機動画報日誌 Mk-Ⅱ

英 浩史の日々徒然を記すブログ

映画の日 4/5

2006年06月03日 | 映画
■明日の記憶 ◎
 渡辺 謙プロデュース&主演による、2005年本屋大賞 第2位に輝いた
同名小説の映画化。
 業界の第一線でバリバリ働く広告マンが、物忘れによるうっかり
ミスや、部下やクライアントとのコミュニケーションに支障を
きたすなどの状況に見舞われ、心配する妻の勧めで受けた診察の
結果、若年性アルツハイマーと診断される。
 徐々に記憶が失われる恐怖と戦う主人公とその妻(樋口可南子)。
しかし症状は確実に進行していく。「最後の記憶」が消えた時、
妻は・・・という話。
 いまやハリウッド俳優と並び賞される渡辺 謙の演技力をどうこう
言うつもりもないですが、病名を知った時の取り乱し様、症状を自覚
して以降の言動、特に記憶障害に侵されていない部分での「普通さ」
など、ストーリーの進行に伴う主人公・佐伯雅行の変化が、「痴呆(と
敢えて書く)の進行=老化ではない」ということがリアルに伝わって
きて、所々に見られるトリッキーな映像表現も相まって、下手な
ホラー映画よりも怖いです。

 ちなみに演技力といえば、今作で佐伯に病名を宣告する医師役で
出ている及川光博が、出色の演技を見せてくれてます。自分が好き
でやっている部分があるにせよ、変にイロモノ的なキャラを作って
いく必要は全くないんじゃないかと思うくらい。
 また、クライアント先の責任者として出てくる香川照之もいい
感じ。冗談を交えつつも佐伯を励ます電話のシーン、それまでの
どちらかといえば軽薄さを覗わせるキャラ作りが活きてます。
 あと陶芸の先生として出てくる大滝秀治も、あの歌のアドリブが、
パンフレットのコメントにある通りだとしたら、この人は当分の間
ボケる心配は無用ではないかと。

 ところで、『博士の愛した数式(*1)』でも感じたんですが、社会
通念とか一般常識といったものは、何かしらの芸術的な成果を得る
際の「足枷」にしかならないんでしょうか。まあ他人と同じ部分を
捨ててこそ独創性が生まれる面はあるとは思いますが。

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  *1:この原作小説も、2004年の本屋大賞で第一位、つまりは大賞に選ばれている。



映画の日 3/5

2006年06月03日 | 映画
■ピンクパンサー ×
 「ピンクパンサー・ダイアモンド」をめぐる事件に挑むクルーゾー
警部のドタバタを描いたコメディ映画。ピンクパンサーと警部の
アニメーションも健在・・・なんですが。
 少なくとも、個人的には笑えるシーンが数ヶ所しかなくて退屈な
映画でした。アメリカ英語の発音を習い切れないままNYに出張し、
きちんと発音できないためにトラブルを引き起こしてしまうネタ
にしても、他のシーンで普通に英語喋ってる以上、説得力のカケラ
もない訳で。
 自分の栄達のために、クルーゾーを警部に抜擢した上で彼の失敗を
待ち望むドレフェス警視が、クルーゾー監視のためにつけた補佐役
ポントンにジャン=レノが扮していて、クルーゾーのムチャクチャな
捜査活動に呆れつつ(*1)も、真面目につき合っていくんですが、
全身タイツでクネクネ踊らされているジャン=レノは、この後(*2)の
ことを割引いても、あまりに痛々しいです。
 事件の顛末も(コメディ刑事ものによくあるとは言え)クルーゾーの
強引な推理に事実が後追いしていったような感じだし、ラストのオチ
のネタも『裸の銃(ガン)を持つ男』を思い出してしまうような内容
だし(*3)。キャラクター的にもフランク=ドレビンの方がより毒が
あって面白いし、少なくとも個人的にはあちらの方が性に合ってる
気がします(*4)。

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  *1:クルーゾー自身、今回の事件のために特別に抜擢されただけで、本来は
    田舎町の、それもポントンよりも階級の低い警察官のようで。
  *2:近日中にエントリー予定の「映画の日 5/5」を参照のこと。
  *3:過去の『ピンク・パンサー』シリーズで、同じようなオチがあり『裸の銃を・・・』
    の方が逆にそれを“インスパイア”した可能性もなくはないんだけど。
  *4:最近のお笑い芸人(関東/上方を問わず)の笑いが解からなくて、雨上がり
    決死隊とかDonDokoDon辺りで止まっている人間なので、一般的な笑いの
    ツボとはズレが生じている可能性もなくはないんだけど、他の観客もあまり
    笑ってなかったような気が・・・。


映画の日 2/5

2006年06月02日 | 映画
■クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ! △
 『小さき勇者たち』も多少その傾向があったけど、やっぱり普段TV
でやってる強みか、小さい子供連れのお母さんやおじいちゃんが
目立つ会場内でした。

