Sydney Yajima


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アメリカのパートナーは中国

2011-06-09 19:49:46 | Weblog
刺激的な文字がニュース覧に踊った。
アメリカのパートナーは中国というものである。
多くの日本人は、ショックを受けるだろう。
しかし、これをそのまま鵜呑みにするのは危険だ。
以降その理由を書く

アメリカは広い。
この外務省の行った調査は、アメリカのどの地域だったのだろう。
デトロイトで行う調査とニューヨーク、シカゴ カリフォルニア、テキサス、ハワイなど 場所によって全然違う結果が出るはずだ。
ひとくくりにアメリカと言っていることが 危険。

次に、中国はコミュニストだと言う絶対にアメリカや西洋諸国とは 受け入れあう素地のない体制が支配している。
つまり、これは、オレンジとりんごのどちらが好き?
と 言っているに過ぎない。
単純に、どっちが好き?などと、比べられるものではない。
このアンケートを行った外務省は相当に アホで、日本と中国の違いが分かっていない。
アメリカ人は 日本人と中国人の違いを見分けることはできなくとも、日本が中国とは違う国だということは知っている。
中国がコミュニストだということも よく知っている。




国旗 国歌 というものの私なりの理解

2011-06-09 16:30:03 | フリーメーソン
私の理解なので、あなたと同じ意見ではないかもしれない。
私は はじめからあなたが 私と同じ意見であることを もちろん 期待していないし 同じ意見であってほしいとも思わない。
違うことが前提で あっていい。
なぜなら、私たちは別々の人間で 別々の環境で 別々の体験を経て 生きてきたからである。
だから、当然、私とあなたは 違う。
それは 健全なことなんだ。
だから、私の意見を見て、違和感を感じたとしても、それを攻撃しようとは思わないで欲しい 
ああこういう人もいるのか で、スルーしてくれれば それでいい。
私は自分のブログで、「私なりに こう思う」 ということを書いているだけに過ぎない。


フリーメーソンでは、その国の国家元首と 国旗を リスペクトすることを基本にしている。
日本のロッジであれば、その中には必ず日本の国旗がある。
(ちなみに東京のメソニックセンターには、アメリカの国旗もある。これは歴史的にそうなったためであろう。例えば、マッカーサーが始めて会談を行った部屋なども、当時のまま、まったく同じように保管してある。日本が敗戦をした歴史のなかで、こういう形が取られたのは、要するに戦争に負けたからである。
悲劇であると考える人もいれば、それは歴史の必然で勝者が敗者を裁くことは、当然の成り行きだと言う人もいるだろうし、日本人は とても複雑な心を持ちながら、過去 昭和 平成の時代を 生きてきたわけである)
私の場合は、すでにオーストラリアにおり、そういう歴史的な傷を見ることなく、気がついたらメーソンになっていた。

オーストラリアでは国の元首は クィーン エリザベスになるので、必ず食事の前には、クィーンに乾杯を捧げることになっている。ゴッド セーヴ ザ クィーンを歌うこともあるし、その後は、オーストラリアの国歌を歌うということもある。
が、それを儀礼的に行うことは、当然であるとして行う。
しかし この国でもそれを行わない人はたくさんいる。
しかし、そのために法的処置がとられたとは 私は寡聞にして聞いたことがない。

私にはユダヤ人の仲の良い友人もいるが、彼は、言いたい放題を言う男である。
乾杯のときに、「クィーン カミューラ」とわざわざ言って皮肉っていた。カミューラとは皇太子 チャーリーの後妻のことである。もちろん、ブラックジョークに属するものだが、イギリス王室へのリスペクトというのは、オーストラリア人にとって、半々に分かれるところもあって、特に若い世代では、あまり モナーキストは多いとは言えない。

エリザベス女王はカミューラを手に入れたから、もう馬を飼う必要はないな。と言っている別の友人もいた。
たしかに彼女は多少 馬面ではあるけれど、女性の醜美をあまり言うことは ジェントルマンとしては あるまじき行為かもしれない。

王室や皇室などがあることだけでも、人間の平等という思想から言えば、とんでもないことなんだろうが、私は平等というのは思想の中だけに存在するものであって、観念を離れて、現実にはありえないと言ってきたし 今もそう言い続けている。 何度も味わい、苦しんできた自分自身の体験を経て、そう信じているので、これはそうやすやすと変わりそうもない。もちろん、平等が 本当に できるならそれに越したことはないとは思っている。

日本の教師が、まあ言うなれば、国から給料をもらっている人間が、国歌を歌わない 国旗に敬意を払わない。ならば クビ。という大阪の橋本知事の決定をみて、なるほど、日本はそこまで ゆがんでいるのかと 思った。

