スポニチ「YAZAWA MAXIM 矢沢の金言」第11弾(最終回)
(2022年8月23日号より一部抜粋)
国立競技場のリハーサルライブを横浜のライブハウス「KT Zepp横浜」でファンクラブ会員限定でやってきました!いよいよ国立本番です!
何が良かったって、もうすぐ73歳になるこのカラダが「楽」っていうのかな。突っ込んでいく時もカラダが自然についてきてくれた。やっぱ日々のトレーニングというか、真っすぐ体と向き合ってきたってことかな。
でも、この猛暑。どこまで持つかはクエスチョン。だけど、お客はライブ始まったらそんなの関係なし。永ちゃん、きょうも飛ばしてよ!って向かって来ますから。応えないワケにはいかない。だからいつも思う、このギリギリ感にサンキュー!燃えてる矢沢にサンキューです!!
最近思うんだよね。人間なんて生きていく中で、あれもこれもたくさんのものは必要ないんじゃないかって…。自分にとって、これとこれさえあれば生きていけるってものを見つけて。要は、気持ちよ!気の持ち方がどれだけ大事か。シンプルで結構!自分をもっと愛する!これが人生いろいろあった中での結論です。
僕にとってシンプルにやり続けてきたのが、ライブアーティストとしての50年。大工さんや職人さんと同じです。だからステージには自分が納得するまで徹底的にこだわる。しかもロックは生のライブが命。だから、もう無理、ステージには立てない、十分やったと思った時、俺はマイクを置きます。
(中略)
矢沢が矢沢であり続けるためにまだまだ走り続けます。ソロデビューした26歳の時。♪俺は畳じゃ死なねえぞ――って歌ったけど、マジな話、現実に起きちゃうかもしれないよ(笑い)。でも日々、棺桶(おけ)に足突っ込みながらも立ち向かってますから、ステージでパタッと逝っても、それもOK。あれもOK。全部OKで、矢沢最高です!
だって考えてみたらこの50年間。人生いろいろあったけど、ひとつだけ変わらないことがある。俺にはいつも歌があった――。
俺自身、その歌に何度も救われた。山川啓介、西岡恭蔵、大津あきら、ちあき哲也…。矢沢永吉の世界を70年代から90年代にかけて一緒につくってくれた4人の作詞家です。既に天国へ旅立たれていますが、矢沢のメロディーに言葉を与えてくれたことに本当に感謝しています。
この連載も最終回。振り返ると、死んだ親父におばあちゃん、キャロル、山中湖、全米進出、豪州の詐欺事件、ウェンブリーの奇跡…と失敗や反省することばかりの人生でしたが、今の「矢沢最高!」にたどり着くためには、全部必要だったのかもしれません。
その集大成となる国立競技場2DAYS。我ながらドラマチックな人生ですから、その意味でも何が起こるか分かりません。だからこそ、そこんとこ、ヨロシク!
《エアコン止めてストーブ2台 しゃく熱トレ》矢沢は猛暑の今夏、都内のスタジオに電気ストーブ2台を持ち込んで個人リハーサルを続けている。ステージの照明の熱さに慣れるためで、若い頃からやっているツアー前のルーティン。この猛暑の中、エアコンを止めてストーブをたきながら1時間以上歌いまくるのだ。そして毎日欠かさず、柔軟などのトレーニングもしており「マジで持久力、上がります」と元気いっぱい。こういった日々の鍛錬が強靱(きょうじん)な72歳の肉体をつくっている。
(中略)
「矢沢永吉」という人間の深層に触れ、心底ひかれた言葉がある。今から15年ほど前。大みそかのイベント終了後、除夜の鐘が鳴り終えた頃に膝を突き合わせながら聞いた。
「実は人付き合いがあまり得意じゃないんだ。臆病なのかナルシシストなのか分からないけど。人がね“あいつ、ええカッコしやがって”とか思ってるんじゃないかと思っただけで耐えられない。人の目が、陰口が、気持ちが怖い。だから周囲に黙って合わせたらいいのか。それはもっと耐えられなかった」
夢や欲求、ひらめきに忠実で、打算や妥協を嫌う。野性的な好戦性に隠れた繊細さはここから生まれ、自分を愛して自分を信じる孤高の生き方も、独特の切なさがにじむ歌声とメロディーにも、その純真が見えるのだ。同じ団塊の世代から50歳以上離れた若いファンからも愛着満点に「永ちゃん!」と呼ばれるのはこのためだろう。(阿部 公輔)
本当に素晴らしい作詞家さんとの出会いですよねー
詞の世界が普遍的なので永ちゃんのメロディと合わさる事で
楽しい時、辛い時、悲しい時も。。
心を慰め、心が救われるような気持ちになるのだと思います
私も眠れない夜、永ちゃんの曲を聴きながら過ごした事が何度も有りました
新国立競技場「50周年記念ライブ MY WAY」今日は2日目
降っていた雨も止んで来たようですねーー
参加される皆様、とことん楽しんで記念ライブを盛り上げて下さーい
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