secrets and occupy an important position in training.
- Among the practices, ``Nyoihojuri'' refers to the method of cultivating the principal image by bringing it into the Samadhi of Nyoihoju.
- It is said that miraculous experiences will occur when believers hold authentic Buddha's ashes, practice Dharma, and pray.
- It is said that miracles will occur when believers receive authentic Buddha's ashes and offer prayers using them as their principal image.
仏教の仏舎利(ぶっしゃり)は、仏教徒にとって非常に重要な寺院や仏教寺院における聖なる遺物です。仏舎利は、釈迦(しゃか)仏の遺骨や遺物、あるいはその一部を指すことが一般的です。
釈迦仏が入滅(にゅうじゅう)した後、彼の遺骨は細かく砕かれ、多くの仏舎利が作られました。これらの仏舎利は、仏教の教えを広めるために異なる地域に分布され、多くの寺院に安置されました。
仏舎利は、信仰の対象として大切にされ、仏教徒はそれに敬意を払います。寺院や仏教寺院では、仏舎利を保管するための特別な舎利堂が建てられ、信者はそこで参拝や供養を行います。また、仏舎利は仏教の信仰の中で、功徳を得るために寄進や寄贈されることもあります。
仏舎利は、信仰心の象徴としてだけでなく、仏教の歴史や伝統の一部としても重要視されています。一部の仏舎利は、歴史的な価値や美術的価値を持ち、美術品としても評価されています。
仏教の仏舎利は、信者にとっては聖なる存在であり、信仰の対象として大切にされています。それらは、仏教の教えや価値観を具体的に表すものとして、多くの人々にとって心の支えとなっています。
 

その宗旨における信仰の絶対対象である仏を「本尊」と呼びます。阿含宗の本尊は、釈迦の聖霊(せいれい)が宿る聖物(せいもつ)として、昔から仏教徒の間で深く尊崇されている「真身舎利(しんじんしゃり)」です。
阿含宗では、これを「真正仏舎利尊(しんせいぶっしゃりそん)」と呼んでいます。
仏教徒にとって、ゴータマ・ブッダ=お釈迦さまのご聖骨である真正仏舎利は「生いける釈迦」そのものであり、仏教では唯一最高の本尊です。
想像や概念上の仏ではなく、木像や図像の仏でもなく、ブッダとして実在した釈迦の聖骨であり、仏教における最高の本尊です。
Buddhist relics are sacred relics in temples and Buddhist temples of great importance to Buddhists. Butsushari generally refers to the remains or relics of Shakyamuni Buddha, or parts thereof.
After Shakyamuni Buddha passed away, his bones were broken into small pieces and many Buddha ashes were made. These Buddha relics were distributed in different regions and enshrined in many temples to spread the teachings of Buddhism.
Buddha relics are treasured as objects of faith, and Buddhists pay respect to them. In temples and Buddhist temples, special reliquary halls are built to store the relics of the Buddha, and devotees visit and hold memorial services there. In addition, Buddhist relics are sometimes donated or donated to obtain merit in the Buddhist faith.
Buddha's ashes are considered important not only as a symbol of faith, but also as part of the history and tradition of Buddhism. Some Buddhist relics have historical and artistic value, and are also valued as works of art.
Buddhist reliquary is a sacred existence for believers and is valued as an object of faith. They serve as emotional support for many people as they concretely represent the teachings and values of Buddhism.
 
Buddha
The Buddha, which is the absolute object of faith in that sect, is called the 'honzon'. The principal image of the Agon sect is the "Shinjinshari", which has been deeply revered by Buddhists since ancient times as a sacred object in which the Holy Spirit of Shakyamuni resides.
In the Agon sect, this is called "Shinsei Bussharison".
For Buddhists, the Gautama Buddha, which is the sacred bones of Buddha, is the “living Buddha” itself, and is the only and highest principal image of Buddha in Buddhism.
It is not an imaginary or conceptual Buddha, nor a wooden or iconographic Buddha, but the sacred bones of Shakyamuni who actually existed as Buddha, and is the supreme principal image of Buddhism.
三重の釈迦。
密教では、シャカの御遺骨、御遺身を「変化法身の釈迦」といって、生身のシャカ の本体とするのである。 遺骨、御身が生きているシャカの本体なのである。
仏の本質を緻密に芸術化し、象化して表現する点で、密教はもっともすぐれてその密教では、シャカに三重あることを説いている。これを「三重の釈迦」とい
第一重のシャカは、胎蔵界マンダラ中台にまつられている四仏の一つで
鼓雷音仏」という名前でまつられている。
 
この名前は、涅槃の智慧を、天(雷) のような法音をもって衆生にさとらせる仏という意味で、つまりシャカの説いた教法を、仏として表現したのである。
自性身の仏ともいう。
 
第二重のシャカは、胎蔵界マンダラ釈迦院のシャカで、これが、生身のシャカの本体とされる。本尊としてえがかれているのが、如来、如来舌など、生身のシャカの ゆいにつ御遺骨、御身である。
第三重のシャカは、ボードガヤの菩提樹の下でさとりをひらかれ、仏陀になられた説いている教義と関係なく、突然、仏舎利の霊験功徳が飛び出してきたりする。思う に、これは、その霊験功徳の偉大さに感激して思わずそういうかたちでほとばしり出 たものとみてよいのではなかろうか。
 
経論のほかに、奇蹟的な体験談もかず多く残されている。 それを集めたら、それだ
けで大部の書物ができあがるほどである。
それらのなかから、代表的なお経を一、二のせてみよう。
 
「宝悉地成仏陀羅尼経』唐・不空訳 (抄)
その時仏は、金剛手虚空蔵等の大菩薩に、つぎのようにおっしゃった。
「あらゆる人々と如来とは、ともに法において平等に法身である。 ところが多く
の衆生は妄執にとらわれて、相依相関に依る縁起の世界を、実存の世界と誤り考えてしまう。そのために、常に、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・・天の六のい ずれかの、貧しく賤しい家に生まれ、法に親しむ善き友には近づかず、真理を説 智慧ある人には親しまず、悪い行いを犯して迷いの世界に漂流し、さとりを得られず、永遠に迷いの世界を脱することができないのである。
私はこれらの人々をさとりに至らせるために、大宝陀羅を説こうと思う。
 
これを、法身駄都如意宝珠甘露薬王金剛精進 常住真如宝王太郎という。 末法のこの世界の人々が、仏舎利の一粒を手に入れて信仰し奉持するならば、 その人こそ本当の仏の弟子である。 なぜならば、この舎利は法身釈迦牟尼如来の 常住不変の本体だからである。
そのようにして仏舎利を持し信仰してこの大宝陀羅尼を一心に唱えれば、大 なる智慧を得て、すべてに巧みなる菩薩となることができるであろう。 また、人が、この真言をとなえ、仏性を求めて仏舎利を礼拝すれば、妊戒・盗・大妄語戒を破る四重罪と、五逆罪、仏法を誹謗した越三昧耶の罪な
どあらゆる重罪はことごとく消滅し、よき望みごとがすべて達成されるであろ
貧乏や病気に苦しみ、あるいはさまざまな不運不幸に見舞われて、地獄のよう絶望の世界をさまよう者は、前世における悪い行為を懺悔し、仏法僧の三もしも仏舎利を得たら、その浄穢を論ぜず、そのまま一心に礼拝供養せよ。 そして心の底から仏の徳を念じてやまなければ、その身そのままに仏の清浄心を得て、金剛頂に住するであろう。この人を、仏身を持する者、金剛(のさとり)をれである。
 
持するもの、宝法を持する者というのである。すなわちこの人こそ大菩薩摩訶 なのである。
『大般涅槃経』後分唐・若那跋陀羅訳
天界に住む神々と、僧侶、在家の仏教徒は、仏舎利を得たら七つの宝でできて いる瓶に盛り、これを都城の内なる道地において、七宝でできている塔を建立し 仏舎利を供養するならば、生きとし生ける一切衆生に大いなる功徳をもたら し、三界に生存する三有の苦しみを離脱し、涅槃の安楽にいたらせるであろう。 仏舎利を供養するということは、まさに生ける仏を供養することなのである。
以上のこれらの経論と、わたくし自身の得たる霊験奇蹟により、わたくしは、仏舎
利を守護仏とおよびするのである。守護仏とは、仏舎利のことなのである。 それは当然のことで、仏教の始祖たる仏陀シャカこそ、すべての仏教徒の一心の祈 りにこたえて、救いの手をさしのべてくださる守護仏なのである。
密教最極最奥の秘法-
-「駄都法」「如意宝珠法」
さて、わたくしは、さきの章で、密教が、盛大な仏舎利信仰をマンダラにとり入れ たとのべたが、密教が仏舎利信仰をとり入れたのは、マンダラだけではなかったので ある。
密教にとってもっとも重要な修法の上にもとり入れたのである。
「駄都法」 「如意宝珠法」と名づける、密教において最極最奥とされる深秘の法がそ
つまり、インドの仏教徒たちが得た霊験功徳を修法としてとり入れたわけだ。
 
Mie Buddha.
"
 
 
 
In esoteric Buddhism, Shaka's bones and body are called ``Shakyamuni's body of transmutation,'' and are regarded as the body of the living Shaka. Remains, you are the body of the living Shaka.
Esoteric Buddhism is the best in articulating and symbolizing the essence of Buddha, and it preaches that there are three types of Shaka. This is called "Mie no Shaka"
The first layer, Shaka, is one of the four Buddhas enshrined in the Womb Realm Mandala Chudai.
It is enshrined under the name Koraionbutsu.
 
This name means a Buddha who awakens the wisdom of Nirvana to sentient beings with a dharma sound like heaven (thunder), in other words, it expresses the Dharma taught by Shaka as a Buddha.
It is also known as the Buddha of the Self.
 
The second Shaka is the Shaka of the Womb Realm Mandala Shaka-in Temple, which is considered to be the main body of the Shaka in the flesh. The main object of worship is the remains of a living Shaka, such as Nyorai and Nyoraitongue, which are related to him.
The third-level shaka is enlightened under the bodhi tree of Bodgaya and becomes a Buddha. In my opinion, it is possible to regard this as something that burst out involuntarily in such a way as a result of being deeply moved by the greatness of the miraculous merit.
 
In addition to his treatises, there are also many accounts of his miraculous experiences. Collect it and that's it
A large number of books can be completed in just one.
Let's list one or two representative sutras from among them.
 
"Treasure of the Land of Buddha Dharani Sutra" Translated by Tang Fuku (excerpt)
At that time, the Buddha said to the great bodhisattvas, such as Kongote Kokuzo, as follows.
“Both all people and Tathagatas are equal Dharma Bodies in the Dharma.
The sentient beings are obsessed with delusions and mistakenly think of the world of dependent origination, which depends on interdependence, as the world of existence. For this reason, one must always be born into a poor and humble family in one of the six realms of Heaven: Hell, Hungry Ghosts, Beasts, Asuras, etc., and stay away from good friends who are familiar with the Dharma, and away from those who preach the truth and are wise. , committing bad deeds and drifting into a world of delusion, unable to attain enlightenment, and forever unable to escape from the world of delusion.
In order to bring these people to enlightenment, I will preach Daihodara.
 
This is called Hoshindato Nyoi Hoju Honeydew Medicine King Kongo Shojin Joju Shinnyohou Taro. If people in this world of the Latter Day of the Dharma acquire a piece of Buddha's ashes and believe in it and hold it, that person is a true disciple of the Buddha. This is because this reliquary is the eternal and unchanging body of the Dhamma Shakyamuni Tathagata.
If you hold the sarira in this way, believe in it, and chant this Great Hodharani with all your heart, you will gain great wisdom and become a bodhisattva who is adept at all things. In addition, if a person recites this mantra and worships the Buddha's ashes in pursuit of the Buddha nature, he will commit the four serious offenses of violating the precepts of pregnancy, theft, and blasphemy, the five treasonous offenses, and the crime of slandering Buddhism.
May all felonies be extinguished, and all good wishes fulfilled.
Those who suffer from poverty and illness, or suffer from various misfortunes, and wander in a hellish world of despair, should repent of their bad deeds in their previous lives, and discuss the purification of the Buddha's ashes. Instead, let us devote ourselves wholeheartedly to the worship service. And if one does not cease to meditate on the Buddha's virtue from the bottom of one's heart, one will acquire the Buddha's pure mind and live at the top of Vajra. This person is the one who has the body of Buddha, the vajra (no satori).
 
