それを見たとき、ある人は丸だと言います。
でも別の人は四角だと言います。
さらに別の人は大きな壁だと言います。
また別の人は小さな点だと言います。
中身がぎっしり詰まって重そうだと言う人もいます。
逆に中身は空っぽで軽そうだと言う人もいます。
これは円柱を見た人の意見です。
円柱を真上から見た人は「丸」だと思うでしょうし、横から見た人は「四角」だと思うでしょう。
また目の前で見た人は「大きな壁」だと思うでしょうし、遥か遠くから見た人は「小さな点」だと思うでしょう。
中身がどうなっているかなんて、見ただけでは分かるはずもありません。
一つのモノを見る時、それぞれの視点によりカタチは様々な捉われ方をします。
それは単純な円柱でさえ、そうなるのです。
僕たちが何かを見る時、自分の視点が必ず正しいと言い切れるのでしょうか?
そして人の意見が間違っていると言い切れるのでしょうか?
見えないモノを判断するのは自分の考えの中の範疇でしかありません。
だから、人の意見に耳を傾けることのできる人間に成長したいなぁと思いました。
「ない」ものを、「ある」って信じようとしたとき、それが「疑い」って呼ばれたり、「愛」だって呼ばれたりする。
どちらから、どんな気持ちで世界を見るのか?
自分の捉え方を変えると、世界が一瞬で変わる。モノトーンの世界が、フルカラーになるみたいに。
毎日、ワクワクしたいって思う。
いつもブログ拝見する度に、浜床さんはすごい方だな~って感じてます。
私は、暗い川の底にいるような毎日が、カラフルになりましたから。
前の子供のクラブチームの代表も同じ言葉「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」と言われたました。でも、こころ、行動が伴っていなかったので、余計にはまとこさんの言葉がこころに響いたので、行っていたクラブチームが消滅するという、あまりない経験をしたけど、意味のあることだったのかなと思いました。
おっしゃるように自分がどの位置から何を思いながら物事を捉えるかによって、感じることが変わってきます。
だからこそ、多角的な物事の考え方ができる感性を持っていたいなぁと思っています。
まあ、なかなか考えるようにはいきませんが・・・。
自分でも考えの整理がつかないまま記事をエントリーすることがあるので、その時は流してください。
「学ぶことをやめたら、教えることをやめなければならない」という言葉はサッカーの指導者の間では有名な言葉ですね。
僕自身、様々な指導者と話をさせてもらったり、講習会・トレセンなどに参加して刺激をもらいながら、そして自分の指導に悩みながら日々を過ごしています。
自分一人の考えなんて浅はかですからね。
いろいろな人の考え方や視点を参考にさせてもらうことが多い毎日です。