 時ならぬサンバブームに沸き返る裏で、にせ者に入れ替わられた
人々が消えていく春日部市。不気味な噂の拡大とともに進行する陰謀
の魔の手は、やがて野原一家に・・・。というのが前半のストーリー。
にせ者が入れ替わる手口や、追い詰められるキャラクターのホラー
仕立てな描写が(やや定型的ではあるけど)秀逸で、周りの子供たち
が泣く泣く(*1)。
 後半の延々と繰り返されるサンバシーン、確かに陽的で先刻は
泣いていた子供たちも笑って観ていたようだけど、動画枚数が少なく、
手軽にすませてる印象が拭い切れない。背景動画のシーンとか、
相変わらずぶっ飛ばしてる部分もなくはないけど。
 このシリーズでこういうことを考えること自体がナンセンスとは
承知しているが、「何故サンバ?」「何故こんにゃく?」「何故に
池田秀一?」という疑問が浮かぶことを自分に禁ずるのが難しい
のも事実で。少なくとも『電撃!ブタのヒヅメ大作戦』の時のような、
そういった疑問を感じる間もない演出とか展開はなかったように思う。

 ところで、全作見通してる訳ではないので、他にもこういう展開
の作品があったのかも知れないけれど、今作では風間くんがにせ者
に入れ替わられる側になり、カスカベボーイズの5人揃っての活躍
の場面が殆どなかったのには、少し違和感を感じた。
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  *1:それでも子供に配慮したのか、いきなりの大きな音やどアップで出現する
    といった、ホラー/サスペンス系の作品でよくある手法は殆どなかったと
    思うが。



映画の日 1/5

2006年06月01日 | 映画
■小さき勇者たち ~ガメラ~ ×
 2月、有明ビッグサイトでの「ワンダーフェスティバル」でも
大々的にプロモーションを打っていて、それなりに気になっては
いたんですが、“動物とのふれあいや別離の中で成長する子供”に
スポットが当たり過ぎている印象があったので、今回時間が
合わなければ観ないままスルーしたかも知れなかった作品。
 どういう経緯でかは判らないですが、配給元も東宝から松竹に
変わっていて、(そういうことを知らずに観に行って)最初に富士山
のマークが出てきてちょっとビックリ。とりあえず、過去の作品と
区別するため「松竹ガメラ(*1)」とでも呼びましょうか。

 少年・透と亀の「トト」とのふれあいと併行して、沖縄方面で相次ぎ、
徐々に北上する船舶不明事件とそれに対する政府の対応が
描き出され、やがてそれらが一本に繋がる訳ですが、見ていて苦笑
を禁じえない場面ばかりが展開します。
 政府側で表に出てくるのが内閣府参事官(田口トモロヲ)とその秘書、
あと巨大生物による災害対策を研究していた学者(石丸謙二郎)
だけで、ものすごくこじんまりとした印象を受けます。この手の作品に
つきものな自衛隊出動も、参事官レベルの権限でどうこうできるん
だろうか?という素朴な疑問が。
 画面外で緊急閣議が続けられているのかも知れないけど、それを
匂わす描写も皆無で、まるで記号のように自衛隊員が出てくるだけに
見えるのはどうかと思いますよ。それも、作戦の当初からトトを成長
させて(*2)ジータスに向かわせることしか考えてないから、自衛隊員
は人間にしか銃を向けないし。いや、怪獣同士の戦闘で危険な地域
から避難しようとしない透たちを確保するためなんですが。

 観ていて一番「はァ?」となったのは、子供たちによる「赤い石
リレー」。拡大解釈の末、人類の味方 → 地球という生命の抗体(*3)
という位置付けだった東宝ガメラに対するアンチテーゼなのか、
ゴジラなどに比べて「(無条件に)子供たちの味方」として描かれて
いた大映ガメラへの回帰を意図してのことではないかとは思いますが、
あまりにも唐突で・・・。

 しかし今回の新怪獣ジータス、造形的にはかなりUSAゴジラ(*4)
ッぽいんですけど、何かそういう意図があったりするんでしょうか。

0530:E●5-2 .608 ① -1.5
0531:E○3-6 .596 ① -0.5
0601:E●2-1 .604 ① -0.5
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  *1:ここでは便宜的に『大怪獣ガメラ』(1965)から『宇宙怪獣ガメラ』(1980)まで
    の7作品を「(大映)ガメラ」、『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995)から
    『ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒』(1999)までの3作品を「東宝ガメラ」と呼ぶこと
    にする。
  *2:過去のシリーズとの差別化を図るにしても、もう少し成長サイズに合わせた
    相貌の変化というか、成長するにつれて精悍さが増すデザインにならなかった
    ものだろうかとは思う。30m級に巨大化しても、アングルによっては亀というより
    犬に見えてしまうガメラは、ひとつも強そうに見えないし。
  *3:「人類が地球を脅かす存在になったらガメラは・・・?」「そうならないように
    しなくちゃね」と主人公に言わせ、現代文明への警鐘っぽいことを匂わせた
    『ガメラ2』のラストシーンは巧くまとまっていて個人的に好印象。そこへ
    至る前の、前振りなしの「元気球」だけは納得できんけど(笑)。
  *4:興奮したり威嚇する時に開く襟巻きがあるから、ゴジラじゃなくジラースか。
    ・・・って名前も何となく似てる?