Those who have it, those who have the treasure law. In other words, this person is the Great Bodhisattva Maka.
"Great Prairie Nirvana Sutra" Translated by Wakana Tang
When the gods, monks, and lay Buddhists who live in the heavens obtain the Buddha's ashes, they place them in jars made of the Seven Treasures, and build a pagoda made of seven treasures in the inner road of the city to place the Buddha's ashes. If it is offered, it will bring great merit to all living beings, free them from the suffering of the three beings living in the three worlds, and bring them to the comfort of nirvana. To hold a memorial service for the relics of the Buddha is to hold a memorial service for the living Buddha.
Based on these sutras and the miraculous miracles that I myself have experienced, I am able to
Tori is regarded as a guardian buddha. Guardian Buddha is the relic of Buddha. It is only natural that Buddha Shaka, the founder of Buddhism, is the guardian Buddha who answers the single-minded prayers of all Buddhists and extends a helping hand.
Esoteric Buddhism's deepest secret method-
- "Datoho" "Nyoihojuho"
Now, in the previous chapter, I said that Esoteric Buddhism incorporated the great worship of Buddhist relics into mandalas.
It was incorporated into the most important rituals of esoteric Buddhism.
The most profound and most secret method of esoteric Buddhism, called “Dadoho” and “Nyoihojuho”
In other words, they adopted the miraculous merits obtained by Indian Buddhists as training.
 
如意宝珠立
これを発見して、これを修行し、成仏法として、ほぼ完成した。霊障を発したホ トケを成仏させ得るのは、この「釈尊の成仏法」しかないのである。
もちろん、「如 意宝珠法」自体のなかに、成仏法が入っているが、 霊障まで発しているホトケを完全 成仏させるためには、「釈尊の成仏法」を併修して、万全を期すべきだと考えたので ある。霊障が少しでもあると、福徳宝生の徳は得られず、たとえ得ても、かえって自 分をきずつけることになるからである。
そして、それは、わたくしの考えた通りの結 果を得ることになったのである。
修法のしかた
「如意宝珠立」というのである。わたくしが勝手にいっていると思われては困るの で、『密教大辞典』を見ていただこう。こうある。
略して宝珠立ともいう、所修の本尊を如意宝珠の三昧に引入れて修する法を如 意宝珠立の法という。
わたくしの場合は、すこし違うが、こういう修法のしかたが、密教にはあるのであ
さて、生身の釈迦如来である真正仏舎利を本尊に、「如意宝珠法」と「成仏法」を 併修する。この法を、わたくしは「守護仏法」と名づけたのである。
なぜかというと、この法こそ、わたくしは、全仏教徒の総守り本尊を生み出す法で あると考えたからである。
この守護仏法をもって修法し、守護仏となった仏舎利尊を宝塔に奉安して、信徒にこのご宝塔を前に、一心に祈りをささげるとき、奇蹟的霊験が生ずるのは当然であそういうと、真正仏舎利がそんなにたくさんあるのか、おかしいじゃないか、とい
なぜ奇蹟が続出するのか?
われるかもしれない。そうではないのである。 「駄都法」の口伝によると、真正仏舎 利を本尊として、仏舎利をかたどった霊石・霊木に法を修するとき、これら霊石・霊 木は、ただちに真正仏舎利と同等になるのである。(ただし、本尊はかならず真正の 仏舎利でなければならない)
信徒は、ひとりひとり、真正仏舎利をいただいて祈るのである。 本尊・法、ともに 最高のものである。奇蹟が起きてあたりまえ、
「私」がいっさいないからだ。すべて、本尊・法、ともに、仏さまの御意志によ って成ったものだからである。 どこにも、「私」がないのだ。すべて「仏意」によ って成ったのである。
奇蹟ということばを使うならば、まず第一に、阿含宗が真正仏舎利を奉戴すること になったそもそものはじまりから、奇蹟が起きていたのである。
この真正仏舎利は、さきにちょっとのべたように、スリランカ国から拝受したので あるが、これは、わたくしのほうからお願いしたのではないのである。 スリランカ国 のほうから、お申し出があったのである。 最初、わたくしは信じなかった。 いや、信 じられなかった。 一笑にふしたのである。 それまで、わたくしは、スリランカにはいかなる知己もなかったのだ。寝耳に水、 一笑にふした。 しかし、真実と知って呆然と し、次いで、狂喜した。真実と知ってからも、何度か疑った。 どうして、こういうこ とになったのだろうか? ふしぎでふしぎでならなかった。
しばらくして、その事情らしいものを耳にして、なるほどと思った。 くわしくは知 おわらないが、最初、ある思惑を持った大教団が関係し、さいごにその思惑が外れて結 局、阿含宗がいただくことになったということらしいのだ。それを聞いた刹那、 わた くしは、「仏意だ」と感じた。いろいろなことがあったようだが、その経緯に、仏さ まのご意志を感じたのである。 わが教団に真正仏舎利がおまつりされるようにとの すべて仏さまのご配慮であると思った。
第二の奇蹟は、さきにのべた小田慈舟大僧正猊下の、「如意宝珠法」伝授である。
 
守護仏とはどういう仏か?
 
 
Nyoi Hoju Stand
I discovered this, practiced this, and almost completed it as a Buddhist law. It is only this ``Shakyamuni Buddha's law'' that can make his toke, who has given off spiritual obstacles, attain Buddhahood.
Of course, the ``Nyoi Hojuho'' itself contains the method for attaining Buddhahood, but in order to completely attain Buddhahood even for those who are even suffering from spiritual disturbances, it is necessary to take all possible measures by simultaneously practicing the ``Shakyamuni Buddha's method for attaining Buddhahood.'' I thought he was. This is because if one has even the slightest psychic disorder, one cannot obtain the virtues of happiness and good fortune, and even if one does, it will only harm oneself.
And it turned out to be exactly what I had envisioned.
How to repair
It is called 'Nyoi Hojuryu'. I don't want him to think that I'm saying this on my own, so let's take a look at the "Esoteric Buddhism Encyclopedia". There is this.
It is also called Hojuryu for short.
My case is a little different, but there is this way of training in Esoteric Buddhism.
By the way, we will practice ``Nyoihojuho'' and ``Jobutsuho'' at the same time, with the true Buddha reliquary, which is the living Shaka Nyorai, as the principal image. I named this law "Protective Buddhism".
The reason for this is that this is the law that he believes is the one that creates the total guardian deity of all Buddhists.
It is only natural that miraculous miracles will occur when believers pray in front of this treasured pagoda, enshrining the Buddha Sharison, who has become a guardian Buddha, in a treasured pagoda. I wondered if it was strange that there were so many Buddha relics.
Why do miracles keep happening?
may be It is not so. According to oral traditions of the Dadoho, when the Buddha's reliquary is the principal object of worship and a sacred stone or tree resembling the Buddha's reliquary is used to perform the ritual, these relic stones or trees will immediately become equivalent to the genuine Buddha's relic. . (However, the principal image must be a genuine Buddhist reliquary.)
Each believer receives a genuine Buddha relic and prays. Both the honzon and the Dharma are the highest. Miracles happen naturally,
Because there is no "I". This is because both the principal image and the Dharma were created by the will of the Buddha. There is no "I" anywhere. Everything was created by the “Buddhist intention.”
If we use the word miracle, first of all, miracles have been occurring from the very beginning when the Agon sect came to enshrine genuine Buddha relics.
As I mentioned earlier, he received this genuine Buddha reliquary from Sri Lanka, but I did not ask for it. There was an offer from Sri Lanka. At first I didn't believe it. I couldn't believe it. I laughed at it. Until then, I had no acquaintances in Sri Lanka. I fell asleep and burst into laughter. But when he learned the truth, he was stunned, and then he was overjoyed. Even after knowing the truth, I doubted it several times. How did he end up like this?
After a while, I heard something that seemed to be the circumstances, and I thought I see. I don't know the details, but it seems that at first it was related to a large cult with a certain purpose, but in the end, that purpose was lost, and in the end, the Agon sect was awarded. The moment I heard it, I felt that it was the Buddha's intention. It seems that many things happened, but in the circumstances, I felt the will of the Buddha. He thought that it was all the consideration of the Buddha to have a genuine Buddha enshrined in our sect.
The second miracle is the teaching of the Nyoihoju method by His High Priest Jishū Oda, mentioned earlier.
 
What kind of Buddha is the guardian Buddha?
 
 
 
 
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Buddha  Japan Journal
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大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 "Kongokai" expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai
 
胎蔵界曼荼羅 たいぞうかい Womb Realm Mandala Taizokai
 
瞑想のcyber--price
 
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力をあたえる五力法と七覚支法

2024-01-22 12:51:17 | タブレットPC
力をあたえる五力法と七覚支法

  1. 修行者は七科目、三十七教程の成仏法を完璧に修行する必要はなく、導師が最適な教程を選ぶ。
  2. 代表的な修行法には「五力法」と「七覚支法」があり、五力法は基礎訓練に利用される。
  3. 五力法には信念力法、精進力法、念力法、定力法があり、これにより信念が強化され、念力が発達する。
  4. 念力の強化によりクンダリニー・ヨーガの課程に進み、異常なほどの念の力を身につける。
  5. 七覚支法はクンダリニー・ヨーガと組み合わせて行われ、高度な智慧や法覚、力法の訓練が含まれる。
  6. 修行の最終段階では、仏陀釈尊の成仏法に辿り着くために、クンダリニー・ヨーガが必要であることを発見。
  7. 「択法覚支」から高い智慧を身につけ、念力法や念覚支法を通じて予知力や予感を得る。
  8. 修行者は軽安党支や捨覚支を通じて心の平静を保ち、定方法により感覚器官を増幅し、超人的な能力を得る。
  9. 修行の極限では不可視光線や超音波を感知し、天災地変を予知することが可能となる。
  10. 念力法や念覚支法を修行した者は、仏陀の弟子たちのように信じられないような念の力を持つ。
  11. これが真実の仏教であり、創作経典ではないことに注意が必要。

The Five Powers and Seven Gakushuho that give you strength
 
Practitioners do not have to perfect the seven subjects and thirty-seven courses of the Dharma for Buddhahood; the master chooses the most suitable course.
Typical training methods include ``Gorikiho'' and ``Shichikakushoho'', and Gorikiho is used for basic training.
The five power methods include the belief power method, the diligent power method, the psychokinesis method, and the fixed power method, which strengthen one's beliefs and develop psychokinesis.
By strengthening his mental powers, he progresses to the course of Kundalini Yoga, and acquires an extraordinary amount of mental power.
The Seven Awakening Dharma is practiced in combination with Kundalini Yoga and includes training in advanced wisdom, dharma awareness, and force.
At the final stage of his training, he discovered that Kundalini Yoga was necessary in order to reach Buddha Shakyamuni's Buddhahood Dharma.
He acquires high wisdom through ``choho-gakusho'' and obtains precognitive powers and premonitions through psychokinesis and nen-kakusho.
Practitioners maintain calmness of mind through Light Antouchi and Sakugakusho, amplify their sense organs through established methods, and gain superhuman abilities.
At the ultimate level of training, it becomes possible to detect invisible light and ultrasonic waves and predict natural disasters.
Those who have practiced the psychokinesis method or the nenkakusho method have incredible mental powers, just like the Buddha's disciples.
It is important to note that this is true Buddhism and not an invented scripture.
 
