今年も恒例の「ご褒美旅行」のシーズンがやってきました。
といっても、これまでのようなワクワク・ウキウキな旅ではありません。
今回の旅のテーマは、新年の抱負(やりたいことリスト)で掲げていた「震災遺構めぐり」です。
きっかけは、元旦に起きた能登の大地震でした。
2024年1月1日、16時10分頃に能登地域で発生した巨大地震。
北陸新幹線が開業したら行こうと思っていた場所が、大きな被害を受けてしまいました。
その光景をニュースで見て、ふと、東日本大震災が発生した当時のことを思い出したのです。
写真は、13年前の3月11日に「鴨川シーワールド」で撮ったもの。
10日から2泊3日で東京へ行き、この日は東京の友人と千葉へ遊びに行っていました。
イルカショーを見たのが13時過ぎ。
その後、館内に戻って水槽を見ていた時、魚が激しく暴れたかと思うと、足元が大きく揺れました。
建物の構造のせいなのか、船が揺れるような大きな横揺れだったと記憶しています。
14時46分頃、三陸沖でマグニチュード9.0の巨大地震が発生しました。
本能的に「ここにいてはダメだ」と感じ、何も言わずに駐車場へ。
その時、何故か海にカメラを向けて撮ったのがこの1枚。
無意識に津波のことを考えたのだと思います。
画像データのタイムスタンプは「14時50分」でした。
水族館を出て、ガソリンスタンドを見つけてとりあえず給油し、途中にあった道の駅で一旦休憩。
そこで見たテレビのニュースで、東北で地震が発生したことと、今まさに大津波が町を襲っていることを知りました。
アクアラインは通行止めになり、下道で東京を目指します。
17時50分頃。
空は晴れているのに何故か雨が降り始め、道の先には大きく立ち上る煙が見えました。
もう少し進むと炎も見えて、それが石油タンクの火災なのだと分かりました。
道路は渋滞し始め、進んでは止まるという状況が続く中、友人と交代でコンビニのトイレへ走りました。
もちろんコンビニに食料はなく、道の駅で買っておいたパンを分け合って食べました。
幕張あたりの道路は信号機が消えていて、液状化したのか地面が濡れて光っていたのを覚えています。
大きな通りは危ないということで、カーナビを頼りに住宅街のような所を通り抜けて進みました。
帰宅の手段を失った人たちが連なって歩いている光景も見ました。
お台場のホテルに帰り着いたのは3時半すぎ。
時間的には消灯しているはずの東京タワーが、オレンジ色に浮かび上がっていました。
友人はそのまま帰宅し、私は余震が続く中、シャワーを浴びて就寝。
ほとんど眠れなかったのか、空が明るくなるとすぐに目が覚めました。
朝、テレビの中ではリアルタイムで現地の様子が伝えられていました。
これが本当に同じ日本で起きているのかと、信じられない気持ちでした。
ホテルのロビーに降りると、帰宅困難者が大勢身を寄せていました。
窓から外を見ると、首都高速は通行止めになり、一般道は大渋滞になっていました。
帰宅した友人から電話があり、ゆりかもめは止まっているけどりんかい線は動いているとのこと。
お台場のホテルを出て、たぶんテレポート駅へ向かったのかな?
とにかく「早く帰ろう」という気持ちでいっぱいで、移動中の状況はよく覚えていません。
りんかい線で新木場駅へ行き、12時すぎに東京駅に到着。
こんな状況でも鉄道が動いているなんて、つくづく東京ってすごい所だなと思いました。
こんな状況なのに、予約していた新幹線にも乗れました。
今だと、たぶん点検のために運休になっていたのではないかと思います。
17時過ぎに広島に到着。
無事に帰宅することができました。
初めてブログに書きましたが、これが13年前の私のご褒美旅行のお話です。
今回、東日本大震災の被災地を訪ねたいと思ったのは、能登の状況があの時の東北と重なったから。
津波に襲われた気仙沼や陸前高田は、今、どうなっているのだろうか?
テレビやネットで調べれば分かることだけど、実際に足を運んで確かめたくなりました。
3泊4日の旅程で、仙台・南三陸・気仙沼・陸前高田の震災遺構を巡ります。
(つづく)
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