吉田神社(吉沼町175)
徳川光圀による八幡整理により、水戸では八幡神社のほとんどが、改名されたり破却されたりしたそうです。この吉田神社は、若宮八幡から吉田神社になったそうです。当然、祭神も日本武尊(やまとたけるのみこと)です。水戸の吉田神社をご覧になってください。
草薙神社(見川稲荷 見川2-91)
草薙剣(くさなぎのつるぎ)は、八岐大蛇(やまたのおろち)の尾から出てきたという、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)のことで、日本武尊が、東国平定に出発するときに授かったそうです。東征の時に、賊が放火した草を、この剣で切り払って難を逃れたそうです。草薙神社はそうした記紀神話がもとになっているようで、祭神は日本武尊だそうです。見川稲荷の境内社で、稲荷社殿向かって左側にあります。元石川町手子后(てごさき)神社の境内社の中にもあります。
船付稲荷(千波町)
この稲荷が日本武尊と関係あるのではなく、神社名に冠した船付(ふなつき)という、この地の小字名が、関係あるのだそうです。船付は、日本武尊が舟で水戸へ来て、舟を着けて上陸した地という伝説からきた地名だそうです。 後日 この神社は笠間稲荷神社へ遷座したそうです。
別雷皇太神・妙義神社(酒門町859)
今は一社になっていますが、以前は別々の神社で、妙義神社が昭和43年に別雷皇太神(べつらいこうたいじん)と一緒にまつられるようになったのだそうです。妙義神社は、群馬県富岡市にある妙義山信仰からできた神社のようです。多分それが水戸へ分祀されたのでしょう。富岡では、祭神が日本武尊、豊受大神などだそうですが、水戸では、日本武尊、一神になっているようです。神社は古墳の上にたっているそうです。
かわっぺえり餅
日本武尊が東征のとき、妃(きさき)の弟橘媛(おとたちばなひめ)が、荒海を鎮めるために自分を犠牲にして海に身を沈めたそうです。12月1日に餅を川に投げ込むこの行事は、弟橘媛の供養のためにするそうです。
日本武尊に縁がある神社
行ってみたらなんと、
社も鳥居もなくなっていました。
どこに移動したのか、どうなったのか
情報わかりましたら教えてください。