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サモアの想い出、フィジーがよみがえる。。

2015年10月07日 | 川柳

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 フィジー諸島の首都スパ。。。そしてその近くにサモアがある。

52年前の中1の頃、父がフィジー諸島や南インド諸島の調査、学生の遠洋指導の仕事を終え帰宅した。

たぶん、私が物心ついて始めての南太平洋勤務だったと思う。

 旧ソ連やベーリング海調査は毎年のことだった。。。

真っ黒に日焼けした王貞治にそっくりな父が訳のわからないお土産をたくさん持ってきた。

 やしの実。大小様々な貝殻。数種類の珊瑚。外国タバコ。洋酒。貝のブローチ。

いつもの帰宅と違う雰囲気だったので現地の写真や絵葉書を見ながら父の話を興味深く聴いていた。

当時の日本は、アメリカのテレビ番組が開設されてまもなく、海外の情報など「兼高かおる世界の旅」くらいしか入手できない日本庶民であったように思う。

 フィジーの原住民が歓迎の儀式で踊っている写真。火縄をくぐっている写真。原住民の少年や、人懐っこい南洋の開放感にあふれたすばらしい笑顔がそこかしこに溢れていた。

 私はスパの美しい町でインド人がサリーを皆着ているのに違和感を覚え、「なんでインド人がこんなにいるの?」と問いただしたら、父は「サモアは今はイギリスの植民地でインド人が多いところなんだ。だから・・・インド諸島って言うんだ」と、妙に納得したのを覚えている。

 いつものように大きな世界海洋図を広げ、フィジーやサモアの位置や南太平洋の島々を指で案内されながら・・・ひとり自室に入って、父から写真を一部もらい、アルバムにこう書いた。

「いつか・・・絶対行くぞ!南太平洋!!・・・そして、一生かけて・・・世界旅行する!!」と、その感動を書き記した。

 あのカルチャーショックが私の世界への好奇心の原風景だったように思う。

父はその後、グアムサイパンは毎年で、ハワイや日本一周は仕事で毎度のことだった。。。

 父が教えてくれた政治の裏側に本質があることを・・・何気なく体得していたことは、父の生存値の高さでもあった。

ここに書けないことばかり。

 が51年前のサモアへ行ったときは、日本人が渡航するのは珍しいことであったと思う。

「現地の子供たちが自分たちから離れないんだ・・・珍しがって人懐っこいんだよ!」と、子供たちが写った写真を愉しそうに見ていた姿が思い起こされる。

 私が、外国に発火した原点のサモア!!・・・・・こんなかたちでよみがえるとは。。。・・・・・さて・・・12月の旅行・・・オーストラリアも考えたが・・・バンコクになりそう。

サモアはいつじゃいなあ・・・。。。

日本とサモアが戦い、日本が勝利したサモアから

日本選手に、勝利を讃える記念品が贈られた。・・・五郎丸歩選手のブログにその感動が記されてある。

五郎丸歩 @Goro_15 10月3日

試合のMVPカップより嬉しいものをサモアチームに頂た。サモアチームが選ぶMVPです。敗者となった彼らから貰った贈り物は試合のMVPカップより価値があり我々もこんなチームになりたいと思えた。

試合のMVPカップより嬉しいものをサモアチームに頂た。サモアチームが選ぶMVPです。敗者となった彼らから貰った贈り物は試合のMVPカップより価値があり我々もこんなチームになりたいと思えた。

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