計算をするのは指令があってのことである。自動計算をする仕組みはプログラムによってである。そのプログラムを動かすのは人間の判断である。計算速度が上がり、その計算能力が人間の計算をはるかに凌駕して計算をしつづける働きは果たしてとどまることを知らなくなったのか、計算を止めることが、また人間の判断能力なのか。それを考え出すと計算機が動き続けている現代社会はこの30年のことであろうか、電子計算機と言われるようになったデジタルコンピュータをさすのであろうか、ディジタル電子回路を用いて、数値計算や論理計算を行う機械というような説明に行き当たる。自動計算器が何を計算するか、その歴史は意外にも、あるいはまさにそのために、暗号を解読するものであったようである。コンピュータを世代による分類で、いまは第5世代には至らないが、その前の世代として37年を経過する。手元で卓上計算機を小型化したものをポケコンと言ったりしたような、その時代からはあっという間のコンピュータ世代である。計算機でなくなるとすると、その時代の到来があと少しのところで予測されて、それは言わずと知れた、人工頭脳であるが、その中間点にある、電子計算機は何が故に、人工頭脳であるか、人間の判断と競うようなことになるのであろうか。 . . . 本文を読む