水戸藩初代・徳川頼房時代の寛永2年(1625)に、初めは屋根がほとんどが板ぶきの、質素な三階物見が二の丸南崖近くに建てられたそうです。この建物は、明和元年(1764)に、右筆(ゆうひつ 文書係)方が火元になった火災で焼失したそうです。ほどなく、姫路城天守閣を模して、規模は以前より大きく、屋根は瓦葺きで鯱を置き、1層部分は外見1階内部3階という構造で再建されて、天守閣らしいものになったそうです。お三階櫓(おさんかいやぐら 御三階櫓)と言われたそうです。事ある時に、甲冑(かっちゅう)で身を固めた藩士が、お三階崖下にある中御殿前に集合するのを、藩主がお三階から閲兵したそうです。昭和20年の空襲で焼失して今はありません。下は、あちこちで見たお三階に関するあれこれです。お三階櫓が正確な言い方なのでしょうが、お三階と一般にいわれているようなので、そのようにします。
文久元年(1861)水府家御屋敷割図
水戸商工会議所が発行している地図です。水戸城二の丸南端にあり、南の崖下に中御殿があることが分かります。
航空写真
昭和11年に撮影された二の丸周辺を撮した航空写真だそうです。左は師範学校だそうです。水戸市立博物館(大町3-3-20)で見ました。
水戸城模型
二の丸展示館(三の丸2-6-8)にありました。この模型は、弘道館がある時代の水戸城の配置がよく分かります。
写真
回天神社(松本町13-33)にある鰊蔵(にしんぐら)内に展示されている、大正時代に撮影されたというお三階の写真です。絵はがきのようです。
写真
水戸市立博物館で見た写真です。これも絵はがきのようです。
写真
平和記念館(三の丸1-4-19)で見たお三階の、2、3層部分の写真です。あちこちでよく見る写真です。このころは、誰でも見ることができたのでしょうか。
鋳造模型
水戸黄門神社(三の丸2-2-29)入口に建てられた表示柱の上につけられたお三階です。
お三階を模した民家
ずいぶん目立つ建物です。たぶんいろいろ聞かれるのでしょう、住んでいる人は、普通の家ですと言っていました。