私はイギリスの、王室に、個人的にはあまり、深入りしたいとは思わないが、それでも乾杯もするし 国歌も歌う。

日本の皇族に対しては より別の見方を持っている。
歴史的な評価はもちろんのこと、西洋の豪華な金襴の生活に比べて、日本の皇族のつつましい姿に胸を打たれる。
被災地に 老齢を押して行かれた天皇皇后のお姿に、もちろん感動を覚えた一人である。
さらに個人的なことを言えば、自分の血の中にも、幾分かの桓武天皇の血が入っていることを 誇りに思う気持ちもある。

だが、それらを全部 差し引いても、もちろん、君が代も 国旗に対しても敬意を払ったであろう。
それは、私が皇室を尊敬しているということとは 全く別の次元で、日本を愛する 国を愛する あるいは、そこに自分のアイデンティティーを持ち続けるという意味において、日本人にとっては貴重な体験である国歌を共に歌うことへの特別な感情に、浸りたいがためでもあるだろう。

もちろん、オーストラリアの国歌を歌う自分は、そのときはオーストラリア人として、自分の新しい生き方をそこに見出したがためである。これは、これで 間違ってはいないはずだ。
人は、流浪し、やがてそこで新しい価値観を身に着けて、そこから、また新たな萌芽をするものだ。
私の考え方は、もしかしたら、日本にずっと住んでいる人とは 異なるかもしれない。

もちろん、意見はある。
様々な問題点や、ひとつづつの疑問点を言い出せば、キリはない。
たとえば・・・
オーストラリアの捕鯨活動はどうだ。彼らの行う 人種差別はどうだ。日本でいえば 隠蔽体質はどうだ。日本の在日問題はどうだ。などなど、多くの矛盾と疑問と問題を言い出せば、それぞれに多くの問題が含まれており そのどれひとつをとっても、一晩中語ったところで、解決などしない。
しかし、人間というのは、一生たくさんの矛盾や解決などできそうもない問題を 抱えて生まれ、そして死んでいくものなのである。生まれる場所は 選べないが、死ぬ場所はある程度決められると 言ったところだろうか。


多くの私の在日韓国人の友人たちは、君が代を歌い、そして日本の国旗掲揚をリスペクトしている。
彼らは、もちろん、韓国の二世三世であることを誇りに思っているが、同時に 日本にうまれた在日(新たな日本人として)の誇りも持っている。いわば、二つの誇りを持っているのである。この心情は オーストラリアの国旗掲揚で立ち、そこでオーストラリアの国歌を歌う私にとっても、似たものがあると思う。
状況が、そうさせたことは、本人の力では抗らうことはできなかったのだけれど、それを 居心地の良いものにするためには、自分の中でたくさんの複雑な要素を消化し、抗うことなく なるべく ナチュラルに体現していくしか 気楽に できれば やや幸せに 暮らす方法はないのである。

私がフリーメーソンの、メーソンリーであることは、こういう複雑な心情をすべてはじめから、解決できないものとして、受け入れて そのうえで、自分自身にそれを受け入れるだけの器量があるかどうかを 試しながら行き続けるということなのである。

フリーメーソンほど、歴史上 長い団体も少ないだろうし、これほど 力を持った団体も少ないことは知っている。
親睦であろうと、友愛であろうと、所詮 それは人間の集まりであり、そして 人間だから様々な意見と 理由付けを持ち込んでくる。
もちろん、自分の利益になることを 何らかの形で 望んでいるのは間違いないだろう。
それは スプリチュアルな欲求であるかもしれないし、コネクションを作るためかもしれないし、あるいは、コミュニティーに関わりを持ちたいからかもしれないし、自分を守りたいからかもしれないし、それこそ、人それぞれだ。

私自身でいうならば、オーストラリアで25年住んでいる中で、人生の半分以上をすでにこの国で過ごしているわけで、それならば、その国・・・白人社会で 堂々と日本人として生きていく自分を見つけたかったという気持ちがあったからだといえば 理解してもらえるだろうか。

私は、そう思い、そしてそれを ある程度まで為し得たと 思っている。
少なくとも、オーストラリア人のメーソンの多くでさえ 経験のできない あるいは途中であきらめてしまう メーソン内の地位にまで 登ることができた。
運と努力と、そして出会い それらが運命というなら、それはきっと そういうものであったろう。

オーストラリア人たちのなかには、私を見て不思議に思う人たちもいる。
「一体 この日本人の ヘソはどこについているんだ?」とでも言うように 私に、話しかけてくる。
オーストラリアから出たこともない彼らに、理解できるわけがない。

私は 地球の上に生きている。



管首相

2011-06-09 02:40:33 | 世界情勢
この現在の 日本国の首相である 管首相について、今、悪口を言えば、おそらく ウケルのであろう。
新聞もマスコミも、ありとあらゆるコメンテーターたちも、口をそろえて、悪く言う。

震災後3ヶ月もたっているのに、復興の始まりさえ見えない・・・と 言っている。
原子力発電所の対応のまずさについても、かなり 悪く言われている。

私は、聞きたいことがある。

そのコメンテーターたちや、マスコミ、さらには彼を批判している政治家達にも、聞いてみたいことがある。
それは

では、どうすれば 良かったのか?

