浜床のふろしき

尾道市因島から日常を記します

蛍(ホタル)

2005年05月31日 | 日常

恒例となっている息子との夜の散歩に行って来ました。いつもは夜空に浮かぶ星の光を見ながら話をするのですが、今日は小川のほとりに瞬く光を見つけて、二人して喜びました。

SA270011 写真では分かりにくいかもしれませんが、ホタルです。

暖かくなってきたから、姿を見せてくれたのでしょう。一匹、また一匹と光って見せてくれ、息子が数えたところ、7匹のホタルがいました。光の乱舞とはいきませんが、闇に瞬く光は優しく、心を穏やかにしてくれます。

息子は嬉しくって、「こっちのみーずはあーまいぞ」と大声で歌っていましたが・・・。

ホタルのいる場所で生活できる幸せを感じ、守らなければならない大切なもののことを考えさせてくれる時間を過ごしました。


山火事だぁ~。

2005年05月30日 | 日常

このブログにも何度か登場している「宝の島」大三島で山火事が発生しました。報道によると「28日午後4時15分ごろ、愛媛県今治市大三島町台(うてな)の山林から出火し、29日になっても消火活動が続いている」とのこと。

実はこの近辺(しまなみ海道)の島では度々、山火事が起こっています。今、火事が起こっている大三島も何年か前に300ヘクタールほど焼失する山火事があったみたいですし、10年ほど前には因島でもありました。生口島でも2度ほど山火事が起こっています。

山火事の恐ろしい所は、当たり前ですが、燃えるものがすぐ近くに沢山あることです。消そうと思ってもどんどん広がっていきますし、風が吹こうものなら火種が飛んで至る所から火の手が上がってくるのです。

ましてや人が普段入らないような山であれば消火活動も大変でしょうし、なかなか消えないのも分かります。

僕も昨年の2月に発生した生口島の山火事の時には消防団として参加しました。普段ならば消防団は補助的な役割を担当するんですが、その時は大規模な山火事だったので、実際に消火活動を行ないました。民家のすぐ近くまで火は迫っていたし、それはもう必死で。

この時に感じたことは、「野次馬は来るな!」。消火のためにホースを引っ張っているのに、邪魔はするし、他人事で見ているし・・・、あー腹が立つ。

もっと腹が立ったのはテレビ関係者。消火活動がうまくいって、落ち着いてきているところにテレビ関係者が来て言った言葉が、「もっと燃えている所はどこですか?」

なに~!あんた~何しに来とんねん!皆んな火を消そうと思って必死なのに!

この度、すぐ近くの島が火事なのに、県が違う(大三島は愛媛県)ということで出動は無かったみたいです。(因島では消防の総合訓練をしていたらしい、僕は用事で参加出来なかったけど)。四国本土から応援に来るより、よっぽど近いと思うんだけど・・・。

損得を考えるのではなく、何が大切で優先されるべきことなのか考えて対応してくれたらなぁ。呼ばれたら行きますよ、1日の食事がおにぎり2個だったとしても。


花いっぱい推進協議会

2005年05月29日 | 因島

水軍と花とフルーツの島」・・・どこ?と思う人が殆どに違いない。

我が島では「水軍」「花」「フルーツ」がセールスポイントということなんでしょうが、「囲碁」はどこに消えたんだ?ついでに囲碁も並べるか?

「水軍と花とフルーツと囲碁の島」なんて長い名前になるなぁ。アピールしたいのは分かるけど、並べるだけって、どうなんでしょうか。

まあ、文句はこれくらいにして、花の島として、「フラワーセンター」があります。のんびりしていて、芝生もあって、僕は好きです。ゆっくりと穏やかに過ごしたいなら、素晴らしい時間と空間を与えてくれます。

実はこの島ではフラワーセンターだけでなく、街を花いっぱいにしようという運動があります。その名も「花いっぱい推進協議会」。略して花推協。街の地域が花壇やプランターで道路脇を花で飾ってくれています。島全体で100くらいは花壇があるらしいです。

