ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の十字(1)

2022-02-11 16:41:48 | 水戸

水戸赤十字病院(三の丸3-12-48)
 日本の赤十字社は、西南戦争の傷病兵救護のために佐野常民がつくった博愛社が前身で、明治20年に日本赤十字社と改称して、佐野が初代社長になったそうです。吉田神社(宮内町3193-2)にある伝万世碑の題字を佐野が書いています。水戸赤十字病院は、大正12年に開設され、水戸の中核病院として今に至っているようです。赤十字のマークは、紛争地域等で攻撃を加えてはならない印だそうで、赤十字創設のスイス人アンリ・デュナンが、スイス国旗の赤白を逆にしてつくったものだそうです。

 

松井喜左衛門(写真右 享和2年(1805)印可)、松井作左衛門(写真左 文政7年(1824)印可)の墓(松本町13-34)
 常磐共有墓地にある、宝蔵院流十文字槍術を免許皆伝した2名の墓です。興福寺の子院・宝蔵院の院主・胤栄(いんえい)が創始した槍術だそうです。「突けば槍 なげば長刀(なぎなた) ひけば鎌 とにもかくにも 外れあらまし」とうたわれた十文字の槍で、幕末には一世を風靡したそうです。

 

報仏寺の十字名号
 北条平次郎の妻は、大部(おおぶ)平太郎の妹で、親鸞のもとへ参詣して、十字の名号(帰命尽十方無碍光如来(きみょうじんじゅっぽうむげこうにょらい) 阿弥陀仏の名号だそうです)をもらい、夫が嫌うのでこっそりとそれを拝んでいたそうです。それを見た荒くれ者の平次郎は、恋文を読んでいると勘違いして、妻を切り殺してしまったそうです。家に戻ると妻は生きていて、驚いた平次郎は現場に戻ると、血染めになった2つに切られた名号があり、心を改めたと伝わっているそうです。平次郎はその後、唯円という親鸞の高弟となり、今の報仏寺を開いたり、歎異抄を書いたりしたそうです。写真は本堂前の表示石碑です。

 

丹下十文字バス停(見川町2131-143)
 水戸では十字路のことを十文字というようで、あちこちで十文字の表示が見られます。ただ、バス停での名前は、少なくなっているようで、病院名(堀十文字バス停など)などに変わってきているようです。道路看板などの私的な場所表示には、十文字という言葉がときどき使われているようです。写真左にバス停があり、右奥に十文字の交差点があります。このあたりは、徳川幹子などが戦後開拓した地のようです。

 


十字懸垂ベンチ(沢渡川緑地公園 緑町2-4-36)
 吊り輪では、手を両側に開いて体が十字の形になるのを十字懸垂というそうです。そうすると、この遊具の名前はどんなものだろうかと思うのですが、十字懸垂と名前がついた健康遊具では圧倒的にベンチのこの形が多いようです。足を前に出して体を持ちあげるということは、かなりきつい運動のようです。

コメント
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