最近、防人のことが脳裏に浮かぶ。
防人の万葉集に載った句は読んだのだけれど、防人制度を詳しくは知らない。
①防人制度は何のためにあったのか?
(東国、唐や朝鮮の攻撃を防ぐため)
②何年間継続したのか?
(663年から792年までの130年間)
③何年交代か?
建前は3年。でも実はずーっと置かれることが多かった。
④衣食住は
食や兵器は自前で。
防人は北九州などに置かれた警護に当たったのが仕事で、歌を作るのはその当時からたしなみであったと思われる。
時は流れ、大東亜戦争時も兵隊さん方は、密かに歌を詠み軍服の中に遺句を忍ばせていた。
このような、時代の流れの中でも日本人は歌を作り出していた。
ドナルド・キーン氏は硫黄島での戦いの中で、「日本人はどうしようもない野蛮人で、悪党たち]
とアメリカ本土で教えられ、日本兵の死体の中からすばらしい詩歌を沢山発掘し日本の文学や詩歌、俳句などの研究をされ、世界へ翻訳や論評を通じて日本人の内在する性質までも世界に発信していただいた第一人者であります。
本日友人のご招待で、国際ホテルでランチを食べに行く車の中でFMラジオを聴いていたら函館で50年間「街」というタウン誌を発行されていた故木下順二氏の一人娘さんがドナルドキーン氏が来館されたとき順二氏が対応されたという。
故木下氏がドナルドキーン氏と交わした手紙やキーン氏への父の熱い思いもお話されていた。
私は、4度くらいしか木下氏と同席したことしかないですが、初めてお話をさせていただいた時のことを懐かしく思い出し,
キーン氏の講演会で一目見れたことも思い出していました。
それはさておき、現代の防人は北九州から、沖縄へと居場所を変え、米国人が日本の防人をされています。
戦後70年。130年まではあと50年もあります。
辺野古ではあれやこれやの手続き合戦。
県知事も国も平行線の防人不在合戦をしています。
今の現状を当時の防人の方々が知ったら、悲しい一句が出来るのではないでしょうか????
代句します。
「倭の国やここにあらずか防人の立つ瀬の無しと奥歯ほぞかむ」 なかなか・・・自然の句立ちです。ノーマル!
沖縄知事さんよ・・・・歴史を直視しなさいよ!!