地図は、水戸市観光協会が発行している「水戸の城下町マップ 幕末版」です。
本丸入口(三の丸36°22'23.0"N 140°28'57.8"Eあたり)
本城橋を渡って本丸に入るところにある枡形です。かつてはこのあたりに、薬医門があったのでしょう。水戸城では江戸時代、本丸の役目はそれほど大きいものではなかったそうで、火薬や紙、穀物などの保管蔵に使われたそうです。
本丸と東二之丸境(三の丸36°22'16.3"N 140°29'02.4"Eあたり)
水戸城一番東側に突き出した高台・東二之丸(下の丸、浄光寺郭)と、一段高い本丸との間にあった枡形です。写真では現在、一直線の坂(中央奥)になっているようですので、改修されたのでしょう。写真は東二之丸側(水戸一高グランド)から、本丸(水戸一校校舎)方面を撮っています。
北柵御門(三の丸36°22'36.8"N 140°28'36.1"Eあたり)
弘道館への伝燈坂側からの入口である北柵御門につくられた枡形です。上の写真・解説の絵図にあるように、門を入って右に折れて回っていたようです。下の写真(内側から見た状態です)のように道はしっかりと復元できてはいないようですが、雰囲気はわかりそうです。
中御殿見付(三の丸36°22'17.7"N 140°28'41.3"Eあたり)
かつては御三階矢来門といわれた柵門があったそうですが、元禄3年(1690)に、それにより柵町の名前ができて、門は西柵町矢来といわれたそうです。そして、門を境に、西側の銀杏坂までを西柵町、東側を東柵町とし、さらに上市・下市の境にもなったそうです。中御殿は、その前、中山家の屋敷地で、徳川光圀の誕生地だそうです。このあたりには、幕末に旧守派の屋敷が並んでいたようです。