ひろみの「PM9」

YAZAWAなライブとYAZAWAな言葉
永ちゃん最高~!!
マジな永ちゃんに、どこまでも付いて行きます♪

波は自分で起こすんだ!

2022年07月28日 20時25分32秒 | 矢沢語録

スポニチ「YAZAWA MAXIM 矢沢の金言」第7弾

7月26日

(一部抜粋)

大変だったのは英語。英会話学校にも通ったけど苦労したね。

最初は通訳兼コーディネーターを雇った。

でも、肝心のスタジオワークで自分が伝えたいことがちゃんと伝わらない。

音楽はニュアンスが大事なのに、その肝心なところが全然相手に届かないんだよ。

 だったら自分の表情や身ぶり手ぶりで、

たまに辞書引きながら直接自分で伝えてみたら、

何だよ!こっちの方がバッチリ届くじゃんって。

そういう確かな肌感ってコミュニケーションには凄く大事で。

そうなると会話にも自信が出てきて、大した英語力じゃないのに

コミュニケーションだけは一気に上達。

それからは通訳コーディネーターはなしで、直接やることにした。

もっと彼らと近くなった。

 

「てめぇの人生なんだから。てめぇで走れ」。

矢沢が昔から言ってる、この言葉は自己暗示でもあったんだ。

 誰も知らないアメリカで、自分で飛び込んで、自分でやる。

そうやって作った最初の全米デビューアルバム「YAZAWA」は全編英語の世界発売。

移籍2作目「イッツ・ジャスト・ロックンロール」は

シングルカットした「ロッキン・マイ・ハート」が

ビルボードの推薦曲にまでなった。

でも、どっちも売れなかった。悔しいけど全然ダメだったね!

(中略)

渡米翌年の82年。日本で発売したアルバム「P.M.9」は

ドゥービー・ブラザーズやリトル・フィートのメンバーに加え、

TOTOのスティーブ・ルカサーやジェフ・ポーカロが参加。

この時のドゥービーの連中を引き連れて日本で凱旋ツアーを敢行した。

 この時、どうせ矢沢自身が大金バラまいて呼んだんだろって噂がたったけど

笑っちゃうよ。

俺が一人で向こうに飛び込んで、世界のアイツら全員と直接やり合って

「ヤザワが日本でやる時は一緒に行くぜ」って言ってくれた時のことを

俺は忘れない。

だからギャラもそれぞれと直接交渉し、

飛行機のチケットの手配もワーキングビザの申請も全てやった。

プロモーターもレコード会社もいない。俺が全部ひとりでやったんだ。

だから当時の日本の業界はびっくりしたんだろうね。

矢沢一人がまとめったってことを…。

 

結局、アメリカに渡っても苦労の連続だった。

でも、その苦労のおかげで俺は向こうで知った全てを

全部自分の手の中につかむことができた。

今では世界的なミュージシャン、プロデューサー、エンジニアが

「YAZAWAなら」って二つ返事でやってくれる。

 あの時、日本を離れて本当によかった。

出会った人たちから学んだことがこの手の中に詰まっている。

大事なことは待ってても、誰もやってくれないよ。

何歳になっても波は自分で起こすんだ――。

 

この頃の永ちゃんの様子を伝えてくれているビデヲが有ります

「矢沢永吉ヒストリー2」

1984年~1986年、永ちゃんの生活を映し出すドキュメンタリーが

とっても興味深い

英語の発音レッスンとか、コインランドリーで自分で洗濯したり

このお宝ビデヲ、いまだに円盤化してくれないので

今はもう観られないのです

 

85年、86年のライブ映像もたっぷり入った「矢沢永吉ヒストリー2」

永ちゃん、早くBrで発売して下さーい

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