ないよりはましと言うほどのことだったろうに、枯れ木が、つまらないものとなってしまったのはなぜだろう、どうしてだろう、いつからだろうか。枯れ木を老人に喩えて若者に交じることに、謙遜で使われる、それを敬語の用法が反転して、にぎわうことが強調される。枯れ木に風景、枯れ木の用途、枯れ木の味わい、枯れ木の生命とでも言い出したくなる。10年を経ての調査に、使い方が変わって来たような捉え方であるが、それはそうではなくて、人が集まる様子の意味内容をしっかりと表現としているとのことだから、むしろ、勘違いを起こした説明にしてしまうのは、勘違いを起こしやすい。なぜなら、本来の意味で使う人々は、10年前も今も変わらないのである。枯れ木も山の賑わいと申しますから、と、老人が言うのを耳に残したに過ぎない。もっとも、最近には、高齢者は枯れ木にはとても見えなくなってきているようで、この表現効果は微妙な意味合いになりつつある。 . . . 本文を読む
強い風の日、気温も高くなり、春の嵐かと思わせる。この二日間、学会があり、東京に来た。宿は巣鴨、会場は池袋から東武東上線、練馬であった。巣鴨に葉東洋大学、練馬は大東文化大学と、行く先は練馬駅前だった。 . . . 本文を読む