ひろみの「PM9」

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いろんな人と出会い、学んだ50年

2022年09月30日 12時28分15秒 | 矢沢語録

50周年記念ライブ最終日大阪・京セラドーム

晴天のなか無事終わりましたねーー

 

スポニチ9月26日号より・・

 

ロック界のカリスマ、矢沢永吉(73)のデビュー50周年記念ツアーの最終公演が

25日夜、大阪・京セラドームで行われた。

4万人を前に50年の歴史をひもとくように熱唱。

定番のタオル投げも起きた中、2時間20分にわたって歌いまくり

「矢沢は本当にファンの皆さんに愛されてると思いました」と感謝。

ファンをはじめ「多くの人たちとの出会いあっての50年だった」と

幸せをかみしめていた。

 人生の集大成となったツアーの最終公演。

客席への第一声は「国立競技場から始まって先週の福岡。

矢沢は本当にファンの皆さんに愛されていると思いました。

だから50年走ってくることができたんですね」と感謝の言葉だった。

 オープニング曲はフォーク歌手の故西岡恭蔵さん(享年50)が作詞した

ダンディーなロックナンバー「苦い雨」。

その後も中盤で「黒く塗りつぶせ」、本編ラスト「逃亡者」、

アンコール最後に「トラベリン・バス」と、

要所の曲は西岡さんと70~80年代に生んだ名曲群。

73歳とは思えない圧倒的な声量で歌いまくった。

 矢沢を取材してきた中で忘れられない場面がある。

99年に西岡さんが自ら命を絶った時。

愛妻に先立たれ、子供2人を残しての悲劇。

米国で訃報を知った矢沢は緊急帰国。

西岡さん宅に現れた時の形相はすさまじく、テレビカメラを押しのけ

「お前らのエサになるために来たんじゃねえ!」と激怒した。

 無言の西岡さんとの対面。

矢沢は高校生と大学生の子供2人を抱き締めると「いくつになった?」と年齢を確認。

「だったら、やれるよな?兄弟2人で力を合わせるんだ」と声を掛けた。

8歳で両親を失い、兄弟もいなかった自身の境遇から出た言葉だった。

 矢沢はこの日のステージで、西岡作品以外にも

故山川啓介さん作詞「チャイナタウン」「ひき潮」、

故ちあき哲也さん作詞「止まらないHa~Ha」「BIG BEAT」などを歌唱。

既に他界した同世代の恩人たちへの思いが全22曲に込められた。

ツアー前のスポニチ本紙の取材にも

「いろんな人と出会い、学んだ50年だった」と振り返り、

今の心境を「感謝」と端的に表現した。

 

その意味でツアー最終地の大阪は、かつて矢沢が一部ファンの迷惑行為で

ライブ会場が使用できない悩みを抱えていた中、

84年に大阪城ホールが初の使用許可に踏み切ってくれた「恩」ある街。

その時にアンコールで歌ったのがソロデビュー曲「I LOVE YOU,OK」。

矢沢はさまざまな思いを込めるように、

アコースティックギターだけの弾き語りで歌い上げた。



 B’z、MISIAとの共演など「感謝」の思いが「伝説」となった50周年。

次は前人未到の日本武道館での通算150回公演が待っている。(阿部 公輔)

 

素晴らしい作詞家さんとの運命の出会い

皆さん亡くなられていますが・・

名曲としてこれからも永遠に残っていくと思います

 

西岡さんの子供達への言葉・・

今回初めて知りましたがジーンと胸が熱くなりました

 

西岡恭三さん作詞の曲・・

素晴らしい作品ばかりでナンバー1は選べないのですが

 

「黒く塗りつぶせ」

「ライフ・イズ・ヴェイン」

「夕立ち」

西岡さんの詞は独特の世界観が有って

魂に触れるというか・・心にズーンと響きますねー

 

特に「ライフ・イズ・ヴェイン」

当時23歳のボクシング世界チャンピオン

大場政夫さんが交通時事故で亡くなり

それを題材にしたのでは??と言われている作品のようですが

私も大場政夫さんの大ファンだったので

当時の衝撃は今でも残っています

永ちゃんのシンプルだけど切ないメロディーとピターッと合っていて

本当に素晴らしい名曲ですねーー

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