揺れが続く間に頭に浮かんだのは、東日本大震災や阪神淡路大震災の時の映像でした。
もしあの状況になったら、必ず子どもだけは助けないといけないと思うばかりでした。
この地域の震度は4程度。 凄く揺れた気がするし、長かった気もするけれど、殆ど被害はありませんでした。 あの恐怖はどう表現していいものか分かりません。
でも、地震による被害を受けた人たちの恐怖や喪失感は僕のそれとは比較にならないでしょう。
今日、3.14は円周率の日です。 解き明かすことの出来ない難問がそこにあるからといって、決して背中を向けてはならないことを教えてくれる日でもあります。
実際に被害に遭われた方の思いを完全に理解することは出来ないけれど、彼らの声に耳を傾けていかなければならないと強く感じた出来事でした。
コメントを頂いた中で、僕が都会をどのように考えているのか書いてみてくださいといったものがあったので、自分なりに都会についての定義を考えてみました。
<o:p> </o:p>
考えれば考えるほど漠然としているというか、はっきりした答えが見つからない気がします。
それでも言えるのは、万人が「これだ!」と思う答えは僕の中には無いということです。<o:p></o:p>
たとえば「風景」だったり、「人口」だったり、あるいは「政治機能」だったり、「時間の流れ」だったり・・・。<o:p></o:p>
そういった複数の要素が絡み合った中で『都会』が定義づけられるのだとしたら、僕の考えるモノは抽象的です。
<o:p> </o:p>
僕の考える『都会』と『田舎』の違いは「選択肢」だと思います。
仕事や趣味、交際相手、お店、学校、交通機関etc…。
日常生活を過ごす土地でたくさんの選択肢の中から自分の求めるモノを選択できるというのが都会の条件ではないかと思うのです。<o:p> </o:p>
もちろん、都会だから求めるモノが全てあるとか、田舎だから不自由だとかいうつもりは無いけれど、選択肢の幅は大きく違うと感じます。
<o:p> </o:p>
ただ、僕が感じるのは、よく「住めば都」というけれど、実際には自分が住んでいる場所より他の場所の方が都会のように感じるから、なんとなく「隣の芝は青く見える」の方がしっくりくるような気がします。<o:p></o:p>
「あて職」
充て職(あてしょく。あて職、充職とも表記する)とは、特定の職にある者を別の特定の職に就かしめる(充てる)こと。公的機関や営利を目的としない法人その他の団体の人事に多く、公務員の人事で、ある官職を関係する別の官職に就いている者に兼務させることを指す例が多い。
(ウィキペディア引用)
今年に入って会議と名のつく集まりに出席した数は両手足の指では足りません。
あの「あて職」というのは何とかならないものでしょうか。
PTA会長になると地域の様々な団体の委員・組合員などになります。
もちろん地域の方々が子どもたちを見守って下さっているおかげで無事に過ごせているわけですが、せめてPTA会長という縛りを無くして、PTAから1名選出とかにしてくれるとずいぶん助かるのですが・・・。
というわけで3月・4月も会議が目白押しです。