消防団の秋季査閲が行われました。
毎年のことですが、ポンプ操法訓練や式典訓練が始まると緊張感が高まります。
僕の性格的なものかもしれませんが、「やるからには真剣にやる」のが当然だと思いますし、そうしなければ一緒に過ごしてやれない息子に申し訳ないという気持ちもあります。
このたび、早朝実践訓練や秋季査閲におけるポンプ操法、さらにはホースを使ったアトラクション、来賓の方の話などを通じて、改めてそのことを再確認しました。
消防団の活動は人の生命・財産などを守ることが必要です。
そして、そのためにはそれ相応の知識や技術、体力、さらには心構えが必要となります。
ただ、自分では真剣に取り組んでいたつもりでも、どこかで甘えがあったのかもしれません。
今回は失敗の連続となりました。
訓練だったので、人の生活に関わる出来事にはなりませんでしたが、もし有事の際には自分たちの行動で不幸な出来事が起こるかもしれません。
先輩方からも厳しいアドバイスを頂きましたが、まさにその通りだと思います。
またしっかりと取り組んでいきたいと思います。
「そんなことをして何の意味があるの?」 と言われるかもしれません。 でも、僕は充分に意味があると思います。
別に悪いことをしたわけではありません。
息子から、「今までいた環境では自分を甘やかせてしまうので、新しい環境に変わりたい」と訴えがありました。 親として僕は、「自分さえしっかりしていれば、環境は関係ないだろう。環境のせいにして自分のことを棚に上げるのはおかしいのではないか。」 と言いましたが、そう言いながらも自分から現状を変えたいという意志表示をしたことを嬉しくも思いました。
ただ、だからと言って、言葉だけでは誰でも言えます。 僕が息子に出した条件は「目に見える形で決意表明しなさい。」と言う事でした。
サッカークラブのキャプテンになったことも重なり、彼なりに責任や心の変化があったのでしょう。
思春期に坊主にするのには恥ずかしさもあったに違いありませんが、きちんと目に見える形で示してくれました。
どんなふうに成長して行くのか楽しみです。
「火点は前方の標的、水利はポンプ右側後方防火水槽、手広めによる 二重巻きホース一線延長、定位につけ!」
と早口言葉のように指揮を執るポンプ操法訓練が始まりました。
これがその二重巻きホースです。 僕は今年も指揮者なので、筒先を背負って、このホースを肩に担いで走ります。 写真のようにしっかりと巻いてあると持ち運びしやすいのですが、巻きが緩かったりすると大変なことになります。
本来なら経験年数の少ない団員に操法訓練をして貰った方が良いのですが、それぞれに都合があってなかなか時間が取れないのが実情です。
そんなわけで僕以外にもベテランが出場します。
その人は優勝を目指すと言っていますので、僕が若者の足を引っ張らないように頑張ります。
ある時、行事のために手伝ってくれる人をお願いして回っている時でした。
『父子家庭に言われても困るんだよね。』
その言葉を聞いた時、明らかに僕は動揺していました。
冷静さを装ったつもりでしたが、頭は混乱して、顔は紅潮してくるし、汗は噴き出すし、何か言葉を発すると何を言うか分からなかったので黙りこんでしまいました。
おそらく、『ちょっと仕事が忙しくて・・・』とか『その日は他の用事が入っていて・・・』などの返事であれば、仕方ないなぁと納得も出来たのでしょう。
もちろん、それぞれの人には事情があるわけだし、その状況を僕が勝手に判断できるわけでもありません。
僕自身、ひとり親として息子と生活しています。
そして僕の周りの人たちは、それを知っていて様々な面でサポートはしてくれるけれど、だからといって僕や息子がひとり親家庭だということを後ろめたく感じるような関わり方はしません。
だからこそ、僕も息子も支えてくれる周りの人たちのために出来ることはしたいと思っているし、誠実に生きていきたいと思っています。
そこには『父子家庭だから・・・』という概念は全くありません。
そのため、僕は『父子家庭だから』何かが出来ないとは思っていません。