、さきに、七科目、三十七教程の成仏法を紹介た。
しかし、修行者は、これを全部、修行しなければならないわけではない。
導師が教示してくれた主要な一科目を中心に、いくつかの教程を併合したものを修行して ゆくのである。
弟子によって、みな、素質・能力・環境等 (総称して、“因縁”という)が違うので、導師 がそれらを勘案して、最も適切な教程を作製してさずけるのである代表的な修行法を、つぎに示そう。
これは、さきにのべた成仏法の中の「七覚支法」と「五力法」を合わせて作製したもので
この場合、五力法は、だいたい基礎訓練に用いる。
五力法とは、つぎのようなものである。
この訓練によって、信念の力が極度に発達し、いかなる困難に遭っても屈することなく、信念を曲げることがなくなる。
精進力法
念力法
定力法
困難に遭えば遭うほど、目的に集中し、努力する能力と性格を持つようになる。
異常なほど念力が強化される。
太陽光をレンズに集中して発火させるほどの念の力が養成される。
この法で強化された念の力は、信じられないほどの力を発揮する。
この法の訓練から、クンダリニー・ヨーガの課程に入る。
強化された念の力で、高度の瞑想や、特殊な練行を行う。
この訓練で、人間ばなれした力が身にそなわりはじめる。
クンダリニー・ヨーガの特殊訓練がはじまる。
法覚
力法 (智力法ともいう)
高度の智慧を身につける訓練である。
私は、求聞持聡明法の修行から始めさせる。
七覚法
以上の五力法を、基礎訓練とし、この五力法の上に立って、つぎの本格訓練に入ってゆく。
七覚支法は、すべて、クンダリニー・ヨーガの訓練と併合しておこなわれる。
これは、私の発見である。
最初、私は、仏陀の成仏法に挑戦して、まったく歯が立たなかった。手も足も出なかった。 なんとか手がかりをつかもうと、四苦八苦しているうちに、阿含の文献の中に、「ゴータマ・
ブッダは、ヨーガの達人"と呼ばれる」という文章を発見した。
この事を考えているうちに、この“ヨーガ" は、ラージャヨーガと、クンダリニー・ヨーガに違いないと、思いあたった。
精進党支
たんちょ
それを端緒にして、十数年かかって、私は仏陀の成仏法の秘密を解いた。
まさに、仏陀釈尊は、クンダリニー・ヨーガの達人だったのである。
クンダリニー・ヨーガの体得なくして、仏陀の成仏法には一指もふれることができないで
「択」とは 「えらぶ」という意味で、あらゆるもの(法)の中から真実のものをえらび出し、 真実ならざるものは捨て去る智慧の獲得である。
さきにのべた「事物の明確な認識と予知」の力は、この択法覚支から得られるのである。
軽 安党支
捨覚支
定党支
精進努力し、能力が増加、あるいはあたらしい能力を身につけることに喜びを感じます ます訓練に精勤するようになる。 どんなにきびしい修行でも、喜びをもって受け入れるよう
それは、クンダリニー・ヨーガのチャクラを動かすことにより、訓練が楽しくなるホルモ ンを湧出させるからである。
常に、身心を軽快明朗にして、心が悟冥 (暗く濁る)したり、渋滞したりしない修行。 喜覚支をさらに進めたもので、クンダリニー・ヨーガと併合した、特殊な訓練で得られる 能力である。
聖者特有の、のびやかな姿体と、平安で穏やかな人相となってくる。
取捨僧愛の念をはなれて、なにごとにも心がかたよったり、心の平静が乱されなくなる。
対象へのとらわれを捨てる修行である。
軽安覚支につづいて、聖者としての心がそなわってくるのである。
定方法につづいて、超人としての能力が飛躍的に強化される。
徹底的な定力(精神統一)の強化により、感覚器官が増幅される。
この修行の極限は、 不可視光線(赤外線、紫外線)を見ることができ、超音波を聞くこと ができるようになる。その結果、天災地変も予知することが可能となる。 そこまで到達する ことは容易ではない。この修行によって、聖者たちは、大なり小なり、この能力を身につけ るのである。
初心者でも、予感や予知力が身にそなわる。 どんな初心者でも、とにかく「カン」が冴 えてくることはまちがいない。
いかがであろうか?
この修行を完成した超人の力は、ふつうの人の「常識」を越え、常識を破壊してしまうだ ろう。たとえば、
これは、一つの例えであるが、かれの思念の力は、他人の内臓の中にできた腫瘍(ガンな ど)を、その念の集中力で、破壊、あるいは溶かしてしまうことも可能である。 仏陀やその 弟子たちは、そのようにして、病人を癒したものである。(ただ、この場合、ガンを破壊して も、破壊されたガン細胞が他に転移するおそれがあるので、ガン細胞そのものを死滅させる ほどの念の力が伴わなければ危険であり、軽々しくこれを行うことはできない。それほどの 力は、仏陀ご自身でなければ持てないのかもしれない。一つの可能性の例として、あげたわ けである
そんな力は例外としても、念力法、念覚支法を修行した場合、中等程度の者でも、常人の 信じられないような念の力を持つようになる。
これが、仏陀釈尊の、弟子たちに教えた「仏法」なのである。
これが、真実の仏教なのだ。 あなたがこれまで常識として考えていた仏教とは、大分ちが うのではなかろうか?
多くの人が仏教だと思っている『法華経』とか『阿弥陀経』は、仏陀釈尊がお説きになっ たものではないのである。これら「大乗経典」とよばれる経典は、仏陀がお亡くなりになっ 二、三百年もたってから、無名の人たちによって創作されたものである。だから、これら の経典は、学問的には「創作経典」とよばれているのである。
創作経典の中には、「成仏法」は全く欠落している。一行も書かれていない。当然であろう。 「成仏法」は、仏陀釈尊しか教えることが不可能だからだ。無名の人たちが勝手に創作した大 乗経典に「仏陀の成仏法」が全くないのは、当然至極というべきだろう。
日本の仏教は「大乗仏教」である。つまり、「創作仏教」であって、「仏陀の仏教」ではな い。従って、「仏陀の成仏法」は全くない、というわけである。
日本の仏教徒が、仏陀の成仏法を全く知らない、というのは、ここに原因があるのである。 私は、このことが心から残念でならないのだ。

First, I introduced the method of attaining Buddhahood, which consists of seven subjects and 37 teachings.
However, practitioners do not have to practice all of this.
He goes on to train by combining several courses, focusing on one main subject taught by his master.
Since each disciple has a different quality, ability, environment, etc. (collectively referred to as ``fate and fate''), the guru takes these into account and creates the most appropriate curriculum for the disciple.This is a typical training course. Let me show you the law next.
This is a combination of the ``Shichikakushoho'' and ``Gorikiho'' of the Buddhist attainment methods I mentioned earlier.
In this case, the Five Power Method is generally used for basic training.
The five powers are as follows.
Through this training, the power of belief will be developed to the extreme, and no matter what difficulties you encounter, you will not give in and will not compromise your beliefs.
diligence method
psychokinesis method
constant force method
The more difficulties you encounter, the more you will have the ability and character to concentrate on your goals and work hard.
His psychokinesis is abnormally strengthened.
He develops enough mental power to concentrate sunlight on a lens and ignite it.
The power of Nen strengthened by this method exhibits incredible power.
From this Dharma training, one enters the course of Kundalini Yoga.
With the power of strengthened Nen, he performs advanced meditation and special training.
Through this training, he begins to acquire powers that are incomparable to humans.
Special training in Kundalini Yoga begins.
Dharmakaya
Rikiho (also called Chiriho)
This is training to acquire advanced wisdom.
I will have you begin with the training of the Gumonjisomeiho.
Seven enlightenment methods
The above five power methods are used as basic training, and by building on this five power method, we move on to the next full-scale training.
All of the Seven Awakening Methods are combined with Kundalini Yoga training.
This is my discovery.
At first, when I tried the Buddha's method of attaining Buddhahood, I was completely disappointed. I couldn't use my arms or legs. While I was struggling to find a clue, I discovered in Agon's literature, ``Gotama...
I found a text that says, "Buddha is called the Master of Yoga."
As I was thinking about this, it occurred to me that this "yoga" must be raja yoga and kundalini yoga.
Shojinto branch
Tancho
Starting from that, it took me over ten years to uncover the secret of Buddha's method of attaining Buddhahood.
Indeed, Buddha Shakyamuni was a master of Kundalini Yoga.
Without mastering Kundalini Yoga, you will not be able to touch the Buddha's method of attaining Buddhahood.
``Choose'' means ``choose,'' and it is the acquisition of wisdom that selects what is true from all things (dharma) and discards what is not true.
The power of ``clear recognition and foreknowledge of things'' that I mentioned earlier is obtained from this awareness of options.
Light Antai branch
sacrificial knowledge
established party branch
They work hard and feel joy when their abilities increase or acquire new abilities.They become more diligent in their training. No matter how tough the training, accept it with joy.
This is because by moving the Kundalini Yoga chakra, hormones that make training enjoyable are released.
Practice to always keep your body and mind light and clear, so that your mind does not become dark or cloudy or become congested. It is a further development of Kikakushi, and is an ability obtained through special training combined with Kundalini Yoga.
He develops an easy-going figure and a peaceful and calm face characteristic of a saint.
Once you are free from the thought of love for the monk, your heart will no longer be disturbed by anything, and your peace of mind will no longer be disturbed.
It is a training to let go of attachment to the object.
Following Karan Gakushu, the heart of a saint will emerge.
Following the regular method, his abilities as a superhuman are dramatically strengthened.
By thoroughly strengthening your fixed power (mental unity), your sense organs will be amplified.
The ultimate in this training is the ability to see invisible light (infrared, ultraviolet) and hear ultrasound. As a result, it becomes possible to predict natural disasters. It's not easy for him to get to that point. Through this training, saints acquire this ability, to a greater or lesser degree.
Even beginners can have premonitions and precognitive abilities. No matter how much you are a beginner, there is no doubt that your ``kan'' will become sharper.
What do you think?
The power of a superhuman who has completed this training will exceed the "common sense" of an ordinary person and destroy common sense. for example,
This is just an example, but the power of his thoughts can destroy or even dissolve a tumor that has formed inside someone else's internal organs (such as his cancer) with the concentration of his thoughts. It is. That's how Buddha and his disciples healed the sick. (However, in this case, even if the cancer is destroyed, there is a risk that the destroyed cancer cells will metastasize to other places, so it is dangerous if the power of mind is not strong enough to kill the cancer cells themselves. It is impossible to do this. Such power may only be possessed by the Buddha himself. I have given this as an example of one possibility.
Although such powers are an exception, if one practices psychokinesis or nenkakusho, even a moderately skilled person will be able to possess the power of nen that is unbelievable to an ordinary person.
This is the ``Buddhist Dharma'' that Buddha Shakyamuni taught to his disciples.
This is true Buddhism. Isn't there a big difference between Buddhism and what you used to think of as common sense?
The Lotus Sutra and the Amida Sutra, which many people think of as Buddhist, were preached by Buddha Shakyamuni and are not his own works. These sutras, called ``Mahayana sutras,'' were created by anonymous people two or three hundred years after the Buddha's death. Therefore, academically, these sutras are called ``creative sutras.''
The ``Dharma of attaining Buddhahood'' is completely absent from the created sutras. Not a single line was written. Of course. This is because the ``Dharma of attaining Buddhahood'' can only be taught by Buddha Shakyamuni. It is of course extremely important that there is no ``Buddha's method of attaining Buddhahood'' in the Mahayana sutras created by anonymous people.
Japanese Buddhism is ``Mahayana Buddhism.'' In other words, it is ``creative Buddhism,'' not ``Buddha's Buddhism.'' Therefore, there is no ``Buddha's method of attaining Buddhahood'' at all.
This is the reason why Japanese Buddhists have no knowledge of the Buddha's method of attaining Buddhahood. I am truly sorry about this.
 
 
 
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大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 "Kongokai" expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai
 
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力をあたえる五力法と七覚支法

2024-01-22 12:51:17 | タブレットPC
力をあたえる五力法と七覚支法
  1. 修行者は七科目、三十七教程の成仏法を完璧に修行する必要はなく、導師が最適な教程を選ぶ。
  2. 代表的な修行法には「五力法」と「七覚支法」があり、五力法は基礎訓練に利用される。
  3. 五力法には信念力法、精進力法、念力法、定力法があり、これにより信念が強化され、念力が発達する。
  4. 念力の強化によりクンダリニー・ヨーガの課程に進み、異常なほどの念の力を身につける。
  5. 七覚支法はクンダリニー・ヨーガと組み合わせて行われ、高度な智慧や法覚、力法の訓練が含まれる。
  6. 修行の最終段階では、仏陀釈尊の成仏法に辿り着くために、クンダリニー・ヨーガが必要であることを発見。
  7. 「択法覚支」から高い智慧を身につけ、念力法や念覚支法を通じて予知力や予感を得る。
  8. 修行者は軽安党支や捨覚支を通じて心の平静を保ち、定方法により感覚器官を増幅し、超人的な能力を得る。
  9. 修行の極限では不可視光線や超音波を感知し、天災地変を予知することが可能となる。
  10. 念力法や念覚支法を修行した者は、仏陀の弟子たちのように信じられないような念の力を持つ。
  11. これが真実の仏教であり、創作経典ではないことに注意が必要。
The Five Powers and Seven Gakushuho that give you strength
 
Practitioners do not have to perfect the seven subjects and thirty-seven courses of the Dharma for Buddhahood; the master chooses the most suitable course.
Typical training methods include ``Gorikiho'' and ``Shichikakushoho'', and Gorikiho is used for basic training.
The five power methods include the belief power method, the diligent power method, the psychokinesis method, and the fixed power method, which strengthen one's beliefs and develop psychokinesis.
By strengthening his mental powers, he progresses to the course of Kundalini Yoga, and acquires an extraordinary amount of mental power.
The Seven Awakening Dharma is practiced in combination with Kundalini Yoga and includes training in advanced wisdom, dharma awareness, and force.
At the final stage of his training, he discovered that Kundalini Yoga was necessary in order to reach Buddha Shakyamuni's Buddhahood Dharma.
He acquires high wisdom through ``choho-gakusho'' and obtains precognitive powers and premonitions through psychokinesis and nen-kakusho.
Practitioners maintain calmness of mind through Light Antouchi and Sakugakusho, amplify their sense organs through established methods, and gain superhuman abilities.
At the ultimate level of training, it becomes possible to detect invisible light and ultrasonic waves and predict natural disasters.
Those who have practiced the psychokinesis method or the nenkakusho method have incredible mental powers, just like the Buddha's disciples.
It is important to note that this is true Buddhism and not an invented scripture.
 
