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私泥摸泥(しどろもどろ)・・・佐藤容子

2008年01月14日 | 川柳
              現代川柳『泥』終刊号

 その一
    こんな笑いがある。

 巨匠と言われている陶芸家が、窯から出したばかりの絶品の皿を割っているのを見て、その弟子たちは驚き、訳を聞くと、「わたしは、皿を創ったつもりはない、壺を作りたかったのだ。」と言ったという。

 皿と壺では全くかたちが別である。壺の微細に拘り、それを割るのなら理解できるのだが・・

              だから、笑い話なのである。

 しかし、この嘘か本当かわからないような話は、日常、割とあり得ることではないだろうか。

 例えば、巨匠の創ろうとしていた壺を「言葉」に置き換えてみよう。

 伝えたかったことばが、そのまま伝わらなければ、それは歪な壺と同じことになる。
また、壺でなくて皿になって相手に伝わってしまう場合だってある。

        「わたしは、そんなつもりで言ったのではない。」と。

 確立されている一語に潜む曖昧さ、それを繋げることで生じる別のイメージ。そんな言葉(壺)になれなかった皿を粉々に割ることができたら、どんなにスッキリするだろう。

                              続く・・・。
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