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ぶらっと 水戸

水戸の見て歩き

水戸のクワの実

2024-05-26 21:25:27 | 水戸

 明治から昭和前半にかけて、養蚕が広く行われたようです。そのため、蚕の餌であるクワの木が、以前は身近にたくさんあった記憶がありますが、最近はほとんど見られなくなったようです。小さいころ、熟して甘くなった赤黒い実を、学校の帰りがけによく食べたものです。水戸では、タバコの栽培が普及して、養蚕が減ったのか、クワをあまり見ないような気がします。

 

逆川緑地(千波町)
 4月の写真です。まだ青い実のときの写真です。逆川緑地東側にある木道の脇にありました。(撮影R6/4)

 

渡里町
 枝内浄水場の近くで見ました。もうだいぶ黒くなった実もありました。クワの葉の形は多様なようで、いろいろな形が見られるようです。(撮影R6/5)

 

松本町
 このお宅には、何本もクワの木がありました。実がたくさんついていて、だいぶ熟してきているようでした。(撮影R6/5)

 

八幡町
 湧水が並ぶ散策路脇にありました。そうとう太くなった木でした。写真では実がよく見えませんが、けっこうついていました。(撮影R6/5)

 

水戸三高道向かい(三の丸)
 水郡線の土手上にありました。今の時期は、実が目立つのでクワであることが分かるようです。(撮影R3/5)

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水戸のかわいい(2)

2024-05-25 21:39:47 | 水戸

カマキリの幼虫(偕楽園)
 肉食でこわもてのカマキリですが、やはり子どもはかわいいようです。偕楽園にあるアジサイのつぼみの上で見かけました。(撮影R6/5)

 

グリーントリュッフ(水戸芸術館 いけばな展 五軒町 1-6-8)
 敷きつめられた緑色の丸いものは、手毬草(てまりぐさ)という和名がついた、多年生ナデシコの丸い花だそうです。水戸芸術館でおこなわれたいけばな展で、池坊の展示室にありました。(撮影R6/5)

 

雪の螺旋(南町2歩道)
 どのようにしてこうなったのかよく分かりませんが、紐を巻きつけたような形をした新雪を見ることができました。(撮影R4/1)

 

トクサの若芽(桂岸寺 松本町13-19)
 「小さきものはみなうつくし」は枕草子の名言のようですが、上の写真もその一つなのでしょう。若緑色がひときわ映えているようです。生長したトクサは緑色になるようですが、若いときは黄緑色をしているようです。(撮影R6/5)

 

フッキソウの実(水戸市植物公園 小吹町504)
 2つの爪がなければ、ただの丸い実なのですが、これがあると、まったく違ったかわいいものになってしまうようで、不思議だなと思います。(撮影H27/9)

水戸のかわいい(1)

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水戸にある梅の字がついた菓子(4)

2024-05-24 21:43:49 | 水戸

水戸小梅(但馬屋 泉町1-7-1)
 豆菓子専門店にあった、衣に梅を練り込んだらしい、薄紅色の小梅という製品です。小さいですが、梅干しそっくりの形です。

 

ウメドネージュ(パティスリーアズ 笠原町1522-1)
 アーモンドを使った洋風焼き菓子に、梅を入れたようです。

 

梅恋し(お菓子処ひろせ 曙町10-8)
 ふくゆいを白あんに練り込んだ小判焼きのようです。

 

しらうめ(斎藤製菓 酒門町4572-2)
 求肥の中に、白あんと梅ペーストを入れた菓子のようです。

 

美都とうふ(梅)(油屋老舗 本町2-2-10)
 豆乳を使ったカステラで梅あんを挟んだ菓子のようです。小規模生産の店なので、まとまった注文は予約して下さいという趣旨の張り紙がありました。

水戸にある梅の字がついた菓子(3)

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水戸にないもの(3)

2024-05-23 21:39:47 | 水戸

地名としての本丸・二の丸
 水戸城は、おおざっぱに、本丸、二の丸、三の丸に分かれるようですが、現在の地名では、全部を三の丸としているようです。三の丸跡は三の丸1丁目、二の丸跡は三の丸2丁目、本丸跡は三の丸3丁目だそうです。水戸京成ホテル(三の丸1-4-73)、三の丸ホテル(三の丸2-1-1)、水戸赤十字病院(三の丸3-12-48)なども三の丸だそうです。写真は水戸観光協会が発行した水戸城下町マップ幕末版です。

