新聞記事のコラムである。毎日の掲載にかつては、ひとりで書き、それを続けていると思っていたころがあった。50年すこし前のことである。名文であったから、読み取るのは難しかった。それが、いまでもかわらない。ただ、ある時に気が付いた。毎日でありながら、文体が異なることであった。分かりやすい人、そうでない人、というふうになるが、毎日読むコラムであるし、書く方も、文章のよい時もあれば、悪い時もある、という良いうなことだろうと思っていた。どれも名文であるとされるから、それを教材にしていたり、文章見本のような扱いもあったりで、こんなに難しい文章は手本にならないと思っていた。それも今は変わらない思いだ。字数の制限に、時間の制約、題材の限界と、文章を鍛えるには事欠かない条件が、読むものをして窮屈さを感じさせるのである。 . . . 本文を読む