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以前 同じ職場で私の部下として一緒に働いていた
M子さんからだった
彼女は今
私と一緒に働いていた
かっての職場を3年前退職
現在は一人で工務店を経営している
朝から晩まで
毎日現場を回って
汗水垂らして頑張っている
経営といっても社員はもちろん 自分一人
たった一人 何から何まで
全ての仕事を期限内に
こなしてゆかねばならない
時々仕事で分からない事等があると
今でもかって上司だった私を頼って
電話で尋ねてくる事がある
彼女は私より17~8歳年下だが
途中入社した私にとって
職場では一応先輩であった
その頃 彼女はもう一人の女性と
二人で経理 事務を担当していた
当時
パソコンはまだ現在のように
あまり普及していなかった
事務は全て手書き記帳だった
その為 月末の締め切り時などは二人でも大忙しだった
私が入社して2年目位の頃
彼女が産休で1年間休む事になった
彼女の替わりにすぐにパートの女性が来た
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
産休の1年が過ぎ 彼女は無事職場復帰した
会社にもいろいろな都合が有ったのだろう・・・・・?
彼女の代役を勤めたパートの女性を
何故かすぐには退職させなかった
結局 経理 事務担当者三人の状態が 暫らく続いた
その頃 経理 事務に人件費削減の為
いよいよパソコンが導入された
12~3名の中小企業にとって
三人の事務担当者はどう考えても多過ぎた
彼女が職場に復帰して半年ほど過ぎた頃
社内の人事異動があった
パートの女性は退職
彼女は私と同じ設計室配属となった・・・・・・?
彼女はそれまでお客に提出する見積書等の
ワープロ打ち込み等はしていたが
建築に関する専門的な知識は 皆無に等しかった
私にとっても 彼女にとっても
却ってその事が大いに幸いだった
以後 それまで下請け設計事務所に外注していた
実施設計 確認申請業務の全てを
社内で行う事になった
早速ソフト業者からCADシステムを導入(200~300万円)
※ (建築CAD パソコンを使って図面作成 積算を入出力)
彼女は2週間 山形市に通ってCAD研修を受講
研修を終えると 元々ワープロ操作に堪能だった彼女
たちまち私の鉛筆書きのラフプランを短時間で
CAD入力出来るようになった
何事に対しても知識欲旺盛な彼女
仕事は単なるCAD入力に留まる事はなかった
一口に建築の設計といっても
必要とする知識や技術は無限に近い
計画 法規 構造 施工・・・・・・・・
連日 住宅設計 施工の広範に渡って
基本の基本まで遡って 彼女が本当に納得出来るまで伝授
加えて彼女は
4人の子供の子育て真っ最中の主婦でもあった
時に仕事に夢中になり過ぎて
大事な家庭を顧る事さえ
怠ってしまう時もあった
私と彼女の設計室勤務時の集大成・・・・・・・
先日訪れた「銀河の館」の
断面図と内外の完成予想パースであった
スキップフロアー 切妻 寄棟 ドーム屋根・・・・・
どれひとつとっても 入力作業の難しい建物であった
にも拘らず私の想いの全て
いや予想以上に見事に仕上がった図面の完成に
施主は大いに喜び
見事受注に繋がった
その後 私は間もなくして
様々な事情で
職場を去る時がやって来た
しかしながら・・・・・・・・
一人の技術者として
いつの間にか立派に育ってくれた彼女がいる限り
私の去った後も
私の設計スピリットは
脈々と生き続けてくれていると信じていた
彼女とは今でも毎年年賀状のやり取りをしている
彼女の決まり文句は
「今の私があるのは・・・・・・・・感謝しています」
と 書き添えてある
随分と前置きが長くなってしまった
本題はこれから
その彼女の電話の中身が タイトルの「親子」と関係する
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どう見ても室長と口と目元が似ていて
「この人 どう考えても室長と似てると思うんだが・・・・・・・」
と打ち合わせ中のS社長に聞いてみたら
「当たり前だろ 親子だもの」 と言われてしまった
と言う電話だった
彼女と私の息子の偶然の出会い
その時が初対面だった
もちろん 彼女は私に息子 娘の2人の子供がいる事は
知っていた
息子は昨年結婚 今年二月子供が生まれた
子供が出来てから
急に太り始めたようだ
きっと生活の基盤がやっと落ち着いたせいだろうと
親としては内心いい方に
そう解釈していた
彼女の電話によると 息子に会うまでは
もう少し細身で格好のいい青年を想像していたらしい
それが 親の室長によく似ていた・・・・・・・・
と少し言葉を濁していた
彼女が下請け業者のS社で
社長と仕事の打ち合わせをしていた所に
たまたま偶然に
息子も仕事でS社を訪問したようだった
息子も同じ件で 後で電話をくれた
彼女に対する息子の印象・・・・・・・・・・・
はっきりした口調で
何でもテキパキ仕事をこなせるような
すごい力量の持ち主の技術者に思えた
と言っていた
息子に彼女の言葉を伝えた
息子さんの口と目元が
室長そっくりだったと言われたと・・・・・・・・
そして お父さん(私)が
今まで他の人にお兄ちゃん(息子)に似ていると言われた事が無かった事
息子と似ていると言われて嬉しかった事
を伝えた
※ 傍で電話を聞いていた女房曰く
貴方は嬉しいでしょうが・・・・・
今頃 息子はきっと悩んでいるかも・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・????
先週の日曜日(5日前)
久し振りに息子と二人切りで
寒河江の街て 酒を飲んだばかりだった
随分と前から 機会があったら一緒に飲みに行こうと
約束していたのだが
お互いなかなか都合が付かず
延び々になっていた
特別にこれと言って
何を話すでもなくあっという間に
3時間ほどの時が過ぎた
私には街で息子と二人で酒を飲むと
決まって思い出すことがある
息子がI市の大学に在学中
私は車で1時間ほど離れている仙台で
単身赴任をしていた
週末の夜 よく息子のアパートを訪ねた
知らない街に出て
食事をしたり 酒を飲んだりした
まともな食事をしてない息子にとって
美味しい食事にありつけた
感謝の気持ちと
何時まで経ってもアパートに押しかけてくる父親への反発
今になって思うに
きっと複雑な心境であったろうと思われる
酒を飲んで 街から帰った後は
息子の狭いアパートで就寝を共にした
息子はロフトで 私は煎餅布団で・・・・・・・
あの頃の二人は何故か知らないが
毎日が忙しく
毎日が何処か輝いていたような気がする
あの頃の私にとって
家族と離れ々になって
独りっきりで生活しなければならない
単身の寂しさを紛らす為
一時の安息を得る
唯一の手段だったのかも
あれから17~8年の時が過ぎた
あっという間に
ただ時間という時の流れだけが
自分の目の前を駆け抜けて行った
今 寒河江の街に出て
息子と2人きりで
酒を飲む機会がある度
あの頃の息子と過ごした
親子の姿の記憶が甦って来る
あの頃の親子の姿へ
もう一度帰りたい
若かりし頃へ戻りたい
誰もが抱く 郷愁
単に歳をとった 証拠かも
※ 空即是色・・・・・ 2/4 の途中で止まって 暫らく時間が経っていますが
もう暫らくお待ち下さい