ということだ。
実際、今でも揺れは収まっていない。
また原子力発電所も不安定な ままだ。

このことは、誰が首相になっても、同じであったろう。
たとえば、最初の段階でホウ酸を放り込んでおればよかったという人もいるだろう。
しかし、それは、たくさんのお金をかけてきた発電所をパアにすることだったので、当然躊躇があったはずだ。
無論 褒められたことではない。
だが、誰が首相であっても恐らく 原子力発電所の事故は起こりえたであろうし、それを抑えることは、やはり今と同じでとても難しいことだと思う。
野党の責任で首相を追及すると言っている自民党は、その原子力発電所を建設してきた 張本人 なのであるから、それこそ、盗人猛々しい 議論だ。

どうすればよかったのか?

はじめから、こんなもの作らなければよかったんだ。

日本には54基 この怪物が存在している。
54基だ。

私達は、地震国で、火山島で、津波がきて、毎年、台風がきて、地理的には、山が多く 平野が少なく 川の流れも速く、国土も狭く 人口が1億以上いる
そんな国に、この化け物をせっせと、54も作り上げてしまった。
54だぞ。

今、日本の産業がこの化け物を無くしてしまうと、立ち行かないという議論が 一人歩きし始めている。
停電になるとか、あるいは エアコンが使えなくなると言われている。

1エアコンがないと、人は死ぬのか?
2停電になると、人は死ぬのか?
3放射能を浴びると人は死ぬのか?

この三つの質問の中で 正解はどれでしょう?

と言われているに過ぎない話だ。

まだ、誰も事故の後直接的な影響で人は 死んでいませんから、3は 不正解です。という人が、きっといるだろう。
そういう人に、あと10年後 どう被害者の面倒を見てもらえるのかを 聞いてみたい。

消費税を上げる議論が やかましくなってきている。
日本は15%程度の消費税にしなければ、国債の暴落があと7年から8年後に起こるとIMFが警告している。
しかし、実際には その前に米国債が暴落を起こすだろうし、米ドル為替が向こう5年でかなり大幅なドル安になるので、商品経済は一旦、大幅な値上げとともに、多くの新興国をぶっつぶし、世界を混乱させていくであろうことは 予想以前に、確信を持って間違いなく起こることなので、日本の国債がいくらになっても、もっとひどいことが世界中に起こるために、その問題は、ちょうど、家が火事で、あわてて逃げるときに、消し忘れたタバコの火ぐらいのものでしかないだろう。
怖いのは、新興国 とりわけ中国の不況と民衆の不満のはけ口に、中国と、日本 あるいは、台湾 フィリピン ベトナム インド のどこかと対立することだ。
考えたくも無いが、今 もし政治化が日本にいるならば、このリスクをしっかりと見据えて 外交と防衛について考えていなければならないところで、向こう 数年のリスクを真剣に考えたら、恐ろしくて眠れなくなるほどなのだ。

今は、目先の問題をさっさと解決しなければならない。
簡単なことだ。
まずはブルを入れて道路を通れるようにし、インフラの整備を4ヶ月を目処に終わらす。ちょうど 10月までには、避難民全員が、仮設住宅か、老人施設に入れるようにする。
期限を決めてやらねばだらだらとするので、ここまで 4ヶ月。
西日本の力を借りて、一気にやる。

次に首都の機能を日本中に振り分ける。
そうすれば 地域格差をなくすのと同時に 首都の地震リスクを分散させるだろう。
東京にはいつ大地震が来ても おかしくない。
だから、首都に多くの機能が集中している今の状態は とても危険なのだ。

さらに、防衛を考え直す。
これは、今の米軍の力を、将来ずっと同じであると仮定しては 出来ない作業だ。
アメリカは弱体化しているし この先も さらに弱くなっていく。
経済が回らなくなれば、当然のことだ。
早かれ遅かれ、日本は自国の事を 自国のリスクで防衛することを 考えなければならなくなるであろう。

この三つを基本として、さらには、新エネルギー開発を行う。
これは、R&Dの話になるだろうが、しかし、幸いなことに日本にはこの力(技術)が、まだまだ 存在している。
SWOT分析で言えば 国内の力なので、Strengthに 堂々と入れておきたい。