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水戸の見て歩き

水戸の地名の由来(2)

2016-11-01 21:39:45 | 水戸

 写真は明治7年の水戸上下市街略図(網代茂著水府綺談の付録)です。

 

信願寺町(しんがんじちょう)
 浄土真宗、信願寺が町の西側にあったので名づけられたそうです。近隣から出火した火災で寺が焼け、その後移転して、その跡は武家屋敷になったそうです。今のような飲食街になったのは、明治になってからだそうです。子ども時代の横山大観はここに住んだそうです。

 

天王町(てんのうちょう)
 武田信吉の墓所だった心光寺があったそうですが、それが移されて、その跡に牛頭天王(ごずてんのう)が祀られたので、天王町と呼ばれたそうです。その牛頭天王も移されて素鵞神社と改称されたそうですが、旧地に名前は残ったそうです。

 

風呂下(ふろのした)
 新婚の夫に水や泥をかける風習があり、風呂屋で汚れを落としたことからよばれるようになったとあるそうです。この風習は、徳川光圀の時に禁制になったともあるそうです。近くの那珂川には渡船場があったことも地図でわかります。

 

代官町(だいかんちょう)
 矢野という代官が住み、その後も同職の者が住んだので、そうよばれたそうです。剣士・和田平助が住んだところだそうです。

 

根積町(ねづみちょう)
 銷魂橋(たまげばし)からこの町を望むと北極星の真下になるので、子(ね=北)隅町といわれたとあるそうです。(これはかなり怪しそうな説です。)鼠町とも書かれ、武家地だったそうです。

水戸の地名の由来(1)


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