川柳・ボートっていいね!北海道散歩

川柳・政治・時事・エッセイ

スポーツを荒行と見たら・・・いかがなものかと思う。

2012年08月11日 | 川柳

       韓国李大統領の竹島訪問

 玄葉外務大臣は国際司法裁判所へ提訴予定

でも、韓国は日本を提訴しないかぎり・・・裁判にならないはずだから

単なる今まで通りのパフォーマンスに終わらないだろうか。

一歩駒を進めた形になればいいけれど。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/120811/plc12081110050010-n1.htm

   松原拉致担当大臣が靖国神社を参拝するらしい。

 靖国神社には明治時代より国のために戦って亡くなられた戦没者が奉られている。

中国・韓国に非難されても(単なる日本への揺さぶり行為なのだから)政治家なら行かなければ

国家・国民の命の重さなど机上の空論でしかわからないだろう。

 年に1度国政を預かる責任者として国家のために戦った慰霊の声を聞きに行くことは

政治家の初心を磨くことになりはしないか?

英霊と呼ばれる不幸な顛末で終えた方々は・・・政治家のみなさんにお参りなど望んではいないだろう。

「僕たちも一生懸命この日本を守ってきたのだから・・・あなたたちもしっかりしなさい!」

と告げているはずだ。。。。

戦没者の声を聞け!

石原慎太郎がいいことを言っている。

定例会見で「今日は朝日は来ていないのか?ああ毎日も同じようなもんだ・・・何?靖国へ公人で行くか?私人で行くか?

そんなものどっちもに決まっているじゃないか?それがどうした!それがだめならダメな理由を言ってみたまえ!」

記者は答えられず。

「下手なことを言うと会社から叱られるからか?答えられないんならもっと勉強してから質問しろ!ばかやろう!」

 

今、ロンドンオリンピックを応援しながら思うこと。

日本のアスリートたちは何を背負って戦っていただろうか?

勿論最初は自分自身の目標の達成だろう。

けれど、このオリンピックまでの壮絶な心技体の荒行は宗教のそれとは話にならない試練の体得である。

選手たちが最後に「感謝」の言葉が漏れるのは・・・・この荒行の行きついた精神の答えではないだろうか?

私自身もボート選手としてたった一度日本一になった時、その前日と、後日では考えられない心境に陥った。

なでしこジャパンの誰が「この最高のメンバーと戦うのは最後だと思うので。。。」と声を詰まらせていたのはよくわかる。

ただ勝つことのために鍛錬し、それがなしえた時もしくは終えた時。

ここからが本当の人生勝負となる。

選手生命を終える選択、また前に向かっていく選択、その多くは少なからず燃え付き症候群とどう戦っていくかが大きな試練になる。

日本のメダルラッシュが止まらない。3・11の衝撃でアスリートのメンタルがより強くなったことも要因だと思う。

和は力なり・・・・チームワークが良くなければ団体競技は勝てない。

「和は力なり」奇しくもキリスト教の教えのひとつ。

団体競技なら叩きこまれる言葉。みんな和のもとでわがままの牙を引っ込める。

スポーツを・・・・荒行と見たら・・・いかがなものかと思う。

 

 

 

コメント
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