は~ふたいむ

仕事帰りにカフェに寄り道して、一緒にコーヒーなど飲みながら、
他愛のない話をして過ごしたい。そんな時間。

夢みる車

2010年03月28日 | 
3月の第4日曜日は、おはのろ・・・には行かず、朝のうちに家の用事を済ませ、午後から交通科学館で開催された福田成徳さんの講演会に行ってきました。
福田さんは、幻のスーパーカー・マツダRX500や初代ロドのデザインを担当された、マツダ車が好きな人たちの間ではあまりにも有名な人です。
講演では「車の変遷史」の題目で、車の誕生からその移り変わり、そして未来の姿についてスライドでの説明を交えながら話されました。



とても興味深い内容で、1時間では物足りない感じでしたが、短い時間の中でも十分に得るものがありました。

講演の後は、恒例?の「音」を聴くイベント。
エンジンの始動は15時と16時の2回。
館内アナウンスに誘われて、遊びに来ていた親子連れのお客さんも集まり、あっという間に人だかりができました。



久しぶりに見たRX500の姿は、もはや「幻のスーパーカー」ではなく、このままサーキットに飛び出して行きそうな力強さを感じます。
ボロボロの姿で倉庫に眠っていたRX500が、一昨年は修復されて甦り、昨年は走る姿を見ることができ、今年もまた姿を見せてくれました。
こうして何度も目にしていると、その「次」を期待せずにはいられません。



2回目は人が少なかったので、エンジン始動中は回転計を覗き込んだり、真後ろで排ガスに包まれたりと、存分に楽しませてもらいました^^
外国の人が虫の声を不快に感じる、という話は良く知られていますが、私はそれを聞いて、日本人に生まれたことを、少しだけ得したな、と思いました。
車のエンジン音や排ガスの匂いを楽しめるのも、それと同じことが言えるような気がします。
自身の車歴はまだ浅いですが、それでも、それがなかった時代よりは楽しい人生を過ごせています。

車の音や振動は悪者のように言われるけど、それは人の呼吸や脈動と同じ。
車が生きていることの証です。
そこに「生命」を感じるからこそ、ボディの傷に痛みを感じ、不調があれば心配し、故障するとお金をかけて治そうとする。
車のデザインも、人の顔やスタイルに置き換えて、個性を見出し、友達や恋人、家族のように大切に想う。

講演の中で、福田さんが「足車と友達車」の話をされましたが、私のロドもまさに「友達車」で、単なる車ではなく「それがなくてはならない存在」です。

汚れたら洗ってやりたいし、天気の良い日には思い切り走らせたい。
いっぱい走った後は、いっぱいガソリンを飲ませてあげたい。
化石燃料が尽きるまで。

尽きるまで・・・。
それを思うと、ふと、未来に対して悲観的になります。

何に取って替わられるのかは分かりませんが、エンジンを唸らせ排ガスを吐き出すガソリン車が走れなくなる日は、必ず来るのでしょう。
今、自分が生まれるよりも前に作られた古い車を愉しんでいる人たちと同じように、私たちがロドを愉しむことは、今の時代の流れではできなくなるような気がします。

それを思うと、とても寂しい気持ちになります。
まぁ、それも、このロドが元気で動いてくれているのが大前提ですが。

でも、福田さんの描かれた「未来の車」とその解説を聞いて、これからの変遷を楽しみに思う気持ちも湧いてきました。
この先10年で車の歴史が大きく変わったとしても、車に「デザイン」がある限り、車は人にとっての「友達車」になり得る魅力を持って生まれてくるのだ、と。

もちろん、ロドが「一生の友達」であることが一番の望みです。

いつの日かロドを手放さなくてはいけない日が来た時、次世代の素晴らしい車たちが私を待っていてくれることを、今から楽しみにしておきます。
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