Sydney Yajima


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ゴールド価格から考えること

2009-04-10 16:29:47 | 世界情勢
ゴールド価格から考えること

2月に1000ドルをつけたゴールド価格が、下がり続けている。なぜだろうか?それはインドのルピーと連動しているみかたがある。
参照YOHOOによるインディアンルピーVS US$のチャート :http://in.finance.yahoo.com/currency/convert?amt=1&from=INR&to=USD&submit=Convert
参照 YAHOO によるゴールド価格VS US$チャートhttp://finance.yahoo.com/echarts?s=USERX#chart1:symbol=userx;range=1y;indicator=volume;charttype=line;crosshair=on;ohlcvalues=0;logscale=off;source=undefined

確かにこの二つは連動しているように見える。しかもインドでも不況の影響は出始めているために、世界でジュエリー需要でもっとも多いインドのゴールド消費にもかげりが出てきているとの見方があった。だが、900ドルを切ったあたりから需要が増え始めているとの見方も出てきている。
参照 India Gold revives, Festival to spur sales By Richard Singh Reuters MON 6th April 2009
http://in.reuters.com/article/domesticNews/idINBOM43566520090406

悲観的な企業の業績発表が行われる中で、すでに底を打ったのだと判断した投資家たちの先導で、ダウを中心に徐々に株価が回復の兆しをみせているのが、春先のニュースとしては、うれしいところだ。オーストラリアでは、失業率が6%に迫り、来年には9%になっているかもしれないと、野党の党首が悲観的な発表をしている。しかし、それにしても、9%とは深刻な数字である。
様々なセクターから、多くの失業者が出ているが、中でも多いのが、金融、ついで、最近では、マイニングにも影響が出てきている。参照:More job down the drain as gloom deepens Ben Schneiders April 8, 2009-04-8 http://www.theage.com.au/national/more-jobs-down-the-drain-as-gloom-deepens-20090407-9zos.html

この連動は、世界的な景気の動向がまだ、下げ続ける可能性を示していると私は、悲観的な見方をしている。
ここでマクロ経済の示す数字だけで、すべてを推し量ろうということに、限界を感じる私は、より経済が人間の業だという点に、回帰してみることにする。
多くの経済学者たちが、うっかりと忘れている数字には、寿命の伸び率があると思う。人間の寿命は、20世紀後半になって飛躍的に延びた。参照 :http://www.census.gov/compendia/statab/cats/births_deaths_marriages_divorces/life_expectancy.html
アメリカの例だが、1970年以降だけでも、平均で10年近くも延びている!!!だのに、60歳になると、リタイアするということは、実際の寿命との関連を考えると、どんどん乖離してきているといわざるを得ない。多くの企業では、60歳もしくは、長くても65歳になると定年になる。その後の人生が、まだまだ続く人にとって、これはとても酷なことだ。なぜなら収入がなくなるからである。もちろん、リタイアをする年齢は40歳であろうとも、50歳であろうとも、本人さえそれでよければ、何歳であってもかまわないという前提で話している。つまり強制的に70歳になっても働くべきだという乱暴な意見を書いているのではなく、70歳を超えても80歳になろうとも、リタイアをしたくない人に、できる仕事をそれぞれ得ることができる社会システムがあってもいいのではないか?と提案しているのである。リタイアした人が、お金を使わなくなるから、彼らの給付金に税金をかけて搾り取るという考え方は、本末転倒で、もっと、彼らに仕事のできる年齢であるという自信を持ってもらい、10年間定年の年齢幅を寿命の延びとともに、引き上げたらどうだろうか?
社会に老害が出るという小泉首相の考え方には、私はどうしても納得できないところがあって、自民党に年齢の上限を決めてしまったときも、中曽根元首相や宮沢元首相など、多くの立派な業績とまだまだ日本のために何かできる情熱と健康をもっていた人たちを、お払い箱同然の扱いにした。これは冷血なやりかただ。私は、老人を大事にするということは、彼らに座敷に座ってのんびりしてもらうことをさすのではなく、一緒に働けることも、同じように意義があることだと思う。人は、働くことに喜びを見出す。その仕事が楽しいと感じる瞬間、生きている実感がわくからだ。
そしてその実感が、経済効果となって、国の未来に跳ね返ってくるのだから、政治はその点を見逃してはならない。日本の70歳には、まだまだ元気で若い者に負けない人が、たくさんいる。知恵も技術もあるこんな熟年層をリタイアさせてしまうのは、あまりにも馬鹿げている。