、さきに、七科目、三十七教程の成仏法を紹介た。
しかし、修行者は、これを全部、修行しなければならないわけではない。
導師が教示してくれた主要な一科目を中心に、いくつかの教程を併合したものを修行して ゆくのである。
弟子によって、みな、素質・能力・環境等 (総称して、“因縁”という)が違うので、導師 がそれらを勘案して、最も適切な教程を作製してさずけるのである代表的な修行法を、つぎに示そう。
これは、さきにのべた成仏法の中の「七覚支法」と「五力法」を合わせて作製したもので
この場合、五力法は、だいたい基礎訓練に用いる。
五力法とは、つぎのようなものである。
この訓練によって、信念の力が極度に発達し、いかなる困難に遭っても屈することなく、信念を曲げることがなくなる。
精進力法
念力法
定力法
困難に遭えば遭うほど、目的に集中し、努力する能力と性格を持つようになる。
異常なほど念力が強化される。
太陽光をレンズに集中して発火させるほどの念の力が養成される。
この法で強化された念の力は、信じられないほどの力を発揮する。
この法の訓練から、クンダリニー・ヨーガの課程に入る。
強化された念の力で、高度の瞑想や、特殊な練行を行う。
この訓練で、人間ばなれした力が身にそなわりはじめる。
クンダリニー・ヨーガの特殊訓練がはじまる。
法覚
力法 (智力法ともいう)
高度の智慧を身につける訓練である。
私は、求聞持聡明法の修行から始めさせる。
七覚法
以上の五力法を、基礎訓練とし、この五力法の上に立って、つぎの本格訓練に入ってゆく。
七覚支法は、すべて、クンダリニー・ヨーガの訓練と併合しておこなわれる。
これは、私の発見である。
最初、私は、仏陀の成仏法に挑戦して、まったく歯が立たなかった。手も足も出なかった。 なんとか手がかりをつかもうと、四苦八苦しているうちに、阿含の文献の中に、「ゴータマ・
ブッダは、ヨーガの達人"と呼ばれる」という文章を発見した。
この事を考えているうちに、この“ヨーガ" は、ラージャヨーガと、クンダリニー・ヨーガに違いないと、思いあたった。
精進党支
たんちょ
それを端緒にして、十数年かかって、私は仏陀の成仏法の秘密を解いた。
まさに、仏陀釈尊は、クンダリニー・ヨーガの達人だったのである。
クンダリニー・ヨーガの体得なくして、仏陀の成仏法には一指もふれることができないで
「択」とは 「えらぶ」という意味で、あらゆるもの(法)の中から真実のものをえらび出し、 真実ならざるものは捨て去る智慧の獲得である。
さきにのべた「事物の明確な認識と予知」の力は、この択法覚支から得られるのである。
軽 安党支
捨覚支
定党支
精進努力し、能力が増加、あるいはあたらしい能力を身につけることに喜びを感じます ます訓練に精勤するようになる。 どんなにきびしい修行でも、喜びをもって受け入れるよう
それは、クンダリニー・ヨーガのチャクラを動かすことにより、訓練が楽しくなるホルモ ンを湧出させるからである。
常に、身心を軽快明朗にして、心が悟冥 (暗く濁る)したり、渋滞したりしない修行。 喜覚支をさらに進めたもので、クンダリニー・ヨーガと併合した、特殊な訓練で得られる 能力である。
聖者特有の、のびやかな姿体と、平安で穏やかな人相となってくる。
取捨僧愛の念をはなれて、なにごとにも心がかたよったり、心の平静が乱されなくなる。
対象へのとらわれを捨てる修行である。
軽安覚支につづいて、聖者としての心がそなわってくるのである。
定方法につづいて、超人としての能力が飛躍的に強化される。
徹底的な定力(精神統一)の強化により、感覚器官が増幅される。
この修行の極限は、 不可視光線(赤外線、紫外線)を見ることができ、超音波を聞くこと ができるようになる。その結果、天災地変も予知することが可能となる。 そこまで到達する ことは容易ではない。この修行によって、聖者たちは、大なり小なり、この能力を身につけ るのである。
初心者でも、予感や予知力が身にそなわる。 どんな初心者でも、とにかく「カン」が冴 えてくることはまちがいない。
いかがであろうか?
この修行を完成した超人の力は、ふつうの人の「常識」を越え、常識を破壊してしまうだ ろう。たとえば、
これは、一つの例えであるが、かれの思念の力は、他人の内臓の中にできた腫瘍(ガンな ど)を、その念の集中力で、破壊、あるいは溶かしてしまうことも可能である。 仏陀やその 弟子たちは、そのようにして、病人を癒したものである。(ただ、この場合、ガンを破壊して も、破壊されたガン細胞が他に転移するおそれがあるので、ガン細胞そのものを死滅させる ほどの念の力が伴わなければ危険であり、軽々しくこれを行うことはできない。それほどの 力は、仏陀ご自身でなければ持てないのかもしれない。一つの可能性の例として、あげたわ けである
そんな力は例外としても、念力法、念覚支法を修行した場合、中等程度の者でも、常人の 信じられないような念の力を持つようになる。
これが、仏陀釈尊の、弟子たちに教えた「仏法」なのである。
これが、真実の仏教なのだ。 あなたがこれまで常識として考えていた仏教とは、大分ちが うのではなかろうか?
多くの人が仏教だと思っている『法華経』とか『阿弥陀経』は、仏陀釈尊がお説きになっ たものではないのである。これら「大乗経典」とよばれる経典は、仏陀がお亡くなりになっ 二、三百年もたってから、無名の人たちによって創作されたものである。だから、これら の経典は、学問的には「創作経典」とよばれているのである。
創作経典の中には、「成仏法」は全く欠落している。一行も書かれていない。当然であろう。 「成仏法」は、仏陀釈尊しか教えることが不可能だからだ。無名の人たちが勝手に創作した大 乗経典に「仏陀の成仏法」が全くないのは、当然至極というべきだろう。
日本の仏教は「大乗仏教」である。つまり、「創作仏教」であって、「仏陀の仏教」ではな い。従って、「仏陀の成仏法」は全くない、というわけである。
日本の仏教徒が、仏陀の成仏法を全く知らない、というのは、ここに原因があるのである。 私は、このことが心から残念でならないのだ。
First, I introduced the method of attaining Buddhahood, which consists of seven subjects and 37 teachings.
However, practitioners do not have to practice all of this.
He goes on to train by combining several courses, focusing on one main subject taught by his master.
Since each disciple has a different quality, ability, environment, etc. (collectively referred to as ``fate and fate''), the guru takes these into account and creates the most appropriate curriculum for the disciple.This is a typical training course. Let me show you the law next.
This is a combination of the ``Shichikakushoho'' and ``Gorikiho'' of the Buddhist attainment methods I mentioned earlier.
In this case, the Five Power Method is generally used for basic training.
The five powers are as follows.
Through this training, the power of belief will be developed to the extreme, and no matter what difficulties you encounter, you will not give in and will not compromise your beliefs.
diligence method
psychokinesis method
constant force method
The more difficulties you encounter, the more you will have the ability and character to concentrate on your goals and work hard.
His psychokinesis is abnormally strengthened.
He develops enough mental power to concentrate sunlight on a lens and ignite it.
The power of Nen strengthened by this method exhibits incredible power.
From this Dharma training, one enters the course of Kundalini Yoga.
With the power of strengthened Nen, he performs advanced meditation and special training.
Through this training, he begins to acquire powers that are incomparable to humans.
Special training in Kundalini Yoga begins.
Dharmakaya
Rikiho (also called Chiriho)
This is training to acquire advanced wisdom.
I will have you begin with the training of the Gumonjisomeiho.
Seven enlightenment methods
The above five power methods are used as basic training, and by building on this five power method, we move on to the next full-scale training.
All of the Seven Awakening Methods are combined with Kundalini Yoga training.
This is my discovery.
At first, when I tried the Buddha's method of attaining Buddhahood, I was completely disappointed. I couldn't use my arms or legs. While I was struggling to find a clue, I discovered in Agon's literature, ``Gotama...
I found a text that says, "Buddha is called the Master of Yoga."
As I was thinking about this, it occurred to me that this "yoga" must be raja yoga and kundalini yoga.
Shojinto branch
Tancho
Starting from that, it took me over ten years to uncover the secret of Buddha's method of attaining Buddhahood.
Indeed, Buddha Shakyamuni was a master of Kundalini Yoga.
Without mastering Kundalini Yoga, you will not be able to touch the Buddha's method of attaining Buddhahood.
``Choose'' means ``choose,'' and it is the acquisition of wisdom that selects what is true from all things (dharma) and discards what is not true.
The power of ``clear recognition and foreknowledge of things'' that I mentioned earlier is obtained from this awareness of options.
Light Antai branch
sacrificial knowledge
established party branch
They work hard and feel joy when their abilities increase or acquire new abilities.They become more diligent in their training. No matter how tough the training, accept it with joy.
This is because by moving the Kundalini Yoga chakra, hormones that make training enjoyable are released.
Practice to always keep your body and mind light and clear, so that your mind does not become dark or cloudy or become congested. It is a further development of Kikakushi, and is an ability obtained through special training combined with Kundalini Yoga.
He develops an easy-going figure and a peaceful and calm face characteristic of a saint.
Once you are free from the thought of love for the monk, your heart will no longer be disturbed by anything, and your peace of mind will no longer be disturbed.
It is a training to let go of attachment to the object.
Following Karan Gakushu, the heart of a saint will emerge.
Following the regular method, his abilities as a superhuman are dramatically strengthened.
By thoroughly strengthening your fixed power (mental unity), your sense organs will be amplified.
The ultimate in this training is the ability to see invisible light (infrared, ultraviolet) and hear ultrasound. As a result, it becomes possible to predict natural disasters. It's not easy for him to get to that point. Through this training, saints acquire this ability, to a greater or lesser degree.
Even beginners can have premonitions and precognitive abilities. No matter how much you are a beginner, there is no doubt that your ``kan'' will become sharper.
What do you think?
The power of a superhuman who has completed this training will exceed the "common sense" of an ordinary person and destroy common sense. for example,
This is just an example, but the power of his thoughts can destroy or even dissolve a tumor that has formed inside someone else's internal organs (such as his cancer) with the concentration of his thoughts. It is. That's how Buddha and his disciples healed the sick. (However, in this case, even if the cancer is destroyed, there is a risk that the destroyed cancer cells will metastasize to other places, so it is dangerous if the power of mind is not strong enough to kill the cancer cells themselves. It is impossible to do this. Such power may only be possessed by the Buddha himself. I have given this as an example of one possibility.
Although such powers are an exception, if one practices psychokinesis or nenkakusho, even a moderately skilled person will be able to possess the power of nen that is unbelievable to an ordinary person.
This is the ``Buddhist Dharma'' that Buddha Shakyamuni taught to his disciples.
This is true Buddhism. Isn't there a big difference between Buddhism and what you used to think of as common sense?
The Lotus Sutra and the Amida Sutra, which many people think of as Buddhist, were preached by Buddha Shakyamuni and are not his own works. These sutras, called ``Mahayana sutras,'' were created by anonymous people two or three hundred years after the Buddha's death. Therefore, academically, these sutras are called ``creative sutras.''
The ``Dharma of attaining Buddhahood'' is completely absent from the created sutras. Not a single line was written. Of course. This is because the ``Dharma of attaining Buddhahood'' can only be taught by Buddha Shakyamuni. It is of course extremely important that there is no ``Buddha's method of attaining Buddhahood'' in the Mahayana sutras created by anonymous people.
Japanese Buddhism is ``Mahayana Buddhism.'' In other words, it is ``creative Buddhism,'' not ``Buddha's Buddhism.'' Therefore, there is no ``Buddha's method of attaining Buddhahood'' at all.
This is the reason why Japanese Buddhists have no knowledge of the Buddha's method of attaining Buddhahood. I am truly sorry about this.
 
 
 
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Buddha  Japan Journal
Buddha Japan journal
日本の仏教を発信しますSend Japanese Buddhis
Buddha 2Japan journal
日本の仏教を発信しますSend Japanese Buddhis   sサイト
大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 "Kongokai" expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai
 
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仏教の真実:成仏法とは何か?

