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水戸の見て歩き

水戸の酒の話(2)

2016-11-02 21:03:06 | 水戸

横山大観の酒
 大観は、岡倉天心に酒を教育されて、橋本雅邦、下村観山、菱田春草とともに三升組といわれるようになり、酒仙に昇格しました。朝二合、昼三合、夜五合、客が来ると、さらにそれがふえ、肴はほとんど食べず、酒が主食となっていたにもかかわらず、89歳の天寿を全うしたそうです。(県民文化センター前の頌碑)

 

丸山淵明堂跡
 酒の好きだった徳川光圀は、今の偕楽園公園センター(見川1-1251)近くの小丘上に、中国六朝期の詩人、陶淵明の像を安置した淵明堂を建てたそうです。堂内には唐の詩人、李白や、猩々、酒吞童子を描かせたそうです。両人とも多くの酒を題材にした詩をつくっています。猩々亭、酒星堂などともいわれたそうです。

 

杏所の酒
 立原杏所(きょうしょ)は彰考館総裁であった立原翠軒(翠軒)の子で、谷文晁等に師事した画家だそうです。徳川斉昭の正室、文明夫人から、依頼した絵に使うようにと金粉を渡されたそうです。ところが、知人から借金の返済を迫られてそれを渡してしまい、その後せっかく多かったからと返された分を酒好きな杏所は飲んでしまい、結局絵に金粉は使わなかったそうです。夫人には怒られましたが、斉昭は杏所はそういう奴だと笑っていたそうです。(写真は立原杏所墓)

 

金子兜太の酒
 学生時代の3年間を水戸で過ごした兜太(とうた)は、あんこう鍋とかつおの刺身で酒をがぶ飲みしていたそうです。鍋のあんこうは爪のかけらも残っていないのに、酒はいくらでも飲めたそうです。仲間五、六人で大洗まで出張して、海岸で大騒ぎして青春を謳歌しつつ飲みほうけたこともあったそうです。(写真は保和苑句碑)

 

乾杯条例
 正式には「水戸市地元酒等による乾杯の推進に関する条例」というそうですが、平成26年4月1日に施行されたそうです。水戸市産の梅酒、日本酒、焼酎等の酒類や水戸市産の果実を原料とした飲料での乾杯を奨励するそうですので、最近泉町会館で始まったワインも、その対象になっていくのでしょう。(写真は平成26年4月5日三の丸夜桜風景)

水戸の酒の話(1)

 


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