登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと  【不登校 命を守る 子の反応】  一人で悩まないで!  

不登校から学んで、子どもたちを取り巻く環境を改善しようと1997年に設立した団体です。その活動や想い等をつづります。

就職しました  会報 ふれんずNo.222 より

2018-08-06 10:12:24 | 会報「ふれんず」から

会報から一部切り取り

 

1 就職しました 

 祖母: 孫が小5のときから不登校で、8年目です。

いまは高校を卒業し、就職しました。朝5時半に起きて、4月から休みなく行っています。

振り返ってみれば、4、5年親の会に来て、話すと涙、涙。自分自身毎日きつくて仕方ありませんでした。ここで話すと少し楽になったけど、家に帰ると孫が布団かぶってゲームしているのを見ると、出口はあるのだろうかと思いました。

(孫の)母親も心労がたたって入院し、私も不安定になりとても大変でした。小学5年から学校へ行けなくなっていましたが、私が考え直して無理をさせないようにしました。中学校ではクラスに入っていけなかっけど、修学旅行や中3の時の体育祭には参加しました。

支援学校に行って、高校は3年間遅刻なしです。本人もやる気が出て、生徒会活動にも積極的でした。私が学校に顔をだすと、学校の中で活き活きしている孫を見ることができました。先生方の対応も良く、気持ちも軽くなっているんだなぁと思いました。

今は(職場で)毎日楽しくしているし、人間関係もいいようです。

2、3年親の会に来てませんでしたけど、今日は、トンネルの先には必ず出口があると言いたくて来ました。

 

B : よかったですね。どんな仕事ですか?

                            

祖母:接客業です。意外だった。小さい時は多動と言われ、せせこましかったですけど、だんだん落ち着いてきて、車の免許も取りに行きたいようです。このまま順調にいってくれるといいと思います。

 

B :娘さんは?

 

祖母:2回入院しました。でも、孫が学校に行き始めたらだんだん元気になって、普通の生活ができるようになりました。毎日温泉に行ってます。家事はあんまりしません。私は「よかーごとしなっせ」と言ってます。

   私は最初、孫が学校へ行かなくなった時は、馬乗りになって孫を叩いたこともあります。壮絶でした。でも、少しずつ子どもに寄り添うようなっていきました。

子どもは大きくなると、自分から話すようになります。家にばっかりおってはよくないと思い、外に出るように仕向けたこともあります。

                   

コメント
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