2024-01-22 12:19:02 | タブレットPC
 




1. 仏教の「成仏陀教法」の略は、「仏陀に成るための教えと法」を指す。
2. お釈迦様は「阿含経」において「七科三十七道品」または「三十七菩提分法」を最も重要な修行法として説明しています。
3. 成仏法は仏陀に成るための修行法で、他の修行法とは異なり、仏陀にまで到達することができる唯一の方法とされています。
4. 大乗仏教は成仏法を隠ぺいし、他力本願の概念を強調する傾向があり、これが日本仏教の中心になったと主張されています。
5. 阿含経には、お釈迦様が成仏法を編成し、完成させた状況が詳細に記載されているとされています。
6. 七科三十七道品は出家者向けのプロ用の修行法であり、大乗仏教の簡略化された成仏法とは異なると主張されています。
7. 成仏法の一環として、「安那般那念法」が呼吸法・瞑想法として重要視され、大乗仏教が理解していないと指摘されています。
8. 阿含経によれば、どの仏も「七科三十七道品」を修行して成仏し、弟子たちも同様に修行させていると説かれています。
9. 大乗仏教が成仏法の変遷を主張するのは虚偽であり、真理はいつの世も変わらないと主張されています。
10. 最後に、成仏法を理解し実践することが成仏への唯一の方法であると結論づけられています。
1. In Buddhism, the abbreviation for ``Buddha Dharma'' refers to ``teachings and laws for becoming a Buddha.''
2. In the Agon Sutra, the Buddha describes the ``Seven Sciences and Thirty-Seven Ways'' or the ``Thirty-Seven Bodhisattvas'' as the most important training method.
3. Buddhism is a training method for becoming a Buddha, and unlike other training methods, it is the only method that can reach the Buddhahood.
4. Mahayana Buddhism tends to hide the Buddhahood Dharma and emphasize the concept of other-power original vows, which it is argued has become central to Japanese Buddhism.
5. The Agon Sutra is said to contain a detailed account of the circumstances under which the Buddha organized and perfected the Dharma of attaining Buddhahood.
6. It is argued that the Thirty-Seven Paths of the Seven Schools are a professional training method for monks, and are different from the simplified method of attaining Buddhahood in Mahayana Buddhism.
7. As part of the method of attaining Buddhahood, ``Annahna Nenho'' is emphasized as a breathing method and meditation method, and it has been pointed out that Mahayana Buddhism does not understand it.
8.According to the Agon Sutra, every Buddha attained Buddhahood by practicing the ``Seven Sciences and Thirty-Seven Ways,'' and it is said that he had his disciples practice in the same way.
9. It is false that Mahayana Buddhism claims that the Dharma of attaining Buddhahood changes, and that the truth remains unchanged throughout the ages.
10. Finally, it is concluded that understanding and practicing the Dharma of Buddhahood is the only way to attain Buddhahood.



仏教とは、「成仏陀教法」の略です。「仏陀に成るための教えと法」という意味です。ここで、「教え」とは別の概念である「法」というものについて、着目してみたいと思います。法、仏法とは、修行法、成仏法という意味です。学問的な「教え」とは、別の概念です。
それでは、お釈迦様は、どのような修行法、成仏法をお説きになられたのでしょうか?
お釈迦様は、いくつもの修行法、成仏法を残して下さいました。その中で、最も重要な修行法、成仏法をご紹介したいと思います。
最も重要な修行法は、釈尊直説の唯一の経典「阿含経」(あごんきょう)に書かれている「七科三十七道品」(しちかさんじゅうしちどうほん)あるいは 「三十七菩提分法」(さんじゅうしちぼだいぶんぽう)あるいは、単に「道品法」(どうぼんほう)と呼ばれている修行法です。
成仏法とは、人が仏陀に成ることができる修行法のことです。他の修行法は、人を高めることはできますが、仏陀にまでは成ることはできません。ここが、単なる修行法と、成仏法の違いです。成仏法は、釈尊直説の唯一の経典「阿含経」(あごんきょう)にしか書かれていません。 「七科三十七道品」は、7科目37種類の修行法があります。詳しくは、阿含宗のこちらのページをご覧下さい。
この成仏法が、仏教にとって、最も重要であることは、言うまでもありません。仏陀に成るための法そのものなのですから。ところが、大乗仏教は、この成仏法を隠ぺいし、黙殺してしまったのです。
後世の大乗仏教は、仏教を大衆化するため、その障害となる、真の成仏法が書かれている阿含経を「小乗仏教」とさげすみ、厳しい、難しい修行法は、どんどん削除していきました。そうして、最終的には、菩薩という概念を作り出し、菩薩の慈悲におすがりすれば、修行は不要という他力本願の概念まで作り出してしまったのです。その大乗仏教が、今日の日本仏教の中心となってしまっているのです。もちろん、密教や禅宗は、他力本願ばかりではないので、多少とも違うというご意見がおありかと思いますが、それでも、阿含経を隠ぺい、黙殺し、阿含経に唯一書かれている肝心の成仏法を修行していない点には、変わりは無いのです。こうして大乗仏教は、大衆化のために、成仏法を隠ぺい、黙殺したニセの仏教となっていったのです。
「成仏法」が、どのようにしてできたのか、そのいきさつについても、きちんと阿含経に書かれています。阿含経には、お釈迦様が「成仏法」をお作りになられた状況が、克明に記載されているのです。 ご紹介します。
このお経は、お釈迦さまが、ご自分の成道の経緯をお説きになられた経典です。
<中阿含経 羅摩経>
お釈迦さまは、心機一転して、それまでの六年麻麦(まばく)の苦行を離れ、ネーランジャラー河において、村長の娘スジャータの乳ガユの供養を受け、聖地 ガヤーのピッパラ樹(菩提樹)の下に瞑想の座を定めました。ここでお釈迦さまは、悟りを開き、仏陀と成なれるのですが、その時の、状況が記されたお経です。
『我、すなわち座を解かずして、漏尽を得るに至れり。
我、無病無上安穏涅槃を求めて、すなわち、無病無上安穏涅槃を得、
無老無死無愁憂慼(むしゅううせき)無穢汚(むえわ)無上安穏涅槃を求めて、すなわち、無老無死無愁憂慼無穢汚無上安穏涅槃を得、
知を生じ、見を生じ、「道品法」を定む。
生すでに尽き、 梵行すでに立ち、所作すでに弁じて、更に有を受けずと如真を知りぬ。』
大意
「私は、菩提樹の下で、瞑想を数十日間(50日間近く。)つづけ、ついに、漏尽解脱することができたのである。
涅槃を得ることが出来たのである。
これにより、智慧が生じ、解脱したという自覚(解脱知見)が生じた。
さらに、成仏するための修行方法の体系、 成仏法(七科三十七道品)を決定した。
涅槃を得て、成仏したことにより、私は、この生涯が最後のものとなって、もう二度とこの迷いの世界に生を受けることのないことを、はっきり知ったのである。」
このお経は、当然ながら非常に重要です。それはなぜかと言いますと、読んでお分かりの通り、お釈迦さまは、成道後、即座に、その場で、「成仏法」を定めているということがわかるお経だからです。
大乗仏教は、この点を、全く理解していません。  「道品法(どうぼんほう)を定む」とあります。お釈迦さまは、成道後、即座に、その場で、成仏法を編成し、完成させていたのです。人間がどうすれば成仏することができるのか、このとき、すでに、修行法を、決定、完成されていたので す。したがって、成仏法は、この時、確立された、この「道品法」以外にはあり得無いのです。阿含経のこの「七科三十七道品」以外に成仏法は絶対に無いのです。
この他に、仏陀が、あとから二つも三つも、成仏法を追加されるわけが無いからです。あるとすれば、間違いなく後世の偽作です。仏教徒は、このことを一番に考えなくてはならないと思います。
この成仏法を修行しない限り、絶対に成仏はできないのです。
パーリ文「中阿含」第百三の kinti sutta につぎのように述べられています。
「 ここに比丘らよ、われによりて法は悟られ、汝らに説かれたり。 すなわち四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道これなり。 それゆえにすべての比丘らは相和し相欣び、争うことなくして、これを学ばざるべからず。」
「学ばざるベからず」とあります。絶対に修行しなさいという意味です。大乗仏教のかたがたは、この意味が分かっていないのです。
「雑阿含経(ぞうあごんぎょう) 応説経(おうせつきょう)」
においては、つぎのようにのべられています。
「釈尊:いろいろな方法を駆使して修行を行っても成就しないものが、もろもろの煩悩が尽き、心に解脱を得たいと思っても、あの修行者たちは、ついに漏尽解脱を得ることはできない。
弟子:それはなぜでしょうか。
釈尊:修行していないからである。
弟子:何を修行していないのでしょうか。
釈尊:いわゆる、七科三十七道品を修行していないからである。
弟子たちよ。七科三十七道品を修行し、成就する者がいたならば、その修行者が、漏尽解脱をしたいと思わなくても自然に漏尽解脱を得るのである。
弟子:それはなぜでしょうか。
釈尊:修行したからである。
弟子:何を修行したのでしょうか。
釈尊:いわゆる七科三十七道品である。(後略)」
いろいろな方法を駆使しても無駄である、 阿含経の七科三十七道品を修行しない限り、絶対に成仏できないと説かれています。
ですから、仏教徒は、全員、七科三十七道品を修行しなければいけないのです。それ以外に、方法はないのです。どんなに厳しくても、何度生まれ変わってでも、七科三十七道品を修行する以外に方法はないのです。
大乗仏教が説くよう に、修行法を捨て、仏の慈悲にすがるだけでは、冥土などにはいけるかもしれませんが、絶対に、成仏はできないのです。
上記のように、成仏法は、七科三十七道品しかありません。しかし、この七科三十七道品は出家者用のプロ用の修行法であり、大乗仏教が言うように、厳しく、難解であることは、事実です。
しかし、お釈迦様は、この成仏法 七科三十七道品へ至るまでの、その橋渡しとなる修行法も、きちんと用意してくださっていたのです。その修行法の一つが、「安那般那念法」(あんなぱんなねんほう)と呼ばれる呼吸法、瞑想法です。この瞑想法は、七科三十七道品の中の瞑想法の一つと考えてよいと思います。
お釈迦様が、「最高の呼吸法・瞑想法」と呼ばれるものです。
この法は、空海弘法大師様が、伝えて下さった、人を天才にする秘法といわれる、密教の「求聞持聡明法」(ぐもんじそうめいほう)とも密接に関係しています。
この法の習得が、成仏法 七科三十七道品への足がかりとなります。安那般那念法とは、「雑阿含経 安那般那念経」に書かれている、初歩から最高奥儀に至るまでの呼吸法・瞑想法のことです。10数種類の呼吸法・瞑想法が説かれています。
さらに、「雑阿含経 止息経」には、「勝止息、奇特止息、上止息、無上止息」の4つの呼吸法が説かれており、「この4つの呼吸法は、すべての呼吸法において、これ以上のものはない最上の呼吸法である。」とお説きになられています。この4つの呼吸法は、安那般那念法の最上のものということです。お釈迦様が、「最上の呼吸法・瞑想法」であるとおっしゃられているのですから、当然のことながら、この呼吸法・瞑想法をマスターしなければ成仏はできないということです。
大乗仏教は、この点も、全く理解していません。単なる呼吸法とは、わけが違うのです。仏教の実践的な修行は、この安那般那念法から始まるといっても過言ではないのだそうです。「息」とは、「生き」なのです。詳しくは、阿含宗管長 故 桐山靖雄大僧正猊下 ご著書「仏陀の法」をご覧ください。実践法は、「求聞持聡明法秘伝」に書かれています。
安那般那念法は、密教の求聞持聡明法、ヨーガのチャクラ覚醒法、道教の導引気功法、そして、神道の呼吸法とも密接に関係しています。また、ノストラダムスは、これらの法が、人類を救う法だと言うことを予言しています。そのこともこの「仏陀の法」に書かれています。
大乗仏教は、釈尊直説の唯一の経典 阿含経を小乗仏教とけなし、以上のことを隠ぺい、黙殺し、まるで理解していません。これでは、絶対に成仏はできないのです。ノストラダムス氏が言われる通り、これらの法が、人類を救うのです。お釈迦様は、そのために、修行法、成仏法を残して下さったのですから。不老長寿、超人類社会への道は、ここに開かれているのです。すべての実践的な修行は、安那般那念法、求聞持聡明法の習得から始まるのです。
正法を知っていただくため、参考になれば幸いです。
合掌
追記
大乗仏教の特に、法華経系の宗派に、時代によって修行法、成仏法が変化するというような教えを解く教団があります。本尊や、時代(正、像、末の三時)などの違いによって、成仏法が変化するというのです。
しかし、これも全くのでっちあげです。真理は、いつの世も一つであって、その真理を体得するための方法、成仏法も、絶対に変化するはずがないのです。大乗仏教は、いろいろな簡略化した成仏法を作り出しましたが、全て偽作です。
その根拠を示します。釈尊直説の経典は、阿含経しか存在しませんが、阿含経には、上記のとおり、釈尊直説の唯一の成仏法、「七科三十七道品」が書かれています。 さらに、阿含経には、いつの世でも、どんな如来でも、如来は弟子たちを、「七科三十七道品」によって、修行させ、成仏させると書かれた経典が存在するのです。
「雑阿含経 石柱経」 です。
「過去にあらわれた仏も、未来にあらわれる仏も、また、いま現在あらわれている仏も、仏はすべて、五つの煩悩の心を断滅して涅槃を得、仏になったのであり、 仏は真実の智慧をみがく能力弱くして、自ら涅槃を得ることができないものたちをして、七科三十七道品の修行をさせて、阿耨多羅三藐三菩提を得さしめ、それによって成仏させるのである。」
したがって、過去仏も、未来仏も、現在仏も、すべての仏は、「七科三十七道品」を修行して成仏し、また、弟子たちを修行させ、成仏させるのです。本尊や、正、像、末の三時の違いなどによって、成仏法は変化しないのです。正法は、一つしかないのです。
また、次のような阿含経もあります。
「中阿含経・七宝経」 です。
『よく憶えておきなさい。転輪王がこの世に出現するときは、まず七宝がこの世に出現するのである。
七宝とはなにか? それは輪宝・象宝・馬宝・珠宝・女宝・居士宝・主兵臣宝の七つである。
転輪王がこの世に出現するときには、まずこの七宝が出現するのである。
同様に、如来・無所著・等正覚がこの世に出現するときには、 七覚支(法という)宝が、まずこの世に出現するのである。 なにをもって七覚支法とするのか? 念覚支(という)法をはじめとして、択法覚支・精進覚支・喜覚支・息覚支・定覚支・捨覚支(という)宝の七つが七覚支法である。
如来・無所著・等正覚がこの世に出現するときは、この七覚支法がこの世に出現するのである。』
七覚支法とは、七科三十七道品の中の一科目です。如来が出現するときは、必ずあらわれるとされているのです。しかし、大乗仏教では、この点が、まったく言及されていません。虚偽の証拠なのです。
以上、「末世成仏本尊経講義」を参照しました。正法を知っていただくために、参考になれば幸いです。
 
