登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと  【不登校 命を守る 子の反応】  一人で悩まないで!  

不登校から学んで、子どもたちを取り巻く環境を改善しようと1997年に設立した団体です。その活動や想い等をつづります。

「まるごと」を肯定する  会報「ふれんず235号」 より ② 

2019-10-10 21:52:11 | 会報「ふれんず」から

会報から

💓 参加して思うこと

 今回、「リストカット」という衝撃的な言葉が出てきて、不安になられた方があるかもしれません。でも、私はよく話して下さったと思います。とてもつらい出来事は、安心感がなければ中々語れるものではありません。

そして、不登校が何年も続くかもしれないと不安になられて、あの時のあの言葉が間違っていたのではと揺れていらっしゃる方もいらっしゃいました。とても正直な言葉だと思います。

そんな方たちにどんな言葉が役に立つのかと考えているとき、全国のつどいで配られた資料の中に、こんな言葉を見つけました。高垣忠一郎さんの言葉です。

 

「私」という自我は「お前すごいなあ!」と評価されたら元気になる。だが「いのち」は評価では元気にならない。「いのち」を元気にするのは生きている存在「まるごと」を肯定する愛であり、ゆるしである。「こんな自分は消えた方がよいのでは?」と自分をまるごと否定する子どもを受けとめるために決して欠かせないことは「いのち」そのものを抱きしめることである。

 

 学校に行けないことで子どもがどれほど追い詰められ、苦しんでいるかは、子を愛しているつもりの親でも中々本当のところは感じ取れないと思います。私も28年前「お母さんには分からん!」と息子に怒鳴られました。

でも、それまでその子に出来ていた行動「登校」が出来なくなるということは、その子に命に関わるほどのストレスがのしかかっているということの証ではないでしょうか。無意識に、子どもは自分の命を守ろうとしているのだと思います。

子どもは、学校に行っていない間にも成長しています。もしかしたら、自分とトコトン向き合うことで、学校に行っている以上に成長している部分もあると思います。それは子どもに限ったことではないとも感じます。親の会で、何百人という方々を見ていて、そう感じることは珍しくありません。

人はいつまでも「まるごと」愛されたいと思っているのではないでしょうか。誰かに大切に思われていることを、不安なときほどしつこく確認したくなるような気がします。

                                   運営委員 石井

 

 

 

★ 第21回 フレンズ夜の親の会     2019年9月26日(木)

    参加者5名 (初参加者0名)       ウェルパルくまもと 会議セミナー室

 

  少人数だったので、普段話をしない運営委員も、自分の話が少し出来たかと思います。

  18才の子の仕事への関心の芽生え、発達障がいや福祉事業との関わり、運転免許を取らせたい親とまだ取ろうとしない子、我が子が不登校になる前となってからの親の意識の変化、自立しかかっている子と親との距離感、離れて暮らす子を思う親の気持ちなどを語り合いました。

コメント
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