登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと  【不登校 命を守る 子の反応】  一人で悩まないで!  

不登校から学んで、子どもたちを取り巻く環境を改善しようと1997年に設立した団体です。その活動や想い等をつづります。

不登校でもよかよか 会報ふれんず250号 より

2021-02-19 10:29:09 | 会報「ふれんず」から

ききました! 

2020年12月9日(水)ラジオ深夜便、人権インタビュー
「不登校でもよかよか〜ありのままの君が認められる社会へ〜

齋藤眞人氏(私立立花高等学校長)へのインタビューが放送されました。会員から情報をいただき、聞くことができました。とても元気が出たので、一部を編集してご紹介します。何が人を動かすのかも読み取っていただけたら幸いです。
※ 聞き手は、NHK福岡放送局 魚住優アナウンサー
  
▼定員の8割が不登校を経験している立花高校、他の高校とは何が違うのですか?
S 一言で言うと雰囲気でしょうね。大らかさがずば抜けている自由闊達な学校だと思います。
従来型の学校というのは「同じであること」を求められてきている。うちは、1人1人が違うんだということをここで体感して社会に出てほしいと思うので、向き合う1人1人を大切にする、そこに行きつきます。
▼具体的にはどういったことを意識しているんですか?
S 例えば「遅刻」という概念、マイナスな出来事かも知れませんが、それがその子のベストの努力の結果かもしれない。色々な事情があっても頑張って来た子どもに対して「よう来たね」と言います。1人1人の現状に寄り添っていくことになるのかなと思います。

▼先生の経歴を教えて下さい。
S  他県で、公立の中学で音楽の教員をしていました。怒鳴って命令形ばっかりでした。子どもは従順に従うんですよ。それが己の指導力だという思い上がりに変わっていったと思います。
▼その頃は不登校とどのように向き合っていたんですか?
S 毎日迎えに行ってました。来させようとするわけです。来られるようになると、その子が頑張って来ているのに自分の手柄だと思ってました。熱心に迎えに行くのは悪い事とは思いません。でも、もっと深い柔らかい考えがあってしかるべきだったなと思いま
す。非常に直線的にそういう取り組みをしていました。
▼立花に来て違和感は?
S 違和感は大ありでした。忘れられないのが、赴任して2、3日目。生徒指導部会で、ある生徒の凄いメイクの議題で「あの子は、あげんせんと登校できんけんねぇ」で終わったんです。素っ頓狂な気持ちになりました。この学校の先生方は「これがなければ外に出られないんだ」と、視点が全然違った。そういうことが積み重なって、自分の価値観が一気に柔らかくなっていきました。

▼ずばりどうすれば不登校から抜け出せるんでしょうか?
S 不登校は抜け出さなくてはならない、という前提では考えていません。不登校の子どもたちが安心して不登校のままでいられる学校でありたいな、とさえ思います。
▼不登校で、いいんですか!?不登校でいると卒業できない、中退してしまう、その後社会でどう生きていくか、こういった不安があるんじゃないかと思うんですけど。
S 逆を言うと、学校を卒業さえすれば社会で立派に生きていけるんでしょうか?学校へ行っている子も、不登校の子も、どっちも頑張っていると、もっと認め合っていいと思います。学校は素敵な場所ですし、就職は大事です。でも、学校に行けなくても幸せになる道はある。当たり前だと思っていることは、凄く頑張っている結果なんです。ちょっと極まった表現になりますが、良いか悪いかで考えていません。


▼あらゆるものの考え方として、白黒つけなくてもいいんだよ、ということなんでしょうか?
S 有り難うございます。とても分かりやすい。不登校という概念がなくていいと思っています。
我々は人権を持って生まれてきています。公共の福祉に反しない限り、誰からも犯されない権利です。また、義務教育とは、子どもに教育を受けさせる義務が大人にあるだけで、子どもたちは学ぶことができれば、学校に行かなくてもいいわけです。
「不登校でもいい」という言葉の奥には「あなたが一番大事。あなたはあなたのままでいいんだよ」というもっと大切なメッセージがあるわけです。

▼まずはどんな取り組みをして再出発されていますか? 
S まずは、ちゃんと「あなたの存在はとても掛け替えのない存在」と思っていることを伝える。私だって生徒に学校に来て欲しいですよ、会いたいですし。でも、必ずしも学校に来ることが全てではない。○か×かで捉えると、どこかに境目ができてしまうんですよ。そして、彼らの意思、自立心が大事だと思います。
▼子どもって認められるとどう変わるんですか?
S 学校に行けないという「自己否定感」が、すごく重なっているときに、親や先生から、学校に行けなくても自分の存在を掛け替えのないものと、認めてもらえば、自分はすごく価値のある人間という「自己有用感」に直結します。
▼家から出た子についてはどうアプローチするんですか?S できていることを認めてあげ、できる手段を準備しています。学校には来られなくても、家を出ること
ができると捉えたら、とたんにポジティブになる。中間地点があればいいと考え、学校外教室を開設。公民館など公共の機関を借りて、夕方2コマの授業をやっています。

▼フリースクールのようなものを学校がやってしまうのは新鮮なんですけど。
S 学校の当たり前は破壊していきたい。
▼その次のステップは?
S すいません、大人は「よし、ここまで来られたから次の手段」とすぐ考えてしまいますが、これが全てです。学校外教室に来られたことを手放しで認める。
それから子どもが選べるものとして、サポート教室、スクーリング、あるいは博物館や美術館など。

▼サポート教室とは?
S 何らかの事情で母体となる教室に入れない子を別室に集めて、異なる学年が一つの空間で学べるような。
▼教室で授業を受けるという概念にとらわれないということでしょうか?
S 例えば、廊下で授業を受けることができます。
▼どこで授業受けてもいいんですか?
S いいです。校長室で、リモートで授業を受けている生徒もいます。
・・・省略・・・


▼無理に学校に来ないでいいとなると、結果的に留年とか退学とかにならないんでしょうか?
S うちは全日制で単位制です。3年間の卒業に拘っていない。留年という言い方をしてしまうと、頑張って取ったはずの単位がゼロになってしまう。
▼そういった制度で、退学する数は?
S (問題は)数じゃないけど、激減しております。今は多い年で6~7%。少なくなったからいいということではなくて、全員に答えることができていないということは、非常に痛切に感じています。
▼その後の人生への影響などは?
S 葛藤はあります。もし、全員必ず幸せになるというものがあれば、そうします。でも3年で卒業しても、すぐに就職しても、しんどい子もいるわけです。絶対にこうでなくてはならないと頭を縛られると、そうじゃない子どもたちもいるので、その子その子に合った対応をしていきたい。
▼就職支援は?
S この子たちに合う求人票を見つけてきたい。そんな会社がある社会になって欲しい。社会に合うようにそぎ落としていくんじゃなくて、その子のそのまんまの個性で受け入れてくれる会社が増えるように。 
▼増えてますか?
S 捨てたもんじゃない。今の社会に違和感を感じている人は多い。画一的な社会のありようや個性の大切さは、気づいて下さっています。変化しようとして下さっているはずです。

▼そういう思いに至ったきっかけは?
S ある中学校に、うちの生徒たちがよさこいの指導に行ったとき、ご褒美にシュークリームの差し入れがあって、それを弟に持って帰ろうとする女子がいたんです。なんと心優しい子かと思い、私のを遠慮するその子にあげたら、「美味しい!うち初めて食べた!」と叫びました。17年間食べたことがなかったのを、弟のために持って帰ろうとしていたんです。私は涙が溢れ「優しいねぇ」と言ったら、「でも中学校の頃、優しいだけじゃ通用せんて言われた」と彼女が言ったんです。「なん言よっとか、そんままでいいとよ」と言うと、ポロポロ泣いて「うち、社会に出るのが怖い」と言ったんです。この話の本質が、僕には刺さりました。社会の方に変わっていく責務があると思いました。僕が甘すぎますかね。
・・・省略・・・
S うちの生徒達が社会を変えていくと思います。最初はこの子たちに光を当てようと思っていましたが、この子たちが社会の光です。
今、理解して下さる人たちが比べものにならないくらい増えている。確実に社会は変わり始めています。
▼最後に、「不登校でもよかよか」と思いますか?
S よかよか、よかです!!

コメント
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