Buddhism is an abbreviation for "Buddhism". It means "teaching and law to become a Buddha". Here, I would like to pay attention to the concept of "law," which is different from "teaching." Law and Buddhist law mean training law and Buddhist law. Academic "teaching" is a different concept.
Then, what kind of training method and Buddhahood method did Shaka-sama preach?
Mr. Shaka left behind a number of training methods and Buddhahood methods. Among them, I would like to introduce the most important training method, the Buddhahood method.
The most important training method is "Shichikasanjushichidohon" or "Three" written in the only scripture "Agonkyo" of Shason's theory. It is a training method called "Seventeen Bodhipakkhi" (Sanju Shichibo Daibunpo) or simply "Dobonho".
The Buddhahood method is a training method that allows a person to become a Buddha. Other practices can elevate people, but they cannot even become Buddhas. This is the difference between the mere training method and the Buddhahood method. The Buddhahood method is written only in the only scripture of the Shason direct theory, "Agama Sutra". There are 37 types of training methods in 7 subjects for "Seven Departments Thirty-Seven Doshin". For details, please see this page of Agon Shu.
It goes without saying that this Buddhahood method is of paramount importance to Buddhism. It's the law itself to become a Buddha. However, Mahayana Buddhism concealed this Buddhahood law and silently killed it.
In order to popularize Mahayana Buddhism in posterity, Agama, which describes the true Buddhahood method, was despised as "Hinayana Buddhism", and the strict and difficult training methods were deleted steadily. .. In the end, I created the concept of a bodhisattva, and even the concept of this application that training is unnecessary if I follow the mercy of the bodhisattva. Mahayana Buddhism has become the center of today's Japanese Buddhism. Of course, esoteric Buddhism and Zen Buddhism are not limited to other power applications, so I think there is an opinion that they are a little different, but even so, they hide the Agama sutra, silently kill it, and the only essential Buddhahood written in the Agama sutra. There is no difference in not practicing the law. In this way, Mahayana Buddhism became a fake Buddhism that concealed the Buddhahood law and silently killed it in order to popularize it.
How the "Buddhahood Law" was created and how it came about are also properly written in Agama. In Agama, the situation in which Shaka-sama created the "Buddhahood Law" is described in Katsuaki. I will introduce you.
This sutra is a scripture in which Buddha explained the history of his own career.
<Naka Agama Rama Sutra>
Shaka changed his mind and left the penance of hemp for six years, and received a memorial service for the village chief's daughter Sujata's milk gayu on the Nerangjara River, and the Pippara tree (Bodhisattva tree) in the sanctuary Gaya. I have set up a seat of meditation under. Here, Buddha becomes enlightened and becomes a Buddha, but the situation at that time is described.
"I, that is, I came to get an exhaustion without releasing the seat.
I seek a disease-free and peaceful nirvana, that is, obtain a disease-free and peaceful nirvana.
No old, no death, no melancholy, no filth, no filth, no filth, no mercy, no mortality, no mercy, no mercy, no mercy
It gives rise to knowledge, gives rise to seeing, and establishes the "Doshin Law".
I have already run out of life, I have already stood up, I have already spoken about my actions, and I do not know the truth without receiving further existence. 』\
Meaning
"Under the Bodhi tree, I continued to meditate for dozens of days (nearly 50 days), and finally I was able to get rid of the leak.
I was able to get nirvana.
As a result, wisdom was generated, and the awareness of liberation (dissolution knowledge) was raised.
In addition, the system of training methods for the Buddhahood, the Buddhahood Law (Seven Departments, Thirty-Seven Ways) was decided.
By gaining nirvana and becoming a Buddhahood, I knew clearly that this life would be the last and that I would never be born again in this world of wonder. "
This sutra is, of course, very important. The reason for this is that, as you can see from the reading, Shaka-sama knows that he has established the "Buddhahood Law" on the spot immediately after the Buddhahood.
Mahayana Buddhism does not understand this point at all. It says, "Determine the Dobonho." Buddha-sama organized and completed the Buddhahood Law on the spot immediately after the Buddhahood. He wonders how humans can become Buddhahood, because at this time the training method had already been decided and completed. Therefore, the Buddhahood Law can only be established at this time, this "Doshin Law". There is absolutely no Buddhahood method other than this "Seven departments and thirty-seven doctrines" of Agama.
In addition to this, there is no way for the Buddha to add two or three Buddhahood laws later. If so, it's definitely a forgery of posterity. I think Buddhists have to think about this first.
Unless you practice this Buddhahood method, you can never become a Buddhahood.
The Pali sentence "Naka-Agama", the 103rd kinti sutta, states as follows.
"Here, Bhikkhu et al., The law is understood by me and preached to you. That is, Satipatthana, Four Right Exertions, Iddhipada, Indriya, Five Strengths, Seven Factors of Awakening, Noble Eightfold Path. Therefore, all the Bhikkhus have to learn this without conflict and reconciliation. "
It says, "I have to learn." It means that you should definitely practice. Mahayana Buddhists do not understand this meaning.
"Zoua Gongyo (Ousetsukiyo)"
In, it is stated as follows.
"Sakuson: Things that cannot be achieved even if you practice using various methods, but all the troubles are exhausted and you want to get liberation in your heart, but those practitioners finally get liberation. Can't.
Disciple: Why is that?
Shason: Because I haven't practiced.
Disciple: What are you not practicing?
Shason: This is because he has not practiced the so-called seven departments and thirty-seven dojos.
Disciples. If there is a person who practices the seven departments and thirty-seven arts and fulfills them, the practitioner will naturally obtain the extinction even if he does not want to do it.
Disciple: Why is that?
Shason: Because I practiced.
Disciple: What did you practice?
Shakuson: It is a so-called seven departments and thirty-seven items. (Omitted) "
It is said that unless you practice the seven departments and thirty-seven doctrines of Agama, which is useless even if you make full use of various methods, you will never be able to become a Buddhahood.
Therefore, all Buddhists must practice the seven departments and thirty-seven doctrines. There is no other way. No matter how strict or how many times you are reborn, there is no other way but to practice the seven departments and thirty-seven dojos.
As Mahayana Buddhism preaches, you may be able to go to the dark soil just by abandoning the practice and following the mercy of the Buddha, but you can never become a Buddhahood.
As mentioned above, the Buddhahood Law has only seven departments and thirty-seven doctrines. However, it is a fact that this bodhipakkhi is a professional training method for priests, and as Mahayana Buddhism says, it is strict and difficult.
However, Shaka-sama also prepared a training method that would serve as a bridge to the Buddhahood method, which led to the seven departments and thirty-seven doctrines. One of the training methods is the breathing method and meditation method called "Anapanasati". This meditation method can be considered as one of the meditation methods in the seven departments and thirty-seven doctrines.
Shaka-sama is called "the best breathing and meditation method".
This law is also closely related to the esoteric Buddhist esoteric Buddhist priest Gumonji Someiho, which is said to be a secret method that makes people a genius, which Kukai Kobo Daishi told us.
The acquisition of this method will be a stepping stone to the Buddhahood Law, the Seven Departments and the Thirty-Seven Ways. The Anapanasati method is a breathing method and meditation method from the beginning to the highest secret, which is written in "Samsati Anapanasati". Over a dozen types of breathing and meditation methods are explained.
Furthermore, the four breathing methods of "winning breathing, strange special breathing, upper breathing, and no upper breathing" are explained in "Samsung Sutra", and "these four breathing methods are used in all breathing methods. , The best way to breathe is nothing more than that. " These four breathing methods are the best of the Anapanasati method. Since Shaka-sama is said to be the "best breathing and meditation method," it goes without saying that the Buddhahood cannot be achieved without mastering this breathing and meditation method.
Mahayana Buddhism does not understand this point at all. It's not just a breathing exercise. It is no exaggeration to say that the practical training of Buddhism begins with this Anapanasati method. "Breath" is "living". For details, please refer to the book "The Law of the Buddha" by the late President Agon Shu, Seiyu Kiriyama, Hisashi Eminence. The practice method is written in "Gumonji Satoshi Homeiho Hidden".
The Anapanasati method is also closely related to the esoteric Buddhist esoteric Buddhism, the yoga chakra awakening method, the Taoist Qigong method, and the Shinto breathing method. Nostradamus also predicts that these laws are the ones that save humanity. That is also written in this "Buddha's Law".
Mahayana Buddhism does not understand the only scripture of Shason's theory, Agama Sutra, as Hinayana Buddhism, concealing the above and silently killing it. With this, the Buddhahood can never be made. As Nostradamus says, these laws save humanity. For that reason, Shaka-sama left behind the training method and the Buddhahood method. The road to immortality and superhuman society is open here. All practical training begins with the acquisition of Anapanasati and Gumonji Satoshi.
I hope it will be helpful for you to know the law.
Gassho
Postscript
In Mahayana Buddhism, especially in the Lotus Sutra denominations, there are denominations that solve the teachings that the training method and the Buddhahood method change with the times. It is said that the Buddhahood method changes depending on the principal image and the times (correct, statue, last three o'clock).
However, this is also a complete fabrication. The truth is always one in the world, and the method of learning the truth, the Buddhahood method, cannot change. Mahayana Buddhism has created various simplified Buddhahood laws, all of which are forgery.
I will show you the rationale. There is only Agama sutra in the scripture of Shason Nao theory, but as mentioned above, the only Buddhahood method of Shakuson Nao theory, "Seven departments and thirty-seven dojos," is written in Agama. In addition, there is a scripture in Agama that states that in any world, in any Tathagata, Tathagata trains his disciples by means of "Seven Departments and Thirty-Seven Doshin".
It is "Samsung Sutra Stone Pillar Sutra".
"The Buddhahood that appeared in the past, the Buddhahood that appeared in the future, and the Buddhahood that appears now, all of them broke the hearts of the five worldly desires and gained nirvana and became Buddhahood. Weakened the ability to polish the true wisdom, did those who could not obtain nirvana by themselves, trained the seven departments and thirty-seven doctrines, and obtained the Ayatara Sansho Sanbosho, which To make the Buddhahood. "
Therefore, all Buddhas, including the past Buddhas, the future Buddhas, and the present Buddhas, practice the "Seven Buddhas and Thirty-Seven Doshin" to become Buddhahoods, and also train their disciples to become Buddhahoods. The Buddhahood method does not change depending on the principal image, the positive, the statue, and the difference between the last three o'clock. There is only one law.
There are also the following Agama sutras.
It is "Naka Agama / Cloisonne".
"Remember well. When Chakravarti appears in this world, the cloisonne first appears in this world.
What is a cloisonne? There are seven treasures: ring treasure, elephant treasure, horse treasure, jewel treasure, female treasure, resident treasure, and main soldier treasure.
When Chakravarti appears in this world, this cloisonne first appears.
Similarly, when Nyorai, Musho, and Issei are appearing in this world, the Seven Factors of Awakening (called law) treasure first appears in this world. What is the Seven Factors of Awakening? Including the method of consciousness
 
