ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の扇(1)

2022-02-26 20:02:36 | 水戸

山門の佐竹氏扇紋(天徳寺 河和田町914-1)
 一旦は源頼朝に討たれた佐竹秀義が、その後頼朝に仕えて出兵したときに、白旗で参加したそうですが、源氏の白旗と紛らわしいということで、頼朝から旗の上に扇をつけるように命じられたことから出来た家紋だそうです。水戸では、徳川氏にいじめられた寺社には佐竹氏の名残がときどきあるようです。扇の中の丸は月だそうです。

 

頼房像(36°22'22.4"N 140°28'53.5"Eあたり)
 扇を持ち、刀を差した頼房正装の姿が、篠原洋によって作られているようです。

 

享保雛(水戸市立博物館 大町3-3-20)
 現在、「渡り鳥の不思議」展と同時に、「水戸城下の雛まつり」展が、水戸市立博物館で開催されていて、そこに展示されていました。時代ごとに分かりやすく雛人形が展示されています。享保年代(1716-36)くらいさかのぼると、おひな様も、現在の感性とはそうとう違った顔立ちで作られているようです。持っているのは檜扇(ひおうぎ)という、ヒノキの骨の扇だそうです。

 

徳川吉子歌扇(弘道館 三の丸1-6-29)
 斉昭の妻・吉子(扇面右端が吉子)が梅を詠んだ和歌が書かれた扇面だそうです。「したひこぬ 人もあらじな おほ国の よそまでゆかむ 梅の下かぜ」(梅木の下を吹く風は、藩の外まで吹いて香りをひろめ、慕ってこない人はいないだろうという感じなのでしょう)。これなど、吉子が斉昭を信頼していたことが感じられる歌のような気がします。

 

板戸の歌扇図(好文亭 常盤町1-3-3)
 普通は、ふすまに扇面が貼られるようですが、好文亭では、板戸に扇面が描かれています。モミジアオイとユリとケシボウズのようですが、須田珙中(きょうちゅう)が、戦後、好文亭復元のときに描いたようです。

コメント
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