5月3日 江差からバスで松前へ。日本海沿いを走って、およそ90分くらい。
松前町一の老舗旅館で昼食。(HPより)
☆松前ならではの藩主料理、美味かった。(HPより)
あわび飯 |
(松前の名産蝦夷アワビを使った炊き込みごはん) |
煮物 |
(当時から油揚げなどは保存食として食されていました) |
クジラ汁 |
(松前では今でも正月はどこの家庭でも作ります) |
寄せ豆腐 |
(北前船で運ばれてきた上方地方の食文化) |
けいらん |
(昔でいうデザート。東北の南部地方から伝わった料理) |
にしんと数の子 |
(子孫繁栄を祈って) |
松前漬け |
(女将の作った自家製でするめ。こんぶはもちろん松前産、お水は大沼横津岳の天然水、お塩は熊石産海洋深層水使用) |
いくらのしょうゆ漬け |
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果物 |
(その時代は大変貴重な果物) |
にごり酒 |
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予想通り、桜は満開だった!
松前の桜は、250種1万本といわれ、長い期間、桜を楽しめる。あちこちから
「わぁ、綺麗!」の歓声が上がっていた。高校生たちが、一生懸命にボランティアガイ
ドを務めていた。
松前家の初代藩主・松前慶広がこの地に築城したのは、1606(慶長11)年のこと。
その後の火災や修築などを経て、十七世藩主・松前崇広は1849(嘉永2)年7月10日、外国船の出没に備え津軽海峡の警備強化を図るため、幕府から築城を命ぜられ、城主大名になった。
設計は当時の三大兵学者の一人である高崎藩の市川一学に一任。
一学は海防上から福山は無理であり、箱館後方の桔梗野にある庄司山付近に築城するよう上申しますが、藩士たちは移転を好まず福山館を拡大して築城することになった。
5年の歳月をかけ、1854(安政元)年9月に完成した松前福山城は、旧式築城では日本最後のもの。後に、国宝に指定されたが、火事で焼失した。
現在の城は、1961年(昭和36)に再建されたもの。(松前町観光奉行HPより)
椿も同時に咲く。
桜史料館もある。
北国では、色々な花が一斉に咲き始める。
お城に桜も良く似合う。改めて感動した。
松前の桜は本数も品種も多く、城内の広さと相まって素晴らしい風景が広がっていた。