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大日如来の智慧を表現した「金剛界」 .一印会 "Kongokai" expressing the wisdom of Dainichi Nyorai.Ichiinkai
 
胎蔵界曼荼羅 たいぞうかい Womb Realm Mandala Taizokai
 

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釈尊の成仏法を修行 七科三十七道品の奥深い修行法

2024-01-22 11:38:13 | タブレットPC
 
- 釈尊は成仏を目指して難行苦行を行い、その修行法を弟子たちに教えた。
- 釈尊の成仏法は「阿含経」にのみ記されており、創作経典には含まれていない。
- 中国仏教が阿含経を小乗経典として判定し、誤解が広まった。
- 日本仏教もこれを受け入れ、釈尊の成仏法を知らない状態が続いた。
- 成仏法は「七科三十七遺品」であり、「成仏のための七つのシステム、三十七のカリキュラム」とも呼ばれる。
- 七科三十七道品には四念住、四正断、四神足、五根、五力、七覚支、八正道が含まれている。
- これらは釈尊の悟りに至る修行法であり、明確な指針とされている。
- 具体的な修行法には身念住、四正断、四神足、五根、五力、七覚支、八正道が含まれている。
- 例えば四念住では身体、感受、心、法に対する不浄、苦、無常、無我の観念が行われる。
- 四正断では悪を断じてなくし、善を増大させる修行が説かれている。
- 五根や五力、七覚支、八正道もそれぞれ具体的な修行法を示している。
- これらの修行法を通じて、釈尊は悟りに至り、それを弟子たちに教えた。
 
- Shakyamuni Buddha performed difficult ascetic practices with the aim of attaining Buddhahood and taught his disciples the methods of ascetic practices.
- Shakyamuni Buddha's method of attaining Buddhahood is written only in the ``Agon Sutra'' and is not included in the original sutras.
- Chinese Buddhism judged the Agon Sutra to be a Hinayana sutra, and misunderstandings spread.
- Japanese Buddhism also accepted this, and remained ignorant of Shakyamuni Buddha's method of attaining Buddhahood.
- The Dharma for attaining Buddhahood consists of ``seven subjects and 37 relics'' and is also called ``seven systems and 37 curricula for attaining Buddhahood.''
- The Thirty-Seven Ways of the Seven Schools include the Fourfold Path, the Four True Judgments, the Four Divine Feet, the Five Roots, the Five Powers, the Seven Knowledges, and the Eightfold Path.
- These are Shakyamuni's training methods that lead to enlightenment, and are considered clear guidelines.
- Specific training methods include body and meditation, four right judgments, four divine feet, five roots, five powers, seven enlightenments, and eightfold path.
- For example, in the four meditations, the notions of impurity, suffering, impermanence, and no-self are practiced in relation to the body, sensations, mind, and Dharma.
- The Four True Decisions teaches the practice of eliminating evil and increasing goodness.
- The five roots, five powers, seven enlightenments, and eightfold path each provide specific training methods.
-Through these practices, the Buddha achieved enlightenment and taught it to his disciples.
 
”成仏”という)ことを目的とするものである。彼はそのために、難行苦行を爪ねたのであるが、成仏ののち、弟子たちに、その修行のしかたを教えた。仏陀に或る修行のしかたを教えたのである。これを「成仏法」という。仏陀に成る法で るから、いっでいいほど多くある仏教経典の中で、ただひとつ、阿含経というお経にしか記されていないのである。
 それはなぜかというと、釈尊がじっさいに説いた教えを記したお経は、この阿含経だけだからである。他のお経は、全部、釈尊の説いたものではない。後世の、どこのだれかわからぬ者が書いた「創作経典」なのである
が書いた創作経典には、成仏法は一宇一句も記されていない。創作経典とよばれる『法華経』『阿弥陀経』『華厳経』『大日経』、すべて釈尊の成仏法は書いてな成仏法は、じっさいに成仏した釈尊にしか説けない。だから、釈尊以外の人間い。
 釈尊の成仏法を修行しなかったら、仏法を修行したことには まえすぎるくらい、あたりまえのことである。だから、仏教の修行をしようと思ったら、だれでも、阿含経を学んで、釈尊の成仏法を修行しなければならないのである。
 ところが、いまから千二百年ほど前の、中国仏教が、ここのところを間違えあしまったのである。彼らは、阿含経だけが釈尊の説いたお経で、その中に、成仏あ法という仏教にとっていちばん大切な法が説かれているということに、気がつかなかったのである。そして、これを「小乗経典」という誤った判定を下してしまって、創作経典である法華経その他を「大乗経典」として、このほうが高度の経典であるとしてしまったのである。情報不足から生じた致命的な誤解であった。
 ところが、それがそのまま、日本に輸入されてしまった。当時の中国は、日本にとってたいへんな先進国であったから、無条件でそのまま受け入れて、日本仏あ教の冷宗旨がつくられたのである。すべて、阿含経は小乗経典であるとした大乗仏教の宗口ばかりである。だから、日本仏教の坊さんたちは、阿含経を勉強しことがない。したがって、釈尊の成仏法を知らないのである。
 わたくしは、すべての仏教経典を読破して、このことに気がついた。釈尊の成仏法を抜きにした仏教なんて、単なる哲学、倫理、道徳でしかない。哲学、倫理、道徳でカルマからの脱出・因縁解脱など絶対にできるはずがない。
 わたくしは、阿合経によって成仏法を学び、これを体得した。そして、仏教の修行者は、すべて、阿合経から出発せねばならぬとの趣旨から、阿含京を立宗した。これを聞いたある京旨の有名な坊さんは、「なんでいまさら、小乗仏教を」といったという。
 阿含経に説かれている釈尊の成仏法は、専門的には「七科三十七遺品」とよばれる。
 わたくしは、これを、「成仏のための七つのシステム、三十七のカリキュラ
ム」とよんでいる。釈尊の成仏法・七科三十七道品 カルマを断ち、因縁を解脱して仏陀になった釈尊は、自分の修行法を弟子たち
に教えた。 ’
 その修行法について、彼は弟子たちにこう説いている。
ここに比丘らよ、われによりて法は悟られ、汝らに説かれたり。すなわち
四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道これなり。それ
ゆえにすべての比丘らは相和し相欣び、争うことなくして、これを学ばざ
るべからず。云々。
(パーリ文・中部経典)
 すなわち、釈尊によって悟られた法の修行法、実践法が明らかにここに記されているわけである。しかも、それを、すべての修行者は相和し相欣び、争うことなくして学ばなければいけないと、はっきり言明されているのである。明確きわまる指針である。
 では、ここに説かれている四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道とはなにか。
 阿含経に説かれたこの七科目のじ道品」あるいはフ~七菩提分法1  と名づけられ、釈尊の修行法としてくわしく
解説されている。この名称は「成仏して悟りに至る三十七の修行法」という意味である。(『阿毘達磨供舎論』)
 四念住
 旧訳では四念処という。四念処観ともいう。悟りを得るための四種の内観・瞑想法である。身念住・受念住・心念住・法念住の四つである。
  身念住=この身は不浄なり。
  受念住=受は苦なり。
  心念住=心は無常なり。
  法念住=法は無我なり。
 と観念し瞑想するのである。すなわち、この身体は不浄である。すべての感受は苦である。心は無常である。すべての事物は無我である。と観念し瞑想する。
はじめはこの四項をそれぞれ別に観念し、つぎにはそれらの四つをひとつにして、身体・感受・心・そしてすべての事物(法)は不浄である、また苦である、無常である、無我であるというように観念していくのである。
四正断旧訳では四正勤という。断断・修断・随護断・律儀断の四つの修行。
 断 断=いま現に起こっている悪を断じてなくするように励む修行。幾度も断ずることをくり返す。
 修 断=まだ起こっていない悪に対して、今後起きないように努力する修
 随護断=いますでに存在している善はこれをますます増大させるように努
力する修行。
 け佻断=まだ存在しない善に対して、これを得るように努力する修行。
 四神足
四如意足とも訳す。欲神足・勤神足・心神足・観神足の四つをいう。
 四つの自在力を得るための修行法。超自然的な神通力を得るための四種の修行法。
 神とは神通のこと。その力とはたらきのはかりがたいことを神という。足とはその因、すなわちよりどころとなるもの、修行法のことである。
五 根
信根・精進根・念根・定根・慧根の五つ。根とは自由にはたらく能力をい
う。仏法僧の三宝に対する信と、精進・念・禅定(瞑想)・智慧が、ニルヴァーナに向かって高い能力を発揮する修行。
五 力
 信力・精進力・念力・定力・慧力の五つ。
 究極の力を得る最高度の修行法。五根とおなじ徳目の修行であるが、五根は基本となるもの。五力はそこから飛躍して力を発揮する。
 七覚支
 択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・捨覚支・定覚支・念覚支の七
つをいう。ニルヴァーナヘ導く七つの修行。
択法覚支=教法の中から真実のものを選び、いつわりのものを捨てる智慧の修行。
  精進覚支=一心に努力して退転しない修行。
  喜 覚支=真実の教えを学び、実行する喜びに住する修行。
  軽安覚支=身心を軽快明朗にして、昏冥したり渋滞したりしない修行。
  捨 覚支=取捨憎愛の念を離れて、なにごとにも心がかたよったり、心の平静か乱されない修行。対象へのとらわれを捨てる修行である。
 
定念
覚支=瞑想中も平常の行動中も、集中した心を乱さない修行。
覚支=思いを平らかにする修行。
 八正道 八聖道とも書く。正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八つをいう。ニルヴァーナに至るための八つの道、八種の実践徳目である。邪を離れるので正といい、また、聖者の道であるから聖ともいう。
  正 見=釈尊の説かれた苦・集・滅・道の「四諦」の道理を見る。
  正思惟=正しく四諦の道理を思惟する。
  正 語=正しい語を口にする。
  正 業=正しい生活をする。
  正 命=身・口・意の三業を清浄にして正しい理法にしたがって生活する。
  正精進=道と法に努め励む。
  正 念=正道を憶念し、邪念のないこと。 正 定=迷いのない清浄なる悟りの境地に入る。
 要するに、正しい見解、正しい思い、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい気づかい、正しい精神統一、のことである。もちろん、ここでいう、”正しい”とは、釈尊の教えに即したもののことである。
 以上が、七科三十七道品の概略である。
 この修行法を、釈尊がいかに重要視していたか、釈尊がじっさいに説いた唯一の経典、阿含経の中で、つぎのように説いていることでおわかりであろう。
 方便を修し随順成就せずして而も心を用いて、我れをして諸漏尽き、心に解脱するを得せしめんと求むるも当に知るべし、彼の比丘は終に漏尽解脱を得ることを能わず。所以は何ん。修習せざるが故なり。何等か修ざる。謂ゆる念処・正勤・如意足・根・力・覚・道を修習せざるなり。
 
         (雑阿含経「応説経」)
 
 
 
 
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釈尊の成仏法を修行 七科三十七道品の奥深い修行法

2024-01-22 11:38:13 | タブレットPC
 
- 釈尊は成仏を目指して難行苦行を行い、その修行法を弟子たちに教えた。
- 釈尊の成仏法は「阿含経」にのみ記されており、創作経典には含まれていない。
- 中国仏教が阿含経を小乗経典として判定し、誤解が広まった。
- 日本仏教もこれを受け入れ、釈尊の成仏法を知らない状態が続いた。
- 成仏法は「七科三十七遺品」であり、「成仏のための七つのシステム、三十七のカリキュラム」とも呼ばれる。
- 七科三十七道品には四念住、四正断、四神足、五根、五力、七覚支、八正道が含まれている。
- これらは釈尊の悟りに至る修行法であり、明確な指針とされている。
- 具体的な修行法には身念住、四正断、四神足、五根、五力、七覚支、八正道が含まれている。
- 例えば四念住では身体、感受、心、法に対する不浄、苦、無常、無我の観念が行われる。
- 四正断では悪を断じてなくし、善を増大させる修行が説かれている。
- 五根や五力、七覚支、八正道もそれぞれ具体的な修行法を示している。
- これらの修行法を通じて、釈尊は悟りに至り、それを弟子たちに教えた。
 
- Shakyamuni Buddha performed difficult ascetic practices with the aim of attaining Buddhahood and taught his disciples the methods of ascetic practices.
- Shakyamuni Buddha's method of attaining Buddhahood is written only in the ``Agon Sutra'' and is not included in the original sutras.
- Chinese Buddhism judged the Agon Sutra to be a Hinayana sutra, and misunderstandings spread.
- Japanese Buddhism also accepted this, and remained ignorant of Shakyamuni Buddha's method of attaining Buddhahood.
- The Dharma for attaining Buddhahood consists of ``seven subjects and 37 relics'' and is also called ``seven systems and 37 curricula for attaining Buddhahood.''
- The Thirty-Seven Ways of the Seven Schools include the Fourfold Path, the Four True Judgments, the Four Divine Feet, the Five Roots, the Five Powers, the Seven Knowledges, and the Eightfold Path.
- These are Shakyamuni's training methods that lead to enlightenment, and are considered clear guidelines.
- Specific training methods include body and meditation, four right judgments, four divine feet, five roots, five powers, seven enlightenments, and eightfold path.
- For example, in the four meditations, the notions of impurity, suffering, impermanence, and no-self are practiced in relation to the body, sensations, mind, and Dharma.
- The Four True Decisions teaches the practice of eliminating evil and increasing goodness.
- The five roots, five powers, seven enlightenments, and eightfold path each provide specific training methods.
-Through these practices, the Buddha achieved enlightenment and taught it to his disciples.
 
