ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸のコブシ(1)

2021-03-21 18:42:43 | 水戸

 水戸は今、コブシが満開です。私はなぜか、山笑うという季語を見ると、満開のコブシの花が頭に浮かんできます。コブシの花には、すべての花ではないようですが、葉が1枚ついているのが特徴なのだそうです。下の写真には以前のものもあります。

 

愛宕神社(栗崎町)
 市の保存樹に指定されている樹齢250年というコブシです。ほかの木があるためか、あまり大きく見えませんが、根元を見ると古木であることが実感できます。

 

愛宕神社(愛宕町10-5)
 この木も市の保存樹のようです。愛宕神社(愛宕古墳)の斜面にはえています。樹高があるせいか、花があまり目立たないようです。

 

水戸八幡宮(八幡町8-54)
 手水舎の裏手にあり、めだってきれいです。

 

酒門神社(酒門町94)

 コブシはびっしりと花をつけるので、春の訪れを実感させてくれます。酒門神社ではこのあと、サクラ、ウツギと花が続きます。

 

おしゃべりパーク(南町3-6-35)
 黄門像の横にあるコブシです。コブシは花弁が6枚あるそうです。名前は、実が手の拳(こぶし)を思わせるのでついたそうです。

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水戸の裏(4)

2021-03-20 20:01:51 | 水戸

大手門裏から
 水戸城大手門裏の枡形から見た弘道館です。水戸藩幕末の争乱では、城に攻め込もうとする弘道館を占拠した市川三左衛門ひきいる諸生派(旧守派)と、城を守ろうとする改革派が闘った歴史の場所でもあるようです。

 

観音堂裏(観音堂 五平町1002)
 大きい建物が観音堂の裏側です。そこに小さな弁才天の石祠が見えます。たぶん以前は、弁才天のあるあたりに御手洗池(みたらしいけ)があったのでしょう。写真のお堂裏側中央の出っ張った部分は、本尊を納める場所でしょう。  

 

裡信願寺町(うらしんがんじちょう)石碑写真
 水戸では、本通りである町の裏側にある町の名前につける裏の字は、「裡」を使うようです。本町でも、備前堀側の裏通りには、本通りの「一町目」に対して、「裡一町目」といった書き方をしたようです。信願寺町は、サンユー(五軒町3-1-7)のある通りで、裡信願寺町は、うなぎの中川楼(泉町3-5-6)のある通りのようです。かつてはこのあたりに信願寺(現在は緑町1-2-1)があったようです。

 

鹿島神社本殿向拝彫刻裏(中河内町95)
 表側には、獅子?と波が彫られていて、裏側には、波と波の花のような感じの彫刻がはられています。裏側は、本殿に祀られている神様に見てもらうためのものなのでしょう。写真は裏側の彫刻です。

 

六地蔵寺地蔵堂裏扉
 安置された本尊の背後に、写真のような扉が設置されています。徳川光圀ゆかりの境内にあるシダレザクラが、今見頃です。

水戸の裏(3)

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水戸の梅の話題(19)

2021-03-19 20:53:40 | 水戸

一品梅酒(吉久保酒造㈱ 本町3-9-5)
 清酒ベースの梅酒のようです。(梅酒には焼酎ベースやブランディーベースなどいろいろな種類があるようです。)平成29年の全国梅酒品評会で最高金賞を受賞したそうです。酒税法的には清酒ではなくてリキュールのようです。

 

梅の楽しみ方(パンフレット)
 茨大名誉教授・鈴木暎一監修で、水戸コンベンション協会発行のパンフレットです。梅の楽しみ方として、探梅(たんばい)、賞梅(しょうばい)、送梅(そうばい)を紹介しています。それぞれ、早咲きの梅の開花を探す、中咲きの満開の梅を楽しむ、散る梅や遅咲きの梅を惜しむということのようです。この他にも梅の分類、種梅記碑、薬草としての梅などが解説されています。

 

梅色未来(うめいろみらい)の販売(秋の商工マルシェ(リリーアリーナ 水府町864-6))
 観光みやげの統一ブランドとして、水戸市が認定してつけられる名称のようです。梅を使用した菓子、漬物、梅酒等、幅広い商品を選定しているようです。このほかに、ジョイント栽培の梅を使用した、菓子を中心にしたふくゆいというブランドも別にあるようです。

 

ペデストリアンデッキの階段手すり装飾(水戸駅北口)
 水戸ではあちこちで梅の模様が見られますが、これもその一つで、梅花型に手すりの根元をくりぬいています。

 