今日は植え替えをするそうです。観光に来られる方には花の咲く島を楽しんでもらいたいですね。PA0_0025 SA270008


因島スカイライン

2005年05月27日 | 因島

因島の東側に「因島スカイライン」なる道路があります。この道路は鏡浦・椋浦に住む人たちにとっては生活道路として重要でしょうが、因島に住む殆どの人が年に数回しか通らない道ではないでしょうか。ちなみに別名「三浦線」とも言いますが、時々、「因島の裏(浦)」とか、「とうりゃせん」と呼ばれているのを耳にします。

さてさて、そんなスカイラインですが、仕事の用事で週に2・3回は出掛けています。言っておきますが、ここの景色は素晴らしいですよ。海の景色が観たいなら、是非行ってみるべきです。お勧めします。

ただ、景色以外にも面白いものが見れます。

例えば、自然の中央分離帯。SA270005 人工じゃ味わえない良い感じです。

さらに、「埋まっているじゃん、それ!」と突っ込みたくなる電柱や標識。SA270003 SA270004

なかなか良いでしょ。でも、やっぱり海の景色を見て締めてください。SA270006


60年の歳月

2005年05月27日 | 日常

時事通信より「フィリピン南部のミンダナオ島に旧日本兵とみられる男性2人が生存しているとの情報を確認するため、マニラの日本大使館員3人は27日、同島ジェネラルサントス入りした。」「2人は昭和19年、所属の第三十師団で同島東部のダバオ市に上陸。20年6月に命令でいったん分隊し、その後、集合場所に着く前に、山中で終戦を迎え、山岳地帯でゲリラに収容されて戦術などを教えていたという。二人は最近、老齢などのため帰国の思いを強くしていたという。」

今日、ラジオからこのニュースを耳にした。昭和20年というと、西暦の1945年である。今が2005年だから、60年も前になる。

彼らは太平洋戦争が終わったことは知っていたにも関わらず、反政府ゲリラと行動を共にしており、戦争と共に歩んだ人生といえる。

30年ほど前にもフィリピンのジャングルで潜伏していた小野田さんが発見され、帰国している。彼らは一様に同じようなことを発言している。

「軍法会議にかけられ、罪を問われる」

彼らを支えてきたのは「罪の意識」なのだろうか、それとも「人間としての誇り」なのだろうか。いや、もしかしたら、「日本の戦中教育」なのかもしれない。

天皇さん、彼らの60年の歳月はどうすればいいんですか。それが彼らの運命なのでしょうか。

政府の方々、お金で彼らの人生が解決するのでしょうか。

世界の人々、これは他人事でしょうか。


八重子島~続編~

2005年05月25日 | 因島

以前、「八重子島」について書いたことがありますが、その時に潮が引くと歩いて渡れるんだと言ったものの、20年以上前の出来事であり、現在の状況を把握していなかったので、ずっと心に引っかかっていました。

改めて書くと、八重子島は因島から200メートル程離れた所に浮かんでいる大小2つの島です。普段は離れ小島ですが、大潮の干潮時には「海の中道」(モーゼの十戒みたいに)が現れます。

今日、仕事帰りに近くの海を見ていると、どうも普段の景色と違う気がしました。明らかに潮位が低いのです。普段は見えないような岩肌が姿を見せています。もしかしたら・・・、僕が向かった場所は八重子島でした。SA270001 SA270002

見えるじゃないですか!あの「海の中道」が!

興奮してしまいました。20年以上前の記憶が甦ります。PA0_0016

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歩いてみるとヒトデもいるし、子供連れで貝掘りしている人もいる。嬉しくなっちゃうよ。

地面の至る所から潮がピュッピュと飛んでいるのはマテ貝がいるんだとおじさんが教えてくれました。

近くまで行き、小島と大島を写してみました。昔と変わらず、その場所があることが嬉しかったです。


十人十色

2005年05月24日 | 日常

人はそれぞれに個性があり、良い所もあれば、悪い所もある。完璧な人間など居やしないのだ。

例えば、自分が凄く好きになった人がいるとしよう。その人だって人間だから、嫌な部分もあるはずだ。でも嫌いになったりしないだろう。

また、自分の凄く苦手な人がいるとしよう。その人だって人間だから、素敵な部分もあるはずだ。でも苦手だから認められないかもしれない。

そして、その好きな人と苦手な人の共通点だって必ずあるはずだ。それを自分は共通点だと認められるだろうか?