”成仏”という)ことを目的とするものである。彼はそのために、難行苦行を爪ねたのであるが、成仏ののち、弟子たちに、その修行のしかたを教えた。仏陀に或る修行のしかたを教えたのである。これを「成仏法」という。仏陀に成る法で るから、いっでいいほど多くある仏教経典の中で、ただひとつ、阿含経というお経にしか記されていないのである。
 それはなぜかというと、釈尊がじっさいに説いた教えを記したお経は、この阿含経だけだからである。他のお経は、全部、釈尊の説いたものではない。後世の、どこのだれかわからぬ者が書いた「創作経典」なのである
が書いた創作経典には、成仏法は一宇一句も記されていない。創作経典とよばれる『法華経』『阿弥陀経』『華厳経』『大日経』、すべて釈尊の成仏法は書いてな成仏法は、じっさいに成仏した釈尊にしか説けない。だから、釈尊以外の人間い。
 釈尊の成仏法を修行しなかったら、仏法を修行したことには まえすぎるくらい、あたりまえのことである。だから、仏教の修行をしようと思ったら、だれでも、阿含経を学んで、釈尊の成仏法を修行しなければならないのである。
 ところが、いまから千二百年ほど前の、中国仏教が、ここのところを間違えあしまったのである。彼らは、阿含経だけが釈尊の説いたお経で、その中に、成仏あ法という仏教にとっていちばん大切な法が説かれているということに、気がつかなかったのである。そして、これを「小乗経典」という誤った判定を下してしまって、創作経典である法華経その他を「大乗経典」として、このほうが高度の経典であるとしてしまったのである。情報不足から生じた致命的な誤解であった。
 ところが、それがそのまま、日本に輸入されてしまった。当時の中国は、日本にとってたいへんな先進国であったから、無条件でそのまま受け入れて、日本仏あ教の冷宗旨がつくられたのである。すべて、阿含経は小乗経典であるとした大乗仏教の宗口ばかりである。だから、日本仏教の坊さんたちは、阿含経を勉強しことがない。したがって、釈尊の成仏法を知らないのである。
 わたくしは、すべての仏教経典を読破して、このことに気がついた。釈尊の成仏法を抜きにした仏教なんて、単なる哲学、倫理、道徳でしかない。哲学、倫理、道徳でカルマからの脱出・因縁解脱など絶対にできるはずがない。
 わたくしは、阿合経によって成仏法を学び、これを体得した。そして、仏教の修行者は、すべて、阿合経から出発せねばならぬとの趣旨から、阿含京を立宗した。これを聞いたある京旨の有名な坊さんは、「なんでいまさら、小乗仏教を」といったという。
 阿含経に説かれている釈尊の成仏法は、専門的には「七科三十七遺品」とよばれる。
 わたくしは、これを、「成仏のための七つのシステム、三十七のカリキュラ
ム」とよんでいる。釈尊の成仏法・七科三十七道品 カルマを断ち、因縁を解脱して仏陀になった釈尊は、自分の修行法を弟子たち
に教えた。 ’
 その修行法について、彼は弟子たちにこう説いている。
ここに比丘らよ、われによりて法は悟られ、汝らに説かれたり。すなわち
四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道これなり。それ
ゆえにすべての比丘らは相和し相欣び、争うことなくして、これを学ばざ
るべからず。云々。
(パーリ文・中部経典)
 すなわち、釈尊によって悟られた法の修行法、実践法が明らかにここに記されているわけである。しかも、それを、すべての修行者は相和し相欣び、争うことなくして学ばなければいけないと、はっきり言明されているのである。明確きわまる指針である。
 では、ここに説かれている四念住・四正断・四神足・五根・五力・七覚支・八正道とはなにか。
 阿含経に説かれたこの七科目のじ道品」あるいはフ~七菩提分法1  と名づけられ、釈尊の修行法としてくわしく
解説されている。この名称は「成仏して悟りに至る三十七の修行法」という意味である。(『阿毘達磨供舎論』)
 四念住
 旧訳では四念処という。四念処観ともいう。悟りを得るための四種の内観・瞑想法である。身念住・受念住・心念住・法念住の四つである。
  身念住=この身は不浄なり。
  受念住=受は苦なり。
  心念住=心は無常なり。
  法念住=法は無我なり。
 と観念し瞑想するのである。すなわち、この身体は不浄である。すべての感受は苦である。心は無常である。すべての事物は無我である。と観念し瞑想する。
はじめはこの四項をそれぞれ別に観念し、つぎにはそれらの四つをひとつにして、身体・感受・心・そしてすべての事物(法)は不浄である、また苦である、無常である、無我であるというように観念していくのである。
四正断旧訳では四正勤という。断断・修断・随護断・律儀断の四つの修行。
 断 断=いま現に起こっている悪を断じてなくするように励む修行。幾度も断ずることをくり返す。
 修 断=まだ起こっていない悪に対して、今後起きないように努力する修
 随護断=いますでに存在している善はこれをますます増大させるように努
力する修行。
 け佻断=まだ存在しない善に対して、これを得るように努力する修行。
 四神足
四如意足とも訳す。欲神足・勤神足・心神足・観神足の四つをいう。
 四つの自在力を得るための修行法。超自然的な神通力を得るための四種の修行法。
 神とは神通のこと。その力とはたらきのはかりがたいことを神という。足とはその因、すなわちよりどころとなるもの、修行法のことである。
五 根
信根・精進根・念根・定根・慧根の五つ。根とは自由にはたらく能力をい
う。仏法僧の三宝に対する信と、精進・念・禅定(瞑想)・智慧が、ニルヴァーナに向かって高い能力を発揮する修行。
五 力
 信力・精進力・念力・定力・慧力の五つ。
 究極の力を得る最高度の修行法。五根とおなじ徳目の修行であるが、五根は基本となるもの。五力はそこから飛躍して力を発揮する。
 七覚支
 択法覚支・精進覚支・喜覚支・軽安覚支・捨覚支・定覚支・念覚支の七
つをいう。ニルヴァーナヘ導く七つの修行。
択法覚支=教法の中から真実のものを選び、いつわりのものを捨てる智慧の修行。
  精進覚支=一心に努力して退転しない修行。
  喜 覚支=真実の教えを学び、実行する喜びに住する修行。
  軽安覚支=身心を軽快明朗にして、昏冥したり渋滞したりしない修行。
  捨 覚支=取捨憎愛の念を離れて、なにごとにも心がかたよったり、心の平静か乱されない修行。対象へのとらわれを捨てる修行である。
 
定念
覚支=瞑想中も平常の行動中も、集中した心を乱さない修行。
覚支=思いを平らかにする修行。
 八正道 八聖道とも書く。正見・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定の八つをいう。ニルヴァーナに至るための八つの道、八種の実践徳目である。邪を離れるので正といい、また、聖者の道であるから聖ともいう。
  正 見=釈尊の説かれた苦・集・滅・道の「四諦」の道理を見る。
  正思惟=正しく四諦の道理を思惟する。
  正 語=正しい語を口にする。
  正 業=正しい生活をする。
  正 命=身・口・意の三業を清浄にして正しい理法にしたがって生活する。
  正精進=道と法に努め励む。
  正 念=正道を憶念し、邪念のないこと。 正 定=迷いのない清浄なる悟りの境地に入る。
 要するに、正しい見解、正しい思い、正しい言葉、正しい行為、正しい生活、正しい努力、正しい気づかい、正しい精神統一、のことである。もちろん、ここでいう、”正しい”とは、釈尊の教えに即したもののことである。
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2024年1月22日 九星  無料 今日の運命

2024-01-22 11:25:20 | タブレットPC


四緑木星の日
縁談、商談の来訪者あり。言動をつつしみ話を進めると良い。いつも良い日、皆良い人。こんな心境を養いたい。
凌犯期間 意の日
何事も受け身で過ごしたい日
本来ならば安定した日ですが、凌犯期間の影響で吉凶が逆転し運勢は大きく下り坂になります。言い知れぬ不安や緊張がつきまとい、心がざわざわと落ち着かない日です。やらねばならないことや、急かされていることを無理に片付けようとすると、かえって悪い結果となってしまいます。六害宿の「意」の日は、決して焦らず自然体でいることが大切です。また、この日の旅行や引っ越しは極力避けるようにしてください。
不動明王(ふどうみょうおう)とは?
語源は「動かない守護者」を意味し、インド神話のシヴァ神の別名です。シヴァは暴風雨の威力を神格化したもので、破壊的な災害を起こす半面、雨によって植物を育てます。その破壊と恵みの相反する面は不動明王にも受け継がれているのです。不動明王は仏法の障害となるものに対しては怒りを持って屈服させますが、仏道に入った修行者には常に守護をして見守ります。
 
大日如来の化身として、どんな悪人でも仏道に導くという心の決意をあらわした姿だとされています。特に日本で信仰が広がり、お不動様の名前で親しまれています。そして、五大明王の中心的存在です。五大明王とは、不動明王を中心に降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・大威徳明王(だいいとくみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)の5体のことを指し、不動を中心に東西南北に配されます。不動明王の脇侍として八大童子のうちの矜迦羅(こんがら)・制多迦(せいたか)の2童子が配されることも多いです。ちなみに不動明王の持っている龍が巻きついている炎の剣が単独で祀られている場合があります。不動明王の化身とされ、倶利伽羅竜王(くりからりゅうおう)などと呼ばれています。
ご利益
除災招福、戦勝、悪魔退散、修行者守護、厄除災難、国家安泰、現世利益のご利益があるとされる。また、酉年生まれ守り本尊です。酉年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。
不動明王(ふどうみょうおう)の像容
背の低い、ちょっと太めの童子型の造形が多く、怒りの表情をしています。目は天地眼(てんちげん)といって右目を天に向けて左目を地に向けていますよ。口は牙上下出といって右の牙を上に出して左の牙を下に出しています。炎の光背を背にし、手には剣と羂索(けんじゃく)を持っています。剣は大日如来の智慧の鋭さを表現しています。羂索とは煩悩を縛り悪の心を改心させる捕縛用の縄のことです。
 
魔術師
正位置・・・希望。創造。巧み。熟練。創業。修行を始める。恋愛や交際の始まり。入学。ものごとの始まり。聖地。聖者。宗教上の本山などへの参詣。結婚式。新婚旅行。
逆位置・・・優柔不断。不適当。弱さ。不安定。神経の不足。創造力の不足。未来の計画に対する臆病さ。無理にすすめられる結婚や結婚式。技量不足で低迷する恋愛。
ウェイト解説
正位置・・・手腕。外交。手際。巧妙。病。苦痛。損失。災害。敵の罠。自信。意志。男性の質問者。
逆位置・・・医者。賢者。精神病。不名誉。不安。




01月22日 (月曜)月齢
10.5潮汐
長潮

月名(旧暦日)
宵月



 
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