 

地名としての城北と城西
 城東、城南はありますが、城北と城西という地名はないようです。だいたい、水戸城東側の那珂川と桜川にはさまれた一帯を城東、水戸市役所の東で、西は備前堀あたりまで、北は桜川から南の駅南平和公園通りまでの地を城南というようです。城北、城西という言葉はあまり使われてこなかったのでしょうか。大塚池にある茨城百景碑には、水戸城西ハイキングコースと彫られていました。

 

偕楽園の池と築山
 大名庭園には池や築山(つきやま)があるのが一般的ですが、9代藩主・徳川斉昭のつくった偕楽園には、池も山もなく、たいへん珍しい作り方のようです。偕楽園南端にある南崖下の千波湖と、向かい側の台地にある桜山を借景として使っているのでしょう。写真は、好文亭3F楽寿楼から見た、千波湖と桜山です。千波湖方面には、広々とした平地が広がっています。

 


 「水戸に春秋ありて詩なし」という言葉があるそうです。春秋は歴史書のことをいうようです。大日本史完成に200年の年月と、人物、費用をつかった水戸では、それ以外の詩などの分野は、あまりにぎわうことがなかったということなのでしょう。江戸時代には、林十江らの画家や、立原翠軒という文人の外には、歴史の分野以外で、あまり抜きんでた人は出なかったような気はします。

 

骨董品
 水戸では、幕末の天狗派と諸生派の抗争によって、互いに相手のつぶしあいがおこなわれたようです。死罪になったり脱走した人の家屋敷や家財は、没収して処分してしまったそうです。ですから、藩外に流れ出た物も多かったのでしょう。残った物は十分の一もなかったろうともいわれているそうです。現在どうなのかはよくわかりません。

水戸にないもの(2)

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ぶらっと歩きの風景in水戸(2-49)

2024-05-22 21:55:04 | 水戸

日比野カップ(水戸芸術館前庭 五軒町 1-6-8)
 日比野克彦による、手造りのゴールとボールでサッカーのようなものを楽しむ、日比野カップがおこなわれていました。ボールの形はいろいろなようで、ゴールに蹴り込むのはたいへんなようでしたが、みな楽しんでいるようでした。上の写真を撮る直前に、NHKの「いば6」という言葉をそろえて言うシーンを撮影していました。同じ日比野による朝顔のプロジェクトも、6月1日に苗植えがおこなわれるようです。(撮影4/27)

 

洪水水位表示(山王神社 岩根町749)
 令和1年の台風19号による洪水にあった岩根町ですが、山王神社境内にある電柱に、1.6mという浸水した深さを示す表示がはられていました。神社本殿を取り巻く塀にも水の跡が残っているようでした。(撮影 5/11)

 

来館者100万人(水戸市民会館 泉町1-7-1)
 去年の7月2日にオープンした水戸市民会館は、年間入場者数を40万人と見ていたようですが、100万人をこえたようです。予想以上に利用者があるようです。(撮影 5/18)

 

北柵御門(きたさくごもん)通路(三の丸36°22'35.9"N 140°28'36.0"Eあたり)
 北柵御門の通路と土塁の解説が設置されたようです。こんな門で防備は脆弱ではと思っていましたが、けっこうしっかりしたつくりになっていたようです。ただし、幕末・藩内抗争最後の段階で、三の丸にある弘道館は、諸生派がとって、大手門内の二の丸がある城内にこもった天狗派と戦ったそうですので、三の丸にあるこの門も、たぶん諸生派によって突破されたのでしょう。門を入って右方に曲がる通路は、三の丸庁舎の駐車場になっていて、すでになくなっているようですが、その部分以外はだいぶ復元されてきているようです。(撮影 5/19)

 

カラスビシャク(偕楽園梅園 常盤町1-3-3)
 偕楽園の梅園は、梅だけでなく、見てまわる楽しみはいろいろあるようです。たとえば、写真のように梅樹の木陰にはえるカラスビシャクの群生、キランソウなどの雑草や、コゲラシジュウカラなどの野鳥、ウメエダシャクやカメムシ類の昆虫などを探すのも面白いものです。門や石碑を見てまわったり、カリンやロウバイの実などを見付けて歩くこともいいでしょう。それぞれに自分好みの偕楽園探しをするのもいいと思います。もっと、水戸の歴史に思いをはせろとしかられそうですが…。(撮影 5/19)

ぶらっと歩きの風景in水戸(2-48)

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