貧困

2009-04-10 04:43:59 | 世界情勢
貧困

アフリカではエイズ患者が増え続けている。アメリカはアフリカの貧困諸国に対して、医療薬を無償で送っている。だが、その薬を大量に摂取すると、ハイになるために、アフリカの多くの青年たちに、麻薬のように取り扱われている。皮肉な話だ。先日、BBCラジオで、アフリカの女性問題についてインタビューが行われていた。レイプが日常的に起こる地域では、多くの女性たちが 兵士による民間人 大量虐殺ののちに、なだれこんできた兵士たちに犯された。そのうちのひとり女性が答えたインタビューでの話では、「私は一体 何人の男性に犯されたのか分かりません」と言い、さらには、子供をはらみ、父親のない子供ができると、親戚から遠ざけられ、両親からも見放され、一人で誰の助けもない場所で産み、そしてその子供を育てているのだと言う。子供に対しては、愛情が出てくるのだが、子供が、「僕のお父さんは誰なのか?」と聞くと、思わず腹が立って、子供に暴力を振るってしまう自分がいることに、苦しんでいるという。また、誰からの祝福も歓迎もされないでこの世に生まれてきた子供にとって、世界は地獄以外のなにものでもないだろう。その上に、貧困とエイズ。彼らには 明日の保障もない。

一体、なぜそうなったのだろう?

日本に置き換えて考えてみた。

貧困にも様々なレベルがある。日本にも もちろん、貧困は存在する。なかには食べられないというレベルのものも確かに あるだろう。住む場所がない人もいる。その貧困層は、世界第二位の日本経済のなかでも、東京と言う大都市にでも、恵みを請う人が、あふれている。

あるオーストラリア人は、日本人の乞食に500円のコインを、恵んでやったと言う話を私にした。私は失礼なことを言う奴だと憤慨しようにも、よく考えると そんな気にもならなかった。なぜなら、隅田川の川くだりを楽しむ気持ちになれなかったことを 思い出したからだ。それは おおよそ 川くだりの風情とは程遠い、青いテントの川岸が、今でも目に焼きついているからだ。私はちょっと間を置いて、 「そうか・・・」とだけ言ったが、心底疑問におもったことがある。それは、日本の行政は、どうなってるのだろう?ということだ。外国人に恵みを請わなければ生きていけない日本人を、たった一人でも出してはいけないと 思う。戦後のどさくさに、GHQにガムやチョコレートをもらっていたという話はよく聞かされたが、あの時代は掛け値なしの貧困であったのだから、それは仕方のなかったことだったとしても、21世紀の今の時代に、なぜ?日本は、当たり前の施設を貧困の人々に与え、優しく保護する行政を執り行わないのだろうか?
衣食住は、憲法で基本的人権のなかで、きちんと保障されているべきはずのものだし、人間的な生活を保障してこそ、犯罪の根も断ち切れるはずだ。

彼らの中には多くの人たちがいるだろう。借金に負われている人や、家族から見放された人、怠けたいという人もいるかもしれない。またスキルのない人、犯罪をして逃げている人、外国籍で仕事のない人、様々な人がホームレスを形作っているだろう。
だけれども、どんな過去のある人であっても、温かく生活のできる基盤だけは、何も問わずに用意してあげてもいいのではないか?と思うのだ。そうすれば、自然とそこから新しい知恵も湧くだろうし、新しい文化も生まれるし、希望も出てくるかもしれない。なんといっても、人間が・・・それも半端でない多くの人間たちが・・・そこに大きな資源として眠っているからである。

公園で炊き出しをしている風景のなかで、「これは戦後ではないか?」と思う人が、たくさんいるはずだのに・・・もっと優しく、懐の深い情けのある政治は、誰もしないのかな?

日本の政府はそれとも、わざと ホームレス階級を作っているのだろうか?と思える節もある。それを 一般の人々が見ることによって、「ああなってはいけない」と恐怖感を抱かせることによって、経済効果に得るものがあるという構図を、わざとしているのか?と思えるのである。もし、施政者がそういうあさましい考えの持ち主なら、それは とても恥ずかしいことだ。施政者が貧困の苦しさや、悲しさに目を向けて、それをそっと目に見えない形でサポートしてこそ、貧しいものも生きる希望と仕事や将来に夢も出てくる。貧しい者から見捨てる。そんな時代は、ずっと前に終わりを告げていたはずだ。

日本は 弱者にとって優しい国だろうか? 自転車に3人乗りをして、サーカスの曲芸のようなお母さんと子供たちを見て、施政者は法律を作って禁じることを思いつく前に、なぜ、彼女たちはそうやって、子供たちを乗せて危険な思いをしなければならないのかを よく考えてみるべきではないだろうか?そうすれば、安全な道を作ることや、もっと安全な自転車にたいして 政府が補助金を出すことなどでもして、子供たちを守ろうという考え方も出てくるはずだ。

危ないから、禁じるよりも、危ないから、助けてあげようと考えることは とても難しいことなのだろうか?政府の財政悪化しているおり、そういうところまで金が回らない・・・ともし仮に、言う人がいればその人は、さっさと政治家や官僚をやめたほうがいい。人のために何かできるという力を持った人は、神様から、誰かのために何かをできるように選ばれた人である。ならば、そのあなたの力を使って、誰かのために、何かいいことをしてみたらどうだろう?

アフリカの貧困も日本の貧困も、貧困という悪魔は 人間の優しさで解決できるはずだと思う。