だから、『父子家庭に言われても困るんだよね。』の言葉を聞いた時に、不意を打たれた気になったのです。
自分がハンディキャップ(社会的障害)だと思っていなかったことが、少なくともその人にとってはハンディキャップだったのだと気付かされたのです。
そして、そういうふうに考えている人がまだたくさんいるのだと気付かされたのです。
それと同時に自分がいかに周りの人たちに恵まれているのかも気付かされました。
いつも支えてくれる人たちに感謝です。
ただね、あの言葉を聞いたところには父子家庭の父親ばかり3人だったので、「このメンバーでよくその言い訳をするなぁ。」と正直なところ思いましたけどね。
今年も尾道灯りまつりの手伝いに行ってきました。
子どもたちの作ったぼんぼりを並べて、薄暗くなった頃に蝋燭に火を灯して、そして人通りが少なくなった頃に火を消して片づけをして・・・という流れでした。
場所は尾道の西國寺の参道です。
仁王門には大きな草鞋が飾られていました。
蝋燭に火を灯してからは、見守りを他の方たちにお願いして食事に行きました。
途中の店先には、こんな素敵な動物を模ったぼんぼりが並んでいました。
一見の価値ありです。
友人たちと楽しい食事時間を過ごした後に戻ってくると、待機していた先生方がぼんぼりをハート型に並べてカップルたちの写真を撮っていました。
今年は例年に比べてもたくさんの人が訪れていました。
たしかに幻想的でホッとする空間だと思います。
来週の土曜日には因島の重井町の神社でもぼんぼりが飾られますし、11月2日には因島の土生商店街でも因島灯りまつりが開催されます。
今回見逃した方は、ぜひそちらでお楽しみください。
僕も行っていますので、見かけたら声をかけてください。
『coaching(コーチング)』を『指導』、『teaching(ティーチング)』を『教育』と日本語訳した人は言葉の本質を理解した人だとつくづく思います。
ビジネスの世界でもスポーツの世界でも、コーチングとティーチングについてはよく議論されるところです。
ただ、この時には、しばしばティーチングよりもコーチングが優れているという結論になってしまいがちです。
もちろん、その結論に至るまでに様々な議論がなされているでしょうから、僕がとやかく言っても仕方ないのかもしれませんが、それでも僕なりには優劣をつけるものでは無いと思うわけです。
ティーチングは日本語で教育とされているように、「教え育む」わけですから、その人の基盤(ベース)を築くうえで大切なことだと思います。
またコーチングは日本語で指導とされているように、「(進むべき方向を)指し導く」わけですから、その人の思考力や個性などの人間力を伸ばすうえで大切なことだと思われます。
だから、どちらが優れているというわけでは無いと思うのです。
誰に対して、どういう目的で関わるのかによってコーチングが必要なのか、ティーチングが必要なのかは変わってくるはずです。
ただ、僕たちは身近でこれを経験してきています。
親子の関わり方がそうなんですよね。
幼い頃は親が子どもに何かを伝えようとして教えることが多いかもしれません。でも、その中でも子どもがすることを見守っている時もあるはずです。
そして子どもが成長するにつれて、親は見守ることが多くなってきます。でも、時には間違ったことをしそうな子どもを叱って、教えてあげることも必要かもしれません。
自分も息子に「教え育む」ことも「指し導く」こともできる親でありたいなぁと感じています。
またサッカーを通じて関わっている選手たちにも同じように接していきたいなぁと思っています。
今度は因島商工会議所のHPで面白い記事を見つけました。
因島のゆるキャラを募集するらしいです。
そして、それが因島のマスコットキャラクターになるそうです。
どうやら、はっさくゼリーの「はっさくボーイ」も松愛堂の「島そだチン」も因島代表にはなれなかったようです。
知名度で言ったら、間違いなく「はっさくボーイ」だろうけど、未発表作品に限るらしいので、スタートラインにも立てない状況です。
因島の新しいキャラクターが出てくるのが楽しみです。
間違っても「ポルノちゃん」は止めてくださいね。