姑息は、しばらく、息をつくことである。取り繕い、その場しのぎということである。姑息主義、姑息手段などの語があり、因循姑息とともに、本来の姑息が用法とともに意味内容を拡大したか。古典漢文の例でその意味を知れば、徳に対する、反対の意味を持つようになるので、その行為の理解が異なったか。近代にあって、その場しのぎをするのは、狡猾ななことととらえた。女工哀史〔1925〕〈細井和喜蔵〉三・一〇「狡猾飽くなき彼等にも流石に場あたりな姑息的手段ではゆかなくなった」その一方で、姑息な奴というフレーズがもたらしたとらえようが、姑息の意味そのもののとらえ方と違ってきたか。 . . . 本文を読む
ファミリーと聞いて、なにを思うか。家族ということか、それとも、お家の人か、日本語のファミリーにはまた、ファミリーレストランだの、ファミリーマートだの、マフィアのファミリーの用法もあって、一族、親族、親類縁者までのことがある。家の人と言えば一つ屋根の下であるし、うちの人になれば、その伴侶であるから、かみさんか旦那になるか、というのも、家族観が変わってきたようであるから、ファミリーという語の語源はまたなんだろう。古代ローマの familia にあって、イタリアの原住民にあった、これは奴隷のことのようであったから、それがまた奴隷から財産を意味するようになったとか解説されている。ファミリーは奴隷を抱えてそれが財産であるということなんだとすると、それはまた、主人の命に従うものばかりである。ま、それは言い過ぎとして、イタリアでのことだからまた、父長、家父長のもとにあつまる自由人になることであったり、時代が下って、17、18世紀に親族の集団をさすようになった。 . . . 本文を読む