十人十色というように、全く同じ人間など居ないだろう。でも人間であるからには全く共通点が無い人間だっていないはずだ。

そう考えると、苦手だったあの人のことも、これからは少しだけ心にゆとりを持って見られるかもしれない。うん、イライラしながら仕事するのは止めにしよう。


親指さん

2005年05月23日 | こども

つい先日の新聞記事に「親指さん」という言葉が載っていた。何気なしに読んでいたんだけど、最近は携帯電話やポータブルゲーム機などを親指一つで使いこなす人を「親指さん」と呼ぶらしい。

たしかに最近は指先一つで何でも出来ちゃうもんね。そういう僕だって、こうやって指先を動かすだけで字を書いているわけだから。

僕の中の「親指さん」は、息子なのです。息子は母親がいない淋しさからなのか、寝るときに親指をしゃぶり、僕の髪の毛をクルクルとするのが癖です。

「大きくなったら、やめるんよ」と言い続けて、もう3年ほどが経ちますが、まだ卒業できないようです。そのスタイルが一番安心するようなので、無理やり止めさせるつもりは無いのですが、左手の親指に出来た立派なタコを見るたびに、微笑んでしまいます。

僕の「親指さん」が、どれだけ成長していくのか、楽しみです。夏が来る頃には6歳になります。


向島を一周する

2005年05月22日 | 因島

因島の隣に向島(むかいしま)があります。しまなみ海道の出発点である尾道大橋を渡るとそこが向島です。そして向島から因島に架かっている橋が因島大橋。(あれ?向島大橋って無いのかな?)

今日は用事があって向島に行きましたが、早く出発したので向島を一周してみました。隣の島だけあって共通している所は沢山あります。でもやっぱり、その島のオリジナルがあるような気もします。それが何かと聞かれても分からないですが・・・。

僕が驚き、いいなぁと感じたのは釣り人が多かったこと。島の尾道側は造船所や家があって、海のすぐ傍を車で通るわけにはいかないのですが、因島側は道路の向うがすぐ海という環境なので海を見ながらのドライブが出来ます。そこには道路脇に車を停めて、堤防の上から釣りをしている人がなんと多いことか。

日曜日のお昼前だったからなのか、たまたま潮が良かったのか、合計で100人以上(息子が数えていたけど正確な数字は分からず)の釣り人を見たように思います。でもあんな環境だったら趣味で釣りっていうのもいいだろうなぁ。ほのぼのとさせてもらった日曜日の午前でした。


棟上げ式

2005年05月21日 | 因島

因島の北側の地域では家を建てる時の風習があります。棟上げが終わると屋根の上(もしくは二階部分)からパンやお菓子を投げて集まってくれた人たちに振る舞います。 今日は因島フラワーセンターのすぐ隣で行われるとの情報を聞き、行ってきました。夕方17時から約5分間というものだったにも関わらず沢山の人たちが来ていて驚きました。050521_165402.jpg
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小さな子どももいて、投げられたパンを両手にぶら下げて歩いている姿が微笑ましかったです。一生懸命になって写真を撮ったつもりだったんですが、ぼやけてしまっていました。さすがに携帯のカメラでは限界があったようです。(決して僕の腕が悪いんじゃないと思うのですが・・・)

昔はパンではなくて、お餅を搗いて、それを投げる「餅投げ」でした。幼い頃に連れて行ってもらい、拾った(投げられたものを掴むことは出来なかったので、落ちたものを拾っていた)餅をビニール袋に入れて持ち帰っていました。この頃はお餅の中に5円玉や50円玉、時には100円玉が入っていて凄く嬉しかったように覚えています。

いつの間にかお餅からパンやお菓子に変わりましたが、子どもにとって嬉しい行事であることには変わりないのだと思います。こんな地域の風習が続けばいいなぁとつくづく感じる嬉しい出来事でした。