廃異不思議探検隊/(SEASON2)

Wast different wonder expedition.(SEASON2)

沼津海軍施設本部野外実験所跡 1

2016-11-09 20:26:00 | 廃墟B
 海軍施設本部沼津屋外実験所跡

 戦争が続くと、港湾や飛行場は勿論、要塞、砲台等の設営、築城術も”独自に習得する必要性”が増し、1941年(昭和16年)海軍建築局の機能を高めた”海軍施設本部”を設立し、特設設営隊と対応したのだが”人員の養成は急務”だった。

 大東亜戦争が始まり、工作術要員の増員と、更に艦船、航空機、施設等のダメージも激しくなり、整備や修造、築城等の”工作術要員が更に必要”になった。

 それから米軍は、ブルドーザーやショベルカー等の土木機械が発達しており、陣地や飛行場を易々と建設していたのに対し、日本軍は、土木工事の機械化が遅れており、建設重機技術の必要性もあった。

 戦争末期、1944年(昭和19年)駿東郡清水町に築城術、航空機整備術等の養成教育、研究、実験、技術者として必要な機械工学や修造技術の教育、技能者として必要な技量と経験の習得を図る”沼津海軍工作学校”が開校した。(本校は、横須賀海軍工作学校)


 さて、今回調査したのは、その関係施設、海軍施設本部沼津屋外実験所跡だが(工作学校の跡地は、町や工業団地になり、記念碑ぐらいしか残っていない。)要塞、砲台、陣地等の設営術、築城術、土木建設重機技術を研究、実験していた場所だった様である。




 コンクリート造りの遺構が、深い藪の中に埋もれる寸前で残っていた。

 円形で、壁には四角い凹みが四つある。

 これは何の施設跡だろう?




 一見、貯水槽の様にも見える。

 今は木や枯れ葉で相当埋もれてしまっているが、当時はもっと深かったと思われる。

 中に入ってみる。




 出入り口なのか、ちょうど縁が欠けたのか、ここから入った。




 四角い凹みは、側溝なのか、中がどうなっているのか観てみる。




 奥には続いていなく、小さな溝になっているだけだ。




 こちらも同じく、四角い溝

 今は、土等で埋もれているが、当時は、底まで溝があったのかもしれない。




 何れにせよ、実験所なので、本施設ではなく建設実験で造った物なのかもしれない。




 縁に釘の様な物が残っている。

 当時は蓋がされていた様だ。




 他にも遺構が在るかもしれないので、探してみる。
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