文章の分析は意味の単位でおこなわれる。ある文章のまとまりを示すのは形態としての語が構文としての文にその連鎖をもって意味をあたえ、そのひとまとまりが構成される。それを形態から段落という複数の文を連ねる形式を持てばまとまりとしての文章が成立する。段落は書き手によって作られる文のまとまりである。その形式を読み取って段落とするなら、そこには読み手による意味の段落がある。書き手と読み手とが一致しての段落があれば、読み手側に書き手のまとまりを解釈することで意味のまとまりを認める段落、それを文段と呼ぶことができる。日本語の文章はその段落また文段によって統一体としてまずは分析される。統一は文章に主題があり、文における話題が意味内容として文に連鎖して、その話題の展開が文章の統一の核となり、そこに主題が現れる。 . . . 本文を読む
天津に出かけている日本語教師が二人、春節休みで一時帰国して訪ねてくれた。
それぞれ2年の契約で、当地にも慣れたようで元気そうで何よりだった。
聞けば天津はマイナス15℃とかの気候で厳冬期になっていた。
こちらから休暇明けに戻ればその気温差はまた身にしみるだろうか。
春は早いので3月にもなればすぐにも気温が上昇して花が咲き始める。
そうすれば桜も咲く季節が目前となり、大陸の内陸気候は変化がおとずれる。
話を聞けば学生たちとの日本食事会が楽しそうだった。
和食がいいとかでのり巻きを作って、な、なんとクラスがやってきての大パーティーだったようだ。 . . . 本文を読む
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次は山内研究室掲示板に天津から投稿した記事をそのまま掲載しました。2000年10月2日
天津大学建築系校舎・敬業湖に映える姿
○天津行9/15(2000年9月15日)
見えましたヨ、名古屋上空から愛知淑徳大の建物が。
あの大きな青色のドームがわかって、それで、緑地に接したキャンパスがありま . . . 本文を読む