マンションロゴマーク(梅香)
 このマンションのロゴマークのようです。石で作られたように見える梅の花の中に、マンション名がはめられています。

水戸の梅の話題(18)

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水戸にある木造の蔵(3)

2021-03-18 20:03:50 | 水戸

谷津町
 高台に建てられた比較的背の高い木蔵です。壁は全面が縦張りで、伝統的な窓がついていて、大棟は7段積みになっています。

 

飯富町(2)
 飯富の少し高い所にありますが、たぶん水害対策の意味もあるのでしょう、基礎ブロック上の一段目は吹抜けになっているようです。壁は縦張りです。大きな鬼瓦と大棟に輪違いの装飾があります。

 

飯富町(3)
 飯富町(2)の蔵より低いところにあるからでしょうか、(2)より基礎上の吹抜けを高くしているように見えます。壁は縦張りで、縦板の間をさらに薄い板ですき間塞ぎをしています。入口が2つあったり、大棟が10段積みになっていたりして、装飾的につくられているようです。

 

上国井町(2)
 下部は横張りの下見板(横板の、一部を重ね合わせて取りつけた板)、上部は縦張りになっています。大棟は輪違いで、側面に窓がついています。下見板は、補修部分なのでしょう。

 

酒門町
 全面に下見板がはられています。たぶん、最近補修されたのでしょう。こういう蔵は増えてきているようです。大棟は7段積みで、側面に窓がついています。また、基礎に煉瓦が積まれ、その上に湿気除けなのでしょう、狭い吹抜け部分がつくられています。

水戸にある木造の蔵(2)

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水戸・千波湖の話題(2)

2021-03-17 21:02:44 | 水戸

千波湖八景(千波八景)
 徳川光圀が選んだという、千波湖周辺の佳景を選んだ「千波湖八景」があります。当時千波湖は、今の西岸あたりから、竃(かまど)神社(本町1-2-6)脇を流れる備前堀あたりまでの大きさだったので、今の感覚で八景を見ると多少違和感があります。「柳堤夜雨(りゅうていやう 水戸城南崖下にあった、千波湖中に埋め立てで築いた道)、神崎寺晩鐘(かみさきじばんしょう 神崎寺はだいたい今の地のようです)、葑田落雁(やぶたらくがん 場所はよく分からないようです)、藤柄晴嵐(ふじがらせいらん 吉田神社の東側あたり)、下谷帰帆(したやきはん 旧奈良屋町あたり)、梅戸夕照(うめとゆうしょう 備前町か梅香あたりの高台のようです)、七面山秋月(しちめんざんしゅうげつ 好文亭あたりの高台のようです)、緑岡暮雪(みどりおかぼせつ 光圀の別荘・高枕亭があった今の徳川ミュージアムのある高台)」(括弧内は読み方と場所の説明です。)写真は、好文亭を仰ぎ見たところですが、好文亭以前に、光圀の妹・菊姫のために死後に建てられた七面堂があったので、現在の偕楽園一帯は七面山といわれたそうです。

 

千波湖の呼び方
 仙波浦、仙波池、仙波湖、仙波沼、千波沼、千波池、千波川、千湖などともいわれたそうです。徳川斉昭の選んだという水戸八景の一つに「僊湖暮雪(せんこぼせつ)」があり、千波湖を僊湖といっています。写真は偕楽園にある僊湖暮雪碑です。

 

産物
 江戸時代は水戸城防備の関係から、千波湖に入ることは原則的に禁止されていたそうです。解禁されたのは明治以降だそうで、カワエビ、ウナギ、ドジョウ、ジュンサイなどの産地になったそうです。写真は、千波大橋から見た千波湖です。写真下は、水質保全のための工事のようです。

 

小作争議
 昭和7年までに干拓されてできた新田は、県外の会社が所有して地元農家による小作が行われたそうです。小作契約は1年、小作料は前納の金納だったそうです。所有会社が変わったり、天候不良などもあって、何度も小作争議がおき、大変不安定な状況が続いたそうです。

 

干拓(2)
 戦後、食糧難がひどかったため、現在の千波湖全体が干拓されて水田になったそうです。昭和22年から25年までですが、昭和23年は、希望者が多くて一人当たり1反歩にも満たない面積だったそうです。収穫が終わると再び水がいれられたそうで、偕楽園観梅の妨げにはならなかったようですが、農家のとってはぬかるみのひどい、大変難儀な田んぼだったことでしょう。写真は、水戸市立図書館にあった、干拓の様子です。

水戸・千波湖の話題(1)

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