Sydney Yajima


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小出先生

2011-06-25 00:32:45 | 政治
今回の原発事故は、とても悲惨で大変な事故だった。
しかし、小出先生という素晴らしい方が居られることを知り、私は 日本がとても好きになった。
日本に帰って、先生と一杯酌み交わしたいと願っている。

世の中で、大事なことは、お金や権力 などというものではなく、幸せであるということなのだという単純なことさえ、いつのまにか、虚飾の中で忘れてしまうことがある。

海の前に立つと、その向こう側に行きたくなり、山を見ると越えたくなる。
そんな単純な気持ちで、世の中に生きる.
まるで 、海の向こうに行くことや 山を越えるというこのように、お金や権力ばかりを追い求めている人ばかりだった。
海を越えればまた別の海があり、山を越えればまた別の山がある。
いつまでたっても、満足もできないし、満足できなければ幸せにもなれない。
バブルを経験して、それが弾けても まだ日本人はそれを続けた。

言うなれば・・・私もその馬鹿の一人である。
今から私の馬鹿な半生を追ってみる・・・

暑いから、エアコンをつける。
エアコン・・・クーラー・・・
考えてみれば、私の少年時代には、車にクーラーのついているのはやくざか、政治家か どこかの成金社長の車だけで、庶民はみんな窓を開けて走っていた。それでも、車のある家は別格で、ほとんどの人は、扇風機の回る電車で通勤しているのが普通だった。
それでも みんなそれが当たり前で、結構幸せだった。
だから、エアコンは幸せを呼び込んだりはしないのである。
エアコンがいかにつまらないものか・・・

家にエアコンが来たのは、私が小学生のときだったからいまから40年前のことだ。
それでも 近所ではエアコンのない家がほとんどで、エアコンの効いた部屋でキリンレモンを飲んでいると、友達がうらやましがった。
ヤジの家に行こう
と私の家は小学生時代 学校帰りの 女の子のたまり場になっていた。
女子に人気があると 勘違いしていたが、実はキリンレモンとエアコンだったという笑えない話がある。
家に帰ると、常に何人かのクラスの女子がいた私は、エアコンが当たり前の時代になると どんどんと人気が衰え、ついには誰も相手にされなくなる。
一応断っておくが、それがトラウマとなって、エアコンに反対するわけではない。

車にもエアコンがつくのが当たり前になり、車の免許を持つ頃には、女子を誘って、ドライブに行く。
もちろん、女の子は、車が目的であったり、その先で 待ち受けているご馳走や、あるいはちょっとした景色のいいところでの雰囲気のいい海岸で聴くサザンであったりするのだが、そのときも私は 自分にほれていると完全に勘違いしてしまったことが何度もあり、それらの女の子たちは すべて一人残らず 勘違いとともに 去りぬ。であった。
つまり、私の少年時代から、青年時代に至るまで、エアコンには多くの苦い思い出がある。
一応断っておくが、それがトラウマとなって、エアコンに反対するわけではない。

オーストラリアは、日本と違い、気候が乾燥しているので、エアコンがなくとも、さっぱりしている。
そのため、私はエアコンと完全におさらばした。
今はエアコンのない生活を快適に送っている。
妻もいるし、子供もいるし、私はそういう意味ではようやく様々なエアコンのトラウマから逃れることが出来た。
それでもエアコンは素晴らしいと思うときがある。夏の暑い夜は、やはり、つけてしまう弱い私がいるのである。
ああ、なんと弱いことか・・・
と思いながらも、気がつくと手がスイッチに向かう。ああ、なんと私はつまらない人間か・・・

私は小出先生には、到底 足元にも及ばない愚かな男ではあるが、しかし、その何分の一、何十分の一、いや何百分の一くらいか、あるいは何千分の一でもいいから、何かお役に立てないだろうかと願っているのである。それでも、エアコンは心のどこかで、好きなのだ。

どうすればいいのか?
答えは簡単明瞭・・・

消せば いいのです。