ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸の日本武尊に縁のある神社等(1)

2020-04-21 20:29:56 | 水戸


吉田神社(吉沼町175)
 徳川光圀による八幡整理により、水戸では八幡神社のほとんどが、改名されたり破却されたりしたそうです。この吉田神社は、若宮八幡から吉田神社になったそうです。当然、祭神も日本武尊(やまとたけるのみこと)です。水戸の吉田神社をご覧になってください。

 


草薙神社(見川稲荷 見川2-91)
 草薙剣(くさなぎのつるぎ)は、八岐大蛇(やまたのおろち)の尾から出てきたという、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のことで、日本武尊が、東国平定に出発するときに授かったそうです。東征の時に、賊が放火した草を、この剣で切り払って難を逃れたそうです。草薙神社はそうした記紀神話がもとになっているようで、祭神は日本武尊だそうです。見川稲荷の境内社で、稲荷社殿向かって左側にあります。元石川町手子后(てごさき)神社の境内社の中にもあります。

 


船付稲荷(千波町)
 この稲荷が日本武尊と関係あるのではなく、神社名に冠した船付(ふなつき)という、この地の小字名が、関係あるのだそうです。船付は、日本武尊が舟で水戸へ来て、舟を着けて上陸した地という伝説からきた地名だそうです。 後日 この神社は笠間稲荷神社へ遷座したそうです。

 

別雷皇太神・妙義神社(酒門町859)
 今は一社になっていますが、以前は別々の神社で、妙義神社が昭和43年に別雷皇太神(べつらいこうたいじん)と一緒にまつられるようになったのだそうです。妙義神社は、群馬県富岡市にある妙義山信仰からできた神社のようです。多分それが水戸へ分祀されたのでしょう。富岡では、祭神が日本武尊、豊受大神などだそうですが、水戸では、日本武尊、一神になっているようです。神社は古墳の上にたっているそうです。

かわっぺえり餅
 日本武尊が東征のとき、妃(きさき)の弟橘媛(おとたちばなひめ)が、荒海を鎮めるために自分を犠牲にして海に身を沈めたそうです。12月1日に餅を川に投げ込むこの行事は、弟橘媛の供養のためにするそうです。

日本武尊に縁がある神社


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
なくなった (船付稲荷)
2022-07-23 16:43:16
こんにちは、2022年7月近くを通ったので
行ってみたらなんと、
社も鳥居もなくなっていました。
どこに移動したのか、どうなったのか
情報わかりましたら教えてください。
返信する
水戸の日本武尊に縁のある神社等 (goooid0)
2022-07-24 15:45:03
 船付稲荷の土地は市の所有だそうで、地元の人たちが地代を払っていたそうです。ところが、その町内会では最近新しい住民が増えて、そうした支出に対して批判が出て来て、神社を継続することをやめることにしたそうです。その結果、ご神体は、笠間稲荷に移され、社殿は撤去されて更地になったそうです。船付稲荷は、日本武尊の伝説がある神社で、貴重だなあと思っていましたが、大変残念なことです。町内会では多数決で決まったことなのでしょうが、いろいろ考えさせられますね。
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