ですから、「運」が良いと思った人は「運」が良いのです。「運」が悪いと思った人は「運」が悪いのです、
宇宙的には運の良し悪しはありませんが、それを自分で決めることはできるのです。
・・・経営の神様と謡われた松下幸之助さんは、若い頃、大阪の築港というところから埋立地にある会社まで小舟で通っていました。ある夏の日の夕方、会社から帰ってくるときに、船べりに腰を下ろして足をぷらぷらさせていました。そこにある船員が船べりを右に左に均衡をとりながら歩いてきて、幸之助さんをまたいで通ろうとしました。ところが、その船員が足を滑らせて落ちそうになってしまったのです。そのとき、船員が目の前の幸之助さんの体をつかんだために、幸之助さんと二人でドブンと海に落ちてしまいました。
このことを幸之助さんは、後世こんなふうに周りの人に語っています。
「わしは運が強かった。もし冬の寒いときであったらたぶん助からなかった。夏の日に落ちて幸運だった。わしは運が強かった。さらに船長がすぐに気が付いて引き返してくれて引き上げてくれたので助かった。わしは運が強い」
「運が強い」とは、九死に一生を得たような場合に使う表現ですから、幸之助さんが「運が強い」というのもわかります。
運命好転十二条 小林正観
松下幸之助さんは、知らない間に潜在意識に働きかけて「運が強い」状態に人生を持っていったと思う。
潜在意識はその思いにこたえて、「運が強い」幸之助さんを存在させた。
だから自動車にぶつかっても、経営不振に陥ったときも、自分の会社の労働者の雇用も守ることが出来たのだろう。