ゆとり、ゆとり世代、ゆとり教育、そして、ゆとり語をとらえると、その世代が何を考えて、何をしようとするかを、将来に向けて思うことになる。当の世代からすれば、お構いなしの、余計なお世話にうつるだろうから、かつて団塊世代と言われながら日本を支え続けてきて、高度成長期からバブル崩壊までを走り抜けた世代が、現役をになっていたころを思い出す、その世代とて、社会の変革をどう遂げたというのか、いまその世代は高齢社会にどっぷりつかってしまった感がある、それで、ゆとり世代を見ていると、突出する、KYである。突出するというのは空気を読むということが、その場の雰囲気であり、場面の流れであり、そのしきたりに合わせられないということであるから、出来上がってきた社会にKY、すなわち、空気を読まないで世代として集団を形成していくことになるので、その行動がどのように決せられていくか、将来の予測が難しい。このことは実は、その場の雰囲気でものごとをすすめ、場面の流れを作り出してその方向に一気に流れ込むということもおこり得ることになる。ゆとり世代のKYは、その反動もあって、それだけに批判力もあるのであろうが、価値が異なる事を知るべきである。
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