ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸のお墓(明治以降)(5)

2016-11-23 21:46:35 | 水戸

飯村丈三郎  1853-1927
 祇園寺(八幡町11-69 )
 自由民権運動に携わり、県会議員から第1回衆議院議員になったそうです。その後、実業界に転身して、六十二銀行の再建、水戸鉄道(現・常磐線)等の役員になり、いはらき(現・茨城新聞身)の社長の後、茨城中学校(現・茨城高校)を創設したそうです。

 

石上和中尉記念碑
 堀町公園墓地
 お墓ではないのですが、大正13年、教官としての指導中に、部下の地雷操作を間違って死亡させたことから、翌年の除隊の際、切腹自殺をしたということを伝える碑です。この地はかつて陸軍墓地だったそうです。

 

木内克(きのうちよし)  1892-1977
 酒門共同墓地(酒門町330)
 朝倉文夫の塾生を経て、パリでブールデルの指導を受けたそうです。「エーゲ海に捧ぐ」などの作品があるそうです。私の行ったときには、まだ隣にある「木内先生の墓」は東日本大震災で倒れたままでした。写真は墓地脇にある石彫です。

 

佐川一信(さがわかずのぶ) 1940-1995
 酒門共同墓地(酒門町330)
 法学者から水戸市長になり3選されたそうです。水戸名誉市民。水戸芸術館建設、備前堀周辺整備、千波湖浄化事業、水戸駅北口地区再開発等の市長時代の事業があり、水戸のイメージ形成に大きく貢献したようです。佐川文庫がそのメモリアルホールとしてあるそうです。

 

塙三三郎(はなわさんざぶろう)   -1905
 妙雲寺(見川2-103-1)
 金町にあった、豪商・塙呉服店塙載(とし)の弟。金町には「塙の七倉」といわれた多くの倉があったそうです。明治5年に水戸で初めての洋服、雑貨を売る店を泉町に出したようで、先進的商人だったそうです。

水戸のお墓(4)


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