このあいだ大阪天王寺動物園にいった、動物園の入口から反対側の新世界側を見た風景がこの写真、真夏の太陽が照りつけるさなか、結構大勢の人出だ、WAKIは見るほどに大阪の風景が凝縮されているように思う。ピリケンさんがいて新世界名物の串カツがあってモツ鍋があって餃子があってそれにてっちりそしてパチンコとまさに庶民の町がここにはある。上を見上げれば通天閣が聳えている。
ここは京都府八幡市、枚方市のすぐ隣り、三川合流の木津川左岸の田圃の一角にある、WAKIの家から車で30分のところにある梨園、毎年行くのでおばあさんとも馴染みである、おとといローカルのケーブルTV局の取材があって今年の梨は甘くておいしいとリポートがあったので早速やってきた。60年以上の樹齢の梨の木が見事に育ってたわわに実っている、食べ放題千円の方は敬遠して分けていただいた。こんなに大きなものはいくら食べ放題と言ってもせいぜい一個で満腹だ、でもどうぞと言われたので味見したが水気たっぷりでおいしかった。枝には脅しの鏡やぬいぐるみが吊るしてある、大きくなって食べ頃になるとカラスが良く知っていてやってくるそうでいつも智恵比べだそうだ。きのうは京都のTV局のクルーが取材にきていた。
ここはかなり広い床面積を誇るクラフトショップ、画材や手芸、陶芸など趣味の用品が何でも揃っている、夏休みのさなかは子供たちの工作用品が山積みされて親子連れで賑わっている、WAKIが子供の頃は夏休みは遊び呆けて今ごろになって慌てたものだそれに今のように沢山の素材は無かった、だからいろんなものは小刀(肥後の守)で削って作ったものだ、いまの子供たちもいろいろ作品には凝ったものを作る事と思うが、親御さんもたいへんだ。WAKIの宿題は川柳と習字だ。
あの広大なアメリカ大陸をマラソンで走り切った寛平さんはその後ヨット・エオラス号で日本時間7月15日午前0時にニューヨークを出港それから一カ月余り、17日午前9時26分(日本時間午後4時26分)フランスのル・アーブル港に無事到着した。大西洋ではマグロを釣り上げたりイルカの群れと遭遇したり思い切りエンジョイの旅だったようだ、フランスへ上陸後はいよいよユーラシア大陸縦断のマラソンが続く、そうして往く先々からのリポートがまたBlogで逐一送られてくる。これがまた楽しみだ。WAKIもGoogleEarthに通過点のプロットを入れながら一緒に世界旅行ができる、こんな楽しいことはない。次の目的地は中国の青島(チンタオ)だ。想像しただけでもどれほどの困難に遭遇するかどれだけ過酷なマラソンかまさにアースマラソンだ。寛平さんそれにスタッフの皆さん健康に留意されて安全で無事に完走されることを祈っている。ありがとう!!
