4月30日、8:00 温泉津港に入港。ここからは、通船に乗り換えて温泉津の街へ。10分ほどで、岸壁に到着。
一本釣り漁の基地港として有名。かつて、石見銀山の積出港として栄え、北前船が出入りした温泉津港は美しいリアス式海岸の入江の億に開かれた天然の良港。季節風の影響が少なく波静かで、水深も深く大型船も楽にに入港できる。
船内では、島根県太田市長や前夜に石見神楽を舞った小学生らによる歓迎セレモニーが行われた。
オプショナルツアーに参加し、大森の街並み散策へ。石見銀山内は車両乗り入れが制限されており、すべて徒歩での観光となるので、約3時間コース。なので、短いコースに。
石見銀山は、戦国時代から大正12年まで約400年間採掘が行われ、17世紀初めの最盛期には、約20万人が住み年30~40トンを産出した。その間戦国大名による攻防争奪が行われたり、徳川幕府の直轄地の天領として徳川氏の財政を潤したが、銀の枯渇により閉山となった。
人々の生活の中にも、戦いに敗れ死んでいたもの、過酷な坑内作業で短い生涯を送ったものなど悲しい歴史の他、享保の大飢饉をさつまいもの移入により飢餓者を出さなかった代官の話などが残っている。多くの史跡を残すこの地を、世界遺産に登録するための運動が進められ、2007年に登録された。
街並みに配慮した、珍しい木製の自販機。
石見銀山で栄えた商家・重要文化財「熊谷家住宅」。
寛政12年(1800)、街並みの大火で類焼し、翌年に建てられた。それ以降、土蔵などを増築し、明治元年(1868)に屋敷が整った。
熊谷家の室内。
龍源寺間歩。(しまね観光ナビより)
1715年に開発された代官所直営の坑道で、大久保間歩に次いで長く600mもある。
(石見銀山史料館の展示より)
夜のエンタテイメントは、三遊亭歌奴の落語(毎日のように聞くことができる)ゲームで楽しむ。