梅雨の語源は、バイウと、または、つゆ とについて、黴の生えるころ、また、露であるかとか、諸説ありして、わかっているようでわかっていない。おじさんのうんちくに、梅雨とは(まじめ版)、喩え話「エアーウォーズ」梅雨戦線異常あり!(パロディ版)、とあり、おもしろい書きかたで、引き込まれた。うんちくの項目にも、興味深い。さて、それによると、和語の、つゆ には、>「潰ゆ」(ついゆ)が、「つゆ」に変化したもの。 と説明がある。そして、補足として述べて、>日本の梅雨の頃梅の実は熟さずにまだ青い実ですよ。梅の実が熟す頃と言うのは中国での話。だから日本に来てから「つゆ」になったのだとすると2.の梅の実が熟して「つぶれる」所から「つゆ」になったと言う説はおかしいですね。
おじさんは田舎育ちなのでわかるけど、梅雨のころ青梅が露いっぱい含んで鈴なりになっているところを思い出します。この雨で梅の実が育つのですよね。
だから「梅の実が育つ雨」で梅の雨「ばいう」、「梅の実に露がいっぱい」というところから「つゆ」とも呼ぶようになったというのが風情があっていいですね。 と新説を推薦している。 . . . 本文を読む
訃報 永六輔さん 83歳 お悔やみを申します 10代のおわりごろ、テレビ番組で、ビデオ撮りが始まるころにもなる、永六輔と語る生番組が毎日放送であった。昭和39年の思い出に、テレビスタジオに出入りしたことがあり、若者の声を聴くトーク番組で、永六輔が担当したのに、出演をした。連続して2回ほど出たのだが、2回めがビデオ撮りになって、自分のテレビに映る姿を、その放送で見たことになる。永六輔が問いかけて、それに18歳の若者がつっかかるというようなトークで、彼は番組内で弟子を募集するなどと言って、しかし、どうして僕の弟子なんかにになりたいのと、諧謔的に、自虐的に話していた。その時に、弟子になりたいと、そこにいた高校生たちはみんな思っただろうと思う。その番組にどうして出ていたのか、記憶は定かでないが、放送局というのは夜がないんだとか思って出かけていた。記念品にロゴ入りに電気スタンドをもらったのを覚えている。そしてその世界へのあこがれは、オンエアの自分の姿を見てしぼんでいく。それは、友人と、なぜかたこ焼き屋の店で自分の姿をブラウン管で対面してのテレビ放送を見ていたという、何とも、怪しげな記憶である。 . . . 本文を読む
日本語文章論を日本語文法にとらえるなら現代語文法ということになるか。国語科目で現代日本語文法を設けるか、現代文という科目で、国語に現代文を範疇とするようであるなら、日本語にも国語があってよい。すなわち日本語に国語があり、現代文があり、古典文があるというようなことである。文章というのは文法単位で設定することになるので、現代文も、古典文も文章である。文法論議に談話を加えて、談話文法とするか、談話論そのもので発話を扱うか、記録である書き言葉に対して言語資料の記録方法に話し言葉をそのまま音声録音して分析することが可能となった。書き言葉資料と話し言葉資料とは録音によって明らかに区別できるようになったのであるから、話し言葉コーパスには録音資料が実現する。デジタル化する音声は文字の記録と大きく異なることになる。談話資料のとらえ方はデジタル録音に変わった。書き言葉にもワープロ打ちの時代であるから、その影響にある文章となる。 . . . 本文を読む