真夏の天王寺動物園も例年ならこの暑いのになんでと言うところだが今年はどういう訳か入園料が無料のいきな取り計らいで結構混んでいた。でもやっぱり動物の方が暑さに参ったのかわずかな日陰で寝そべっているのが多かった、ライオンしかりトラもクロサイもしかり、しかし、アシカや北極熊のゴーゴくんは威勢良く水に飛び込んで元気が良かった。ゴーゴくんはひと抱えもある角材を玩具代わりに抱えて浮んだり、陸に持ち上げてかじったり、思い切り遊んで気を吐いていた。
WAKIたちがいつも楽しみながら見るテレビ番組「ためしてガッテン」はときどき参考にさせていただく、この前はスロージョギングが取り上げられていた、これはジョギングではあるがゆっくりと息切れしない程度で歌でも口ずさみながら歩く方法で続けることによって足の筋力を付ける方法であったがこんど紹介されたのは室内でもできる、スローステップ運動だ。こちらは高さが20センチの踏み台に片足を乗せて、そして両足をつぎに片足づつ降ろす、この繰り返しをゆっくり、童謡でも歌謡曲でも何でも歌いながら行なうのである。すでにこの運動はメタボ防止の運動として職場や地域でも定着化して愛好者が増えているそうで、番組でもこの効能をいろいろと説明していた、WAKIは早速ホームセンターで踏み台にする恰好の木箱を見つけ試してみた。歩数計を握って手をふりながら鼻歌交じりで50回もすれば汗も出てくるが、3日坊主で終らないように頑張りたいと思っている。
きのうは大阪市内に娘を送って行った帰りにいまの時期入園料が無料の天王寺動物園に寄って来た、丁度「戦時中の動物園展」が行なわれていた。太平洋戦争では大阪市も例外ではなくB29による空襲で壊滅的な打撃を受けた。動物園は動物への飼料の確保も難しくなり、また、猛獣などの危険から人々を守ると言う名目で暗黙に薬殺が決められた。戦意高揚に借り出されたかと思えば果ては処分と誠に身勝手なことが実行に移されたのである。
その頃WAKIは国民学校4年生、今では堺市に編入されたがのどかな田舎に家族で疎開した、そうして大阪の大空襲では住んでいた家は被災、すぐ近くの堺市はまるで花火のように焼夷弾で焼け尽くされるのを見て、まだくすぶっている中を歩き、沢山の焼死体も見た、また、艦載機による攻撃も体験した。そういうご時世だから動物どころか自分たちが生きてゆくのに精一杯の時代が続いた、しかし、世の中が平和になり復興が進み一番先にわれわれに希望を与えてくれたのは動物たちであった、インドから戦後はじめて象が贈られて日本中が熱狂的に迎えたのはとりもなおさず平和な世の中だからこそとしみじみ思う。
その頃WAKIは国民学校4年生、今では堺市に編入されたがのどかな田舎に家族で疎開した、そうして大阪の大空襲では住んでいた家は被災、すぐ近くの堺市はまるで花火のように焼夷弾で焼け尽くされるのを見て、まだくすぶっている中を歩き、沢山の焼死体も見た、また、艦載機による攻撃も体験した。そういうご時世だから動物どころか自分たちが生きてゆくのに精一杯の時代が続いた、しかし、世の中が平和になり復興が進み一番先にわれわれに希望を与えてくれたのは動物たちであった、インドから戦後はじめて象が贈られて日本中が熱狂的に迎えたのはとりもなおさず平和な世の中だからこそとしみじみ思う。
台風9号と駿河湾を震源とした地震のツメ跡は東名高速道路の路肩崩落で寸断されていて懸命の復旧工事が行なわれている。お盆の帰省ラッシュは今日もピークのようだ、それぞれ故郷へ帰る人、それに長期の休みを利用して旅行に行く人と、列島はたいへん、逆に大阪市内は人影もまばら車はスイスイ走れる。
行きつけのショッピングセンターではさり気なくナスビとキュウリをあしらって店長の想いを夏らしくスダレを利用して掲げてある。いつも感心する素晴らしいセンスだと思う。
行きつけのショッピングセンターではさり気なくナスビとキュウリをあしらって店長の想いを夏らしくスダレを利用して掲げてある。いつも感心する素晴らしいセンスだと思う。
去年余りにも伸びてしまったのであちこち切ってしまったベランダの月下美人、もう今年は無理かと諦めていたが4~5日前から急に蕾が膨らみ始め、ゆうべ見事に咲きました。帰省中の娘も交え3人で開花を見守ったがやはりどう見ても月下美人の開花は神秘的で一つのドラマを見るようで感動ものであった。どうしてあの小さな蕾が急に大きくなるのか、それぞれの花が申し渡したように一斉に膨らみ開花するのか。疑問は尽きない、そうして満開の頃には中空に半舷の月が輝いていた。
夕方いつもウオーキングする中央公園、アカマツやシイの木が鬱蒼と茂っている。今年は天候不順で長い梅雨が続いたそのせいか、林のあちこちにキノコが沢山姿を現した。中には松茸もどきのものもあるが、やはりどこか違う。インターネット図鑑で調べたが良く判らない多分毒キノコだろう。左上の蕾が翌日には大きく開いて美しい。