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アメリカに勝利したあと、五郎丸選手はインタビューにキック打点が予選選手の中で2位の感想を聞かれ「ぼくだけの力だけではなく、チームの皆が。。。」と答えるのがやっとでした。
私は、ボートで20歳のころ日本一になり、道新や朝日新聞の記者さんに質問されたことがよみがえってきた。
あの時の感覚は昨日の事のように覚えている。
肉体を酷使したあと、何年もかけて積み上げて来たものが到達したとき、それぞれのアスリートが各自にいろんな思いを感じるのは当然だが・・・・
その涙の粒は喜びだけで流れるものではないのです。
自分自身が思い描いていた世界は一瞬の喜びであって、長く持続するものではない。
私は五郎丸選手の思いがじわじわ伝わってくる感覚を覚えた。
いつか、あの勝利の感覚を言葉に残したいと思いながら、43年も過ぎて行った。
自分の思い描いていた感覚とは、まったく別のものであった。(その後、自分の人生に箍をはめられたような生き様は今にも至っている。)
①勝利した喜び→一瞬→②あの練習の苦しい年月からやっと解放された解脱感。
③肉体も精神も頂点を極めた感覚はほんの一瞬。
その後はボート日本一に変わる生きがいの目標探しだった。
五郎丸選手は次回の世界選手権は出場しないはず。(たくさんの人々が現役続行を願っても、本人が選手寿命を一番知っているのだ)
本人もブログにそう書いている。
彼は私の体験の何百倍もの重圧が一瞬ほどけた状態。
一やさしき人間に戻った歴史的瞬間を私たちはテレビ放映からキャッチできたのだ。
自分を極限まで追い込むことでしか強くなれないアスリート。
私が行き着いた勝利哲学は「自分は機械である。艇を早く走らせる人間エンジンになる。」
そして、自分の中でいつも苦しさと戦いながら朦朧となる中、
「特攻隊より、まだ私には明日の命がある。
自分の夢の実現に苦しむのは彼等から見たら、わがままでしかない。」といつも言い聞かせ
ていた。
ある意味、スポーツでトップを狙うと言うことは、己の人間性も、生活も時間も感情も何もかも撲殺することに近い。
そして勝つための研磨をチームが一糸乱れず一つになリ続けること「一艇一心」「一球一心」なのだ。
チームワークが強力な力なのだ。
当然、仲間の中に尊敬や憧れの先輩がいるから後姿を追いながら頑張れる。
日々、己の技術や肉体の弱点や精神力の弱さを発見して修正するのが常のスポーツ。
昔は、辛い・苦しい・もうだめだなど言葉は禁句だった。
今は平気で辛かったと言えるのは個人的癒しになる。
試合を見ながら得点マシーンに己を擬人化させた五郎丸選手の道のりが痛いほどわか
る。
脳科学ではすでにわかっていることだが、脳からの指令ですべてが動くのではなく
筋肉に脳の代わりになるものがあるので、五郎丸のルーティ-ンは筋肉細胞にインプットしている所作なはず。
体得ということが・・・・脳からの指令だけではないと素人でも疑問があったはずです。
養老孟司氏の著書にもアメリカの研究結果が書いてあります。
日本人が脈々と育ててきた「高潔な魂」が久しぶりに日本中を覚醒させた日々。
日本とは何か??を、日本人はもっともっと探求して欲しい。。。
日本の伝統と文化は世界の中心になって行く筈です。