中国の春節に、かの地の旅行ブームは衰えず、海外へ出るツアーが、大陸からやってくる。景気の浮沈が取沙汰されるにもかかわらず、日本へのツアー客も相変わらずのようである。それを爆買いとし、その購買意欲の高さに経済効果をもたらしている。一人当たりの購入額は、ン10万単位を超え、3桁の数字におよぶすさまじさである。一時の買い物に大挙して買い付けて帰る。それが一度であったとしても、訪日客は引きも切らぬように見える。ツアーは買い物だけではないから、その影響はいたるところで見られるようだ。その現象をたずねてみると、海外の地で日本を超える中国からの観光客はオーストラリアである。そこでは爆買いではない、爆おもてなしがあるとニュースが報じていた。観光地の受け入れが、中国からの観光客の歓迎には旅行に来て中国内にいるのと同じような安堵感を与える工夫があるというわけだ。海外に出かけても集団での観光に国を求める人々である。 . . . 本文を読む
文章は作文である。作文にあるのは事象の描写である。作者の描述に表現のあやがある。それを修辞技巧とした。その叙述に文章が再構築するものは出来事であったり、風景描写であったり、作者の思いであったりする。文章に意見があると言われ、主張を持つと言われ、文章そのもがひとを表しているという捉え方がある。作文に現れる森羅万象についての捉え方、ものの見方、考え方を示すと考えられるからである。その作文を漢字を用い、仮名文字をまぜ、いまは片仮名とローマ字でもって、漢字、平仮名にあらわせない概念や意味内容を文の中に表現している。作文には一文ずつを綴る作法をもって作文法とする。文章を構成する文はいかなるものであるか。文と句と語と、それはまた、連文節と文節という分節である。 . . . 本文を読む
竿をさす とは、船を操ることである。竿を水底に突いて舟を進めて、さらに、流れに竿を操ることになると、その流れに乗ってさらに前へと進めることになる。流れに竿をさして、流れの勢いに乗じることとなる。夏目漱石が、草枕の冒頭に、情に掉させばながされる と比喩に用いている。この表現で情という舟に乗ることかと、わかればそれはそれで表現通りであるが、船の運航の方法の、竿について知らなければ、情に竿を突き立てるようにすれば、その情の流れに巻き込まれるように流されることになってしまう、とまた、うけとめてしまうこともできるようである。なにしろ、智に働くわけだから、情に突っ立てた竿は流されるのは、それによって角が立ちすることから、さらに、とかくこの世は住みにくい。 . . . 本文を読む