登校拒否・不登校に学ぶ フレンズネットワーク くまもと  【不登校 命を守る 子の反応】  一人で悩まないで!  

不登校から学んで、子どもたちを取り巻く環境を改善しようと1997年に設立した団体です。その活動や想い等をつづります。

会報ふれんず199号より

2021-07-18 16:00:47 | 会報「ふれんず」から

2016年6月30日発行の会報から 講演の記録の一部です。(現在はもう退職されています)

「中学校の現場から見た不登校」

    熊本市立西原中学校教諭  二見政輝 先生 

 

 私は来年の3月には退職です。よくここまで教員が出来たなぁと思っています。私は理学部出身で、企業に2年間勤め、その後、仕方なく教員になりました。そして「学校に行けない子どもたち」に出会いました。

▼学校に行かないと学力が落ちたりしますが、私は、学校に行かないということが問題ではなくて、学校に行かないことによって、本人や親が傷つけられる状況の方が、もっと問題だと思います。学校に行かないと進路も厳しくなりますが、長い目で見れば遅れて進むことは出来るわけです。

私は、本人の意思を確認しながら共に歩んでいくタイプの教員です。だから、子どもを学校に来させようと最初から思いません。本人が学校に来たいんだったらそのお手伝いをするし、高校に行きたいんだったらそのお手伝いもするし、何もしてほしくないときは一緒にじっと横にいたり、話を聞いたりするだけかなと思っています。

▼最近、特別支援ということが学校の中でよく言われるようになりました。「一人ひとりの子どもに合った計画を立てなさい、その子の状況を確認してどう進めていくのか、そういう情報を共有していきなさい」と国は言ってきています。ですが、障がいっていうのは多かれ少なかれ誰でも持っていて、そこに着目するよりも、その子の一番困っているところを解決することの方が大切で、私は「共に学んでいくような社会づくり」というのを考えています。

それから、不登校になると自信を無くし、自尊感情を無くしていく。すると無力感になって何も手に付かなくなって前に進めないという状況になります。だから、学校に行く、行かないことよりも、自尊感情を高めてやることの方が大事だと思います。

▼学校に来られない子どもに初めて遭ったのが教員5年目でした。私はその時、熊本に唯一活動されてた登校拒否の親の会に行って、どうしたら良いか聞いてみました。でも誰も教えてくれません。結局「こうすれば学校に行けるようになるというものは無いんだ」という事が分かりました。その後「不登校の問題を考える会」を立ち上げました。

その中では教師も親も含めて、一番話題になったのが成績の問題でした。不登校の子どもたちはみな成績に「1」が付けられて、これば差別だということで県教育委員会に交渉しました。その後、教育委員会で検討され、結局出てきたのは「不登校の子どもたちに一律に“1”の評価を振るのは良くないから、評価をするための資料を集めなさい」ということでした。

これは、不登校の子どもに、テストやプリントをさせたりして評価の材料にしなさいということですが、反って「子どもを追い込むこと」になりかねないという心配が出てきました。

それでも、この子は結果的には高校には行けませんでした。結局数年かけて大検を受けて大学に進学をして税理士になりました。

この時私は「学校に行けないという事で進路が閉ざされる訳ではない」と思いました。その子がやる気になれさえすれば大学も行けるし、自分の目指している職業にも就けるんだと分かりました。

▼次のケースですが、クラスの子どもたちが名前は知っているんだけど顔は知らない不登校の子どもっているわけです。担任として、学校を休んでいる子どもとクラスの子たちとの繋がりをどう付けていくかがとっても難しいんです。

結局、その子の持っているものを引き出しながら伝えていく。行事があるときもその子を念頭に置きながら、クラスの子たちに常に話を掛けていくということをしました。でないと忘れられた存在になってしまいます。

私は、出来るだけ家庭訪問に行くようにしてました。その中でその子が詩を書いていたので、それを学級通信で紹介しました。すると、つらい状況を分かってくれるんですね。この子はその後、高校から大学に進み、今は結婚もされています。

コメント
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