く参 考
■ 現代社会における登校拒否・不登校問題―問題のありかと解決の方向を探る
全国のつどいで、前島康男先生から、会誌ACADEMIAをいただきました。その中から少しずつ紹介していけたらと思っています。高垣先生の書かれたものを書き写します。
心理臨床から見た登校拒否 ―登校拒否は自立への生みの苦しみー
立命館大学名誉教授 高垣忠一郎
1.1970年代半ば以降における「登校拒否」の急増とその背景
文科省の調査結果(学校基本調査)によれば、「学校ぎらい」を理由に1年間に50日以上欠席した者の数は1967年(昭和42年)の調査開始以来ゆるやかに減少してきました。それが1973年(昭和48年)から76年頃にかけての頃を底にしてまた急激な増加に転じています。1973年では小学校で3,017人、中学校で7,880人であったのが1989年(平成元年)には小学校で7,178人と2倍以上に増え、中学校では40,080人と5倍以上に増えています。
なぜこのような推移がみられたのか、1973年はオイルショックの年でありこの期を境に日本経済は高度成長の時代を終わり、低成長の時代に転じました。久富は戦後日本の教育史を「競争激化への道」という観点から、高校進学率と大学進学率に注目してみると、15年刻みの3つの時期に分けられると言います(久富善之著「戦争の教育1993・労働旬報社)。そして1975年以降の第3期を「閉じられた競争」として特徴づけ、次のように解説しています。
―1975年を画期として、高校と大学への進学率はいずれも頭打ちになった。学力・学歴獲得競争はまるで自己運動するように年々激化して、その勢いが止まらないのに、目標間口の方はぴったり拡大を止めて現在に至るまで経過している。それは「ゼロ・サム・ゲーム」と呼ばれる様相を呈する。拡大しない目標間口に向かって殺到する競争は、競争者相互の関係を著しく対立的にし、ただでさえ激しい競争を一層激化させることになっている。これが「閉じられた競争」の第1の様相である。また、それと連動する形でいくつかの閉鎖的状況が深まっている。これが「閉じられた競争」第2の様相である。
たとえば日本の子どもたちの自己評価は学年をあがるごとに低くなり、またいくつもの国際比較調査でどの国と比べても低いことが知られている。これは日本の子どもたちの能力が伸びていないのではなく、彼らの自己評価が他者との相対比較に強く縛られ、そこに閉ざされているからである。閉じられたなかでの競争激化は、競争における「優者」と「劣者」との格差を拡大していく。―
学校での閉じられた競争は社会における「格差拡大・固定化」に対応し、このような排他的な「生き残り競争」の様相を呈する競争の激化が学校を中心とする子どもの生活状況に少なからぬ影響を与え、そのことがこの時期における子どもたちの登校拒否の急激な増加に結びついていると考えられます。そのことを抜きにして73年前後まで一時期ゆるやかではあれ、減少していた登校拒否の児童生徒の数がこの時期を境に一転して急激な上昇を続けはじめたことの説明はできません。