FBに書いた言葉である。日本を取り巻く状況は変わったと思う。かつての日本と同じ状況を作り出そうとする周辺である。これを読む若者が辞世の句ですかと、書き込んだ。しっかりと伝わったのか、辞世の句ではない、憂国の思想である。 . . . 本文を読む
文が開かれた単位であり、文章が閉じられた単位であるとするのは、文法論の便宜である。言語の現象は常に、この喩えを用いるならば、開かれている、大海にたたえられた言葉である。そこにうちよせる波は風波ともあって、その波のラインは文のようである。波は続き、切れ、また続いては切れる。さて、その文が開かれているとするのは、言語に主体客体とを合一する現象を見るときに、その表現に見える主語述語を一体とするあらわし方と、主語述語を一体とするのを、体用の現象とみる表し方の違いにある。主語に文を統括する働きがあるのを、その述語との結びつきが述語と関係するほかの語よりも、主語が最優先であるとする捉え方に対して、体用の現象には必ずしも主語との結びつきをしめざず、いうところの目的語また客語との一体である。したがって、主語を結びつきに絶対とするのに、主語との結びつきに相対のひとつであると考え方であるから、閉じた体系となる主述語に、開かれた体系の体用の現象である。文が閉じた関係構成ならば、文章もまた閉じた関係構成であるので、日本語の文の閉じた関係を超えた特徴を見出